第34話 アデルの提案1
合格。とばかりに、リンリエッタは瞼を閉じた。それを合図に、カインは唇を寄せる。お互いの存在を確かめるように、彼等は熱を分け合った。
カインが殆ど寝ずに作ったドレスを身に纏い、リンリエッタは宰相の前に腰掛ける。宰相の後ろには、彼が連れ立った数名の文官が部屋を埋めるように立っていた。
宰相を迎え入れたリンリエッタは、彼をもてなすこともしない。リンリエッタの座る以外の椅子は全て撤去された。
「ごめんなさいね。もう引き払うつもりだったの」
リンリエッタは、父の気に入りの椅子に腰掛けながら、にこりと笑った。ペリドットのイヤリングが揺れる。
薔薇のごとく真紅に染まったドレスは、リンリエッタに勇気を与えた。手首までを覆うドレスは、彼女の白い肌の殆どを隠す。硬めのパフスリーブからは金糸で刺された刺繍が蝶の形を成して飛ぶ。
金糸は王族のみが許された特別な物。リンリエッタはこの日の為に、わざわざ用意させたのだ。
蝶の羽のように広がった袖。その下には幾重にも重ねられた真っ白なレース。
金の糸の如く輝く髪は、結い上げられ耳元のペリドットがいつもよりも得意げに輝く。
宰相は、ギラギラとした目で彼女を見つめている。か弱い小動物を狩る獣の目だ。それでも彼女は一切動じたりはしなかった。王族の金を纏(まと)った時点で、宰相は合点がいっていた。緩む頬が隠しきれていない。
「ご決断をなされたと思ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、私も悪魔ではありませんもの。この国にはまだ王が必要なのでしょう?」
リンリエッタは女神の如く微笑んだ。その場にいた全員が新しい女王に頭を下げた。
宰相が帰ってすぐに、リンリエッタの祖父アデル三世がクライット公爵邸に訪れる。まるで宰相が帰るのを待っていたようだ。アデルの突然の訪問を、リンリエッタは笑顔で迎えた。
「お祖父様! 会いたかった」
「おお、リンリエッタ。こんなに綺麗になって」
「お祖父様ったら、いつもそればっかり」
花が咲く様にリンリエッタは笑う。アデルは彼女の笑顔を見て顔を綻ばせた。
「済まなかったのう。あやつら、息子の見舞いにすら行くのを渋りおって」
アデルは、早い段階でリンリエッタからの手紙を受け取っていた。クライット公爵が倒れていることは知っていたのにも関わらず、死病の騒動のせいで、外に出ることすら許されなかったのだ。
アデルは忌々しい物でも見るかのように、顔を歪め屋敷の外に目を向けた。
「リンリエッタ。事情はよく分かっておる。辛かったじゃろう」
アデルの持つ大きな耳は宮殿で起こっていることも、クライット公爵邸で起こっていることも聞き及んでいた。
アデルは愛する孫の頭を優しく撫でる。皺だらけの手がリンリエッタ金の髪を掬(すく)った。手入れの行き届いていた髪は、僅(わず)かに昔の輝きを失っている。リンリエッタの苦しい状況を如実に表しているとも言えよう。
「儂はのう、倅(せがれ)の見舞いに来ただけではないんじゃよ。可愛い孫の助けになればと思っての」
アデルが片目を瞑る。茶目っ気の溢れる笑顔にリンリエッタは顔を綻ばせた。
アデルの指示によって、リンリエッタとカインは応接間へと集められた。アデルの向かいに二人並んで座る。アデルはカインをまじまじと見つめた。
「ほう、お前さんがカインか」
目を皿の様に開け、頭の天辺からつま先まで、じっくりと眺める。カインは頭を下げることも許されず、ただジッと座った。
「リンリエッタの趣味はこういう男じゃったか。長身で寡黙……いや、口下手かのう」
「お祖父様。あまりカインを虐めては駄目よ」
リンリエッタが慌てて止めに入る。リンリエッタが声を上げなければ、アデルのカイン弄(いじ)りは長く続いたであろう。何せ、カインはアデルにとって、リンリエッタの口から名前だけは何十何百と聞いてきた男だ。そのくせ、平民だからという理由で一度も会うことが叶わなかった。アデルが饒舌(じょうぜつ)になるのも致し方ない。
一頻(ひとしき)り舐めるように見たせいか、アデルは満足そうに頷いた。そして、場の空気を変えるように、大きな咳払いを一つ。
「二人とも、よーく聞くんじゃよ」
アデルがにこりと笑ったが、その笑みはリンリエッタがいつも見ていたものとは違っていた。どこか厳しい瞳を残した笑みは、二人を突き放すようものだ。
「お前さんらには、三つの選択肢がある。どれを選ぶかは二人の気持ち次第」
アデルが二人の前に腕を伸ばす。そして、人差し指を一本立てた。
「一つ目。このまま、二人でどこか遠くへ逃げる。これはちーっとお勧めはせんよカイン、お前さんが苦労するじゃろう」
それは、リンリエッタが父親が倒れてすぐに選んだ選択肢であった。
「もしも、私がこれを選んだら、国はどうなってしまうの?」
既に王族は生き絶え、今残っているのはアデルとリンリエッタ、そして、ベッドに眠るクライット公爵のみである。アデルとクライット公爵がこれから子供をというのは無理がある。現状、リンリエッタが王位を継がなければ、王族の血は絶える事となる。
「さあのう。儂がくたばるまでは大丈夫じゃろう。その後は知らん。お前さんらだって、捨てた国のことじゃ、気にせんのが一番じゃのう」
アデルは白い髯(ひげ)を何度もさすった。リンリエッタは、アデルの言葉に眉根を寄せる。
王族を失った国はどうなるのか。どこぞの貴族が取って代わることはあり得よう。しかし、そうなれば、その一つしかない椅子を巡って争いが起きることは火を見るより明らかだ。
「水晶翁、よろしいでしょうか?」
カインが声を出すと、アデルが目を細めて笑う。カインは平民。本来なら、前国王であるアデルに話しかけるどころか、彼の前に立つことすら許されない身分だ。だが、アデルはそんなことを気にするような人間ではない。
「好きに話しなさい」
「もしも、私達が二人で逃げた場合、追われることも有りましょうか」
「そうじゃのう。唯一の王族の血。欲しくない者はいないであろうな。リンリエッタの血は余す事なく王族のものじゃ。産んだ子も、間違いなくの」
「つまり、永遠に逃げ続ける道ということですね」
「そうよのう。四十年前の儂にもぶら下がった選択肢じゃ。愛を貫くのは難しいのう」
アデルは目を細めて、過去の思い出を見つめる。アデルがまだ第三王子だった頃、突きつけられた選択肢は、今リンリエッタとカインに出す選択肢と同じものであった。
「さて、二つ目じゃったな」
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