第33話 絡まった赤い糸

「今回のドレスも素敵ね」


 リンリエッタはその場でくるりと回りながらドレスを広げて見せる。


「とてもお似合いです」


 カインの賛辞にリンリエッタは、素直に微笑んだ。カインの目の下には隈が浮かぶ。リンリエッタは腕を伸ばすと、彼の目の下にくっきりと浮かぶ隈を指でなぞる。


 カインはリンリエッタから依頼を受けた後、何かに憑かれているかの如く殆ど眠らずにドレスを作った。寝る時間を惜しんだ結果、目の下の隈は隠しようのない程に色濃くうつる。


「無理させてしまったわね」

「いえ、リンリエッタ様の為にドレスを作ることが至上の喜びです。お気になさらないで下さい」


 カインはリンリエッタの手から逃れるように首を横に振った。それを拒絶と捉えたリンリエッタは、寂しそうに笑うと、腕を引っこめる。


「聞いて頂戴、カイン。私ね、決めたのよ」

「はい」

「貴方にずっとドレスを作らせてあげる」


 リンリエッタは優しく微笑んだ。カインはそんな彼女を見て目を見開く。それでも彼女は微笑むことをやめなかった。


「リンリエッタ様……?」

「貴方の幸せがドレスを作ることだと言うのなら、私が駄々を捏ねても仕方ないものね」

「私はそんな……」

「良いのよ、無理しなくても。私も貴方のドレスを着ることができて幸せ。それ以上を望むなんて神様に怒られてしまうもの」


 リンリエッタはくるりと回り、カインに背を向けた。ドレスの裾が遅れて彼女を追う。カインはただ自身の右手を強く握りしめる。


「私は料理も出来ないし、井戸の水だってくめない。掃除だってした事がない。私ができることなんて、貴方のドレスを着ることくらい」

「私は貴女にドレスを着て頂けるだけで、十分幸せです」

「そう、良かった。私、貴方のドレスを着て大勢の人の前に立つわ。女王の仕立て屋、カイン・ダインバルの名を広めましょう。歴史に名を残すのよ。そしたら、私達永遠に一緒だもの」


 リンリエッタは涙を堪えるように、空を見上げた。部屋の天井がそれを遮る。彼女の苦悩の表情はカインには入ってはこなかった。


「リンリエッタ様……」

「ずっと、ずーっとクライット家の令嬢として自由に生きたかったわ。不器用な仕立て屋に愛を囁いて困らせて、素敵なドレスで夜会に出るの」


 リンリエッタは堪えるように、喉を鳴らした。しかし、彼女の頬に涙が伝う。


「私の夢は、ペリドットの瞳を持った可愛い子供を抱くこと。玉座に座ればその願いも叶わないわね」


 女王となったリンリエッタに手を出せば、カインは簡単に牢屋に入れられることとなる。女王である彼女とて、ただの仕立て屋を守ることは難しい。


 ただのクライット公爵家の娘であれば、婚姻は叶わなくとも、カインとの子を持つことは可能であった。例えそれが、誰にも祝福されぬ道だとしても、彼女にとって最良の選択だと思えたのだ。


 リンリエッタが涙を流している今も、宰相は死病を理由にリンリエッタを屋敷に縛り付け、新たな女王に相応しい夫を探していた。宰相の手の内で転がしやすい、身内の人間を。


 このことを聞きつけた耳の大きな貴族もまた、彼女に相応しい夫を選りすぐっていた。


 長きに渡る絶対王政。死病を理由にしても、たかが貴族の一人がそれに取って代わるのは難しい。しかし、小娘一人手玉にとり、王族の血筋を盾に使えばそれも容易いと、力のある貴族は考えた。


「素敵なドレスをありがとう。これで明日は勝てそうよ。脱ぐのは他の人に手伝って貰うから、貴方は眠って頂戴」


 リンリエッタはカインに背を向けたまま言い放った。


「しかし……」

「良いから、行って。今は一人になりたいの」


 カインに背を向けたまま、リンリエッタは冷たく言い放つ。しかし、カインは眉を寄せたまま動けずにいた。


「お願い……一人にして」


 カインは顔を歪ませるも、リンリエッタに背を向けた。彼の小さな足音が部屋に響く。カインは扉に手を掛けながら、奥歯を噛みしめた。その間、リンリエッタは流れる涙を拭うことすらせず、ジッと宙を見つめていた。


「貴女を」


 カインは、まだ開かれていない扉に向かってポツリと呟く。その声を聞いたリンリエッタの肩が僅(わず)かに震えた。


「今貴女を一人にできるほど、私はできた人間ではありません」


 カインは扉から手を離すと、すぐさまリンリエッタの元へと向かう。そのまま彼女を背中から抱きすくめた。


「……一人にしてと言ったじゃない」

「申し訳ございません」

「いつもは聞き分けのいい振りをしているじゃない。今日に限ってなんで……」

「今、貴女の側を離れたら貴女を失う気がしました」


 リンリエッタを抱きしめる腕の強さが増す。リンリエッタはカインの腕に色の白い手を重ねた。そのか細い手は、僅(わず)かながらに震えている。その震えを感じて、カインは眉根を寄せた。


「本当は、貴方を連れて逃げ出したい。例え死病が猛威をふるっていても、罪に捕らえられようとも。全てから貴女を奪ってしまいたい」


 カインはリンリエッタの肩に顔を埋め、力任せに抱きしめ続けた。


「私には貴女を守り続ける程の力も無く、知恵も無い。それでも、ただ闇雲に貴女の手を取り走り続けることが、どれだけ危険かは知っております」

「分かっているわ。貴方の選択はいつだって私の事を考えてのことでしょう?」

「それでも、何故あの時貴女の手を取り逃げなかったのか、何故感情に任せて走れなかったのか。毎晩後悔しました」

「貴方の選択は正しかったのよ。私は外に出ても何も出来ない。綺麗なドレスと豪華な椅子が似合うのよ」


 リンリエッタの瞳から溢れた涙が、ポツリポツリとカインの手を濡らす。リンリエッタの流した雨を感じる度に、カインは腕の力を強めていった。


「駄目よ、カイン。ドレスが皺になってしまうわ」

「皺など、後でどうにか致します」


 リンリエッタは小さく頷くと、カインに身を預け、静かに目を閉じた。最後の涙が頬を伝い、カインの手を叩く。


「共に歩む道を探させてはいただけませんか」


 カインは腕を緩めると、華奢な肩を掴んだまま、リンリエッタの前に回った。彼女の濡れた瞳が、カインを見上げる。


「茨の道を独りで歩むなどと言わないで下さい。私は、貴女を守る力も知恵も無い。それでも、盾になることは可能でしょう?」

「ただ、ドレスを作るだけの人生ではなくなってしまうかもしれないのよ?」

「私とて男。愛する人を守りたいと思うのは当然のことと言えましょう。愛しております、リンリエッタ様。私も貴女の進む道へ連れて行って下さい」


 アクアマリンの瞳が揺れる。有無を言わさない強い眼差しに、リンリエッタは呆然とカインを見上げた。


 いつもにこりともしない彼の顔が微笑みを浮かべると、リンリエッタは目を細めて笑った。


「貴方、本当に馬鹿ね」

「リンリエッタ様のご配慮を無にしてしまい、申し訳ございません」

「本当よ。貴方のこと、苦しめたい訳ではないの」

「ならば尚更、私も共に連れて行って下さい。私の苦しみは、貴方のお側にいることができないことです」


 今度はどこか困ったように笑った。その表情にリンリエッタは小さなため息を吐く。


「良いわ。貴方も連れて行ってあげる。その代わり、恨み言はなしよ?」

「勿論でございます」


 リンリエッタはカインの頬に両手を伸ばす。真っ白な両手で彼の頬を包み込むと、笑顔を見せた。カインは暫し躊躇(ためら)うように瞳を右往左往させる。そして、ゆっくりと深呼吸をすると彼女の瞳を見つめ返した。


「愛しております」

「私もよ」

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