第27話 リンリエッタ様

 クライット公爵が倒れてから数日が経った日のこと。胸の病であると医者は言う。目覚めない彼を目にした夫人エリーゼもまた、彼を追うように心労で倒れた。


 リンリエッタは、カインの部屋の特等席に腰掛けながら作りかけのドレスを眺める。


 両親共に倒れたことで、リンリエッタに降りかかった重圧は、想像を絶するものだった。使用人も不安がっている。もしもこのまま主人を失えば、突然職を失うのだ。気が気じゃ無いのも頷ける。


 リンリエッタには、そんな使用人達への対応と、父の代理としての仕事が待っていた。彼女には涙を流す時間すら与えられない。


 白い肌は簡単に彼女の不調を映し出す。それを隠すように、化粧が厚くなっていった。ようやく一息つける程になったのが、今日の夜。リンリエッタは、目を瞑っても眠れないことに嫌気がさし、ふらりとカインの部屋を訪れたのだ。


 カインが、温かい紅茶の入ったティーカップを手渡すと、ようやっとリンリエッタは顔を上げた。


「ありがとう」

「ゆっくりお休み下さい」


 カインは眉尻を下げ、心配そうにリンリエッタを見つめた。


「ごめんなさいね。迷惑でしょう?」

「そんなことはございません」

「貴方は優しいのね」


 紅茶を口にしながら、リンリエッタは小さく息を吐いた。父、クライット公爵が倒れてからと言うもの、広い屋敷は静まり返っている。


 リンリエッタが慌ただしくしている間、彼女は社交の全てを断った。春乞の宴はその筆頭で、父、クライット公爵の体調不良とその看病という、何とも曖昧な理由を付けた。


 その後数度、アルベエラの呼び出しがあったが、それどころではないリンリエッタは定型文の様に同じ言葉を繰り返す。春乞の宴が間近となれば、その手紙も途絶えた。


 どこにも、クライット公爵が倒れたことを相談するわけにもいかず、彼女は苦しい立場に立たされている。領地に関する急ぎの連絡が来る度に、父親の執務室を漁った。


 彼女が社交に出なければ、カインの仕事は無い。華やかなドレスは仕舞われ、着回しのドレスばかりが仕事をする。


 しかし、それでもカインは新作を作り続けていた。いつ、着る必要ができても困らないようにである。


 普段なら、買い付けに行くこともあったが、リンリエッタを心配してか、カインは一度も部屋を出はしなかった。


「カイン、今日父のことを陛下にご報告する為の書状をお送りしたわ」

「はい」


 医者は、クライット公爵の死は時間の問題だと言う。目覚めたとしても、そう長くは持たないだろうと説明した。


 目覚めない今、死んだも同然。しかし、彼の生だけが、公爵位を得ていられる条件でもあった。


「お父様がお亡くなりになったら、お母様は御実家に帰ることになるでしょう」


 母、エリーゼの実家は有力な貴族。一人養う者が増えたところで、問題は無い。住み慣れた実家に帰ることが何よりの療養だと、リンリエッタも反対はしなかった。


「お嬢様はいかがするのでしょうか?」

「そうね、陛下のご意向次第かしら。どこかに嫁ぐか、田舎で静かに暮らすか」


 リンリエッタは困ったように笑った。女であるリンリエッタに、選ぶ余地は与えられない。リンリエッタの身は、父方である王家が面倒を見ることになるだろう。そう、リンリエッタは予想していた。


 裕福とは言え、母の実家に二人一緒に世話になるのは肩身が狭い。何より、エリーゼは庶子であるクライット公爵と結婚することを最後の最後まで反対されていた。


 クライット公爵との子供であるリンリエッタは、母方の実家では嫌われ者である。


「その前に、皆の就職口を斡旋しなければならないわ。クライット公爵家令嬢の名が効いている間に、紹介状を書かなくては。カイン、貴方はどこで働きたい? 今なら好きな所を選ばせてあげられる。それともお店に戻る? 貴方なら、あっという間に売れっ子よ」

「お嬢様は、私を連れていってはくれないのですか?」

「そうね、素晴らしいドレスを作る貴方を雇えるような家に嫁ぐことができたら、また迎えに行くわ」

「私は金など必要ございません」

「駄目よ。お金はね、生きるのに必要なの」

「私は貴女さえ居れば、それだけで十分でございます」

「私を見ても腹は膨れないわ」


 リンリエッタは、テーブルにティーカップを置くと、立ち上がった。踵(かかと)を上げて、背伸びをしながら、カインの頭を優しく撫でる。カインの瞳が困ったように揺れていたが、逃げることも窘(たしな)めることもせず、彼女が背伸びをしなくても良いように、頭を差し出した。


「カイン、もっと私に力があれば、貴方を連れて行けたのに。ごめんなさいね」


 カインの頭から手を離したリンリエッタは、自嘲気味に笑った。


「お嬢様……」

「貴方は貴方の人生を歩みなさい。ずっと私の勝手で縛り続けてしまったわ。ごめんなさい」

「私の人生はお嬢様のもの。貴女のドレスを作ることだけが生き甲斐なのです」

「大丈夫。好きな人が出来れば、すぐにその人が生き甲斐になるわ」


 カインの顔が歪む。リンリエッタにはその意味が分からなかった。彼女にとってカインは好きな相手ではあったが、彼にとってリンリエッタはただの雇い主。金払いの悪い雇い主についていく必要は無い。


 カインはリンリエッタの前で、片膝を地につけた。彼女と会話するときはいつだってこの高さだ。触れることのない絶妙な間を作り、カインは彼女を見上げる。


「お嬢様は何も分かっていらっしゃらない」

「カイン?」

「私の心は出会った日から貴女のものです」

「それではまるで、愛の告白だわ」

「愛の告白以外に何がございましょうか?」


 カインは手を伸ばすと、リンリエッタのか細い両手を握る。リンリエッタのアクアマリンの瞳が揺れた。


 いつも愛の告白をするのは決まって彼女の方で、カインは常にそれを袖にしている。いつもと逆の状況に、リンリエッタは何と返して良いか分からず、困ってしまった。


「どうして今なの? 今までずっと私の前に線を引いていたじゃない」

「申し訳ございません」

「都合が良すぎるのよ。会えないと分かった途端気持ちを伝えるだなんて」


 リンリエッタの大きな瞳からは、大粒の雫が流れ頬を伝う。そして、雨の如くカインの手を濡らした。彼に両手を取られたリンリエッタには、涙を拭うことも叶わない。


「私はこの生活が死ぬまでずっと続くものだと思っておりました。たとえ、貴女をこの腕で抱きしめることができなくとも構わない。ただ、私のドレスが代わりになってくれていれば。それすら叶わないと分かった途端、私は救いを求めるが如く貴女に縋(すが)っている。どうか、下賤(げせん)な者の戯言とお流し下さい」


 カインは目を閉じると、額をリンリエッタの手に乗せた。それは、神殿で神に祈るが如く。リンリエッタは何も言わず、彼の柔らかな栗色の髪を間近で眺めるだけ。


 静寂は長くは続かなかった。


「馬鹿なカイン。貴方は本当に馬鹿よ」

「はい」

「貴方なんか嫌い。顔も見たくない」

「はい」


 リンリエッタの大粒の涙が、カインの髪を濡らしても、彼はただ祈り続けた。


「嘘よ。嫌いになりたいのに、嫌いになれない」


 涙と共に、リンリエッタの呟きが溢れて落ちた。カインはその言葉に、頭を上げる。


「恋とは一時の迷いだわ。私はそれなりの家に嫁いで、貴方はドレスを作る。もしかしたら、そこで、新しい恋をするかもしれない。そうすれば、次第に私のことなんて忘れる。それが世間一般の幸せ」

「世間一般の基準など、参考になりましょうか」

「今、手を離してくれなければ、貴方を地獄の底まで連れて行ってしまうわ」

「例え、業火に焼かれることになろうとも、貴方の側であれば、これ以上の幸せはございません」

「では、地獄に似合うドレスを作ってくださる?」

「勿論で御座います。地獄の番人が裸足で逃げ出すような、麗しい姿にしてみせましょう」


 リンリエッタの両手を強く握りしめると、カインは目を閉じて、その白い手に唇を寄せた。それは神聖なる誓い。女神にするが如く、触れるか触れないか程度の口づけだ。


「私の愛するペリドット。貴方は私の太陽よ。その瞳を良く見せて」


 カインは顔を上げて目を開ける。ペリドットの瞳が顔を覗かせた。リンリエッタはその二つの宝石を優しく見つめると、にこりと笑う。


「カイン。優しい私は、貴方に最後の機会をあげる」


 リンリエッタはゆっくりと瞼を落として、アクアマリンの瞳を隠した。鼻から小さく息を吸い込むと、彼女の胸が上下する。


 そんなリンリエッタの姿を見上げながら、カインも深呼吸をした。


「愛しております。お嬢様……いえ、リンリエッタ様。貴女の行く道の後ろを歩かせて下さい」


 カインはリンリエッタの両手に、自らの額を当てる。初めて口にする愛の言葉は、とても弱々しく部屋に響いた。


 カインの言葉を聞き終えたリンリエッタは、瞳に彼の姿を映す。


「全然駄目よ。良かったのは、名前を呼んだことくらいかしら。『俺について来い』くらい言わないと」

「申し訳ございません」


 カインは眉尻を下げる。大型犬が萎れているような雰囲気すら感じて、リンリエッタは小さく笑った。


「でも良いのよ。とても、貴方らしいもの」

「それは、喜んで良いのでしょうか」

「ええ、私はそんな貴方を愛したのですもの」

「ありがたき幸せにございます」


 カインは首を垂れる。見慣れた後頭部に、リンリエッタは苦笑を向けた。


「遠くへ行きましょう。ずっとずっと遠くよ。私のことも貴方のことも誰も知らない世界で一から始めるの」


 カインが目を見開いて顔を上げる。その姿に、リンリエッタは笑い声を上げた。


「貴方、頭を下げたり上げたり大変ね。何を驚いているの? 地獄の底までついてきてくれるのでしょう?」

「勿論でございます」

「なら、私をただのリンリエッタにして。『はい』以外の返事は要らないわ。もしも、他の返事を用意しているなら、私は貴方にも紹介状を渡します」

「……かしこまりました」


 カインはまた頭を下げた。リンリエッタの笑い声が、部屋に響く。

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