第28話 別れ

 カインは、久方ぶりに屋敷を出た。いつもの道を通って真っ直ぐに行きなれた店に向かう。


 カインの師、ゼスタの店だ。石畳みが敷かれた道を紋章を背負った馬車が通る。馬車はカインの横スレスレを過ぎていった。馬車がさらった髪の毛を、無造作に搔き上げると、カインは店の扉を開けた。


「いらっしゃ……カインさん。お疲れ様です! 先生なら奥に」


 店番をしていたのは、まだ店で働き始めて二年程度の少年だ。ゼスタには不器用だ不器用だと呆れられている。それでもドレスを作ることに憧れていた少年は、目の下に隈を作り手を傷だらけにしていた。


「今日は暇そうだな」

「はい。最近注文が入らなくて。町もなんだか静かなんですよね」

「社交シーズンなのに、か?」


 社交のシーズン真っ只中だというのに、注文が入らないのはおかしい。カインは首を傾げた。社交シーズンは、毎年カインも忙しかったからだ。


「はい。……でも、うちだけじゃなくて、貴族の皆様の足が色んなお店から遠のいてますね」

「何も無ければ良いが」

「そうですね」


 カインは少年と挨拶を交わすと、奥へと向かう。ゼスタは目を細めながら、最後の仕上げに掛かっていた。


「先生」

「なんだ、とうとう追い出されたか」

「いえ……いや、そうとも言うかもしれません」


 そのようなものかと、カインは頷いた。ゼスタはといえば、揶揄(やゆ)するつもりが頷かれ、うっかり手にしていた針を滑らせてしまう。


 ゼスタの目では床に落ちた針をさがしだすのは一苦労だ。小さく舌打ちをすると、床に膝を付けて、頬を床に擦り付ける程に這いつくばった。


「先生、ここに」


 ドレスの裾の陰に転がって隠れた針を、カインはあっさりと見つけ出す。細い針を手渡せば、ゼスタが大きなため息を吐いた。


「何をやらかした」

「何も」

「大体悪いことした奴は決まって『何もしてない』って言うんだ。お前らはいつもそうだったよなぁ?」


 物言いたげな目を向けられて、カインは目を瞬かせた。ゼスタは大きなため息を吐くと、針を置く。


「まあ、良い。それで、いつ帰ってくるつもりだ?」

「……いえ、今日は先生に挨拶を」

「そんなのはどうでも良い。いつから入れる? ああ、店の二階に空部屋もあるから安心しろ」

「いえ……」

「なんだ、歯切れが悪いな」


 ゼスタの苛立ちが部屋に満ちた。


「公爵が倒れました」

「……冗談はよせ」

「冗談ではありません」


 カインの抑揚の無い声と、ゼスタの苛立ちの声がまじわる。部屋の外では店番を放り出して、少年が戦々恐々と聞き耳を立てていた。


 ゼスタにとっても、クライット公爵家は得意先。今まで公爵夫人の服を何着も作っている。クライット公爵とは挨拶くらいしかしたことはないが、公爵夫人とは他愛のない世間話をすることもあった。クライット公爵の話も多く聞いている。挨拶程度の仲といえど、知った顔だ。心が傷まない程、ゼスタは冷徹ではない。


 ゼスタは小さく息を吐くと、胸元で十字を切り、神に祈りを捧げた。


「他の家でも紹介されたか?」

「はい。でも断りました」

「なら……」

「この店にも戻りません」

「どこに行く気だ?」


 カインは窓の外を見る。この部屋の窓には青い空も、どこまでも続く道も、最果てを伝える地平線も映し出しはしない。


 それでも、ゼスタはカインの視線を追うように窓の外を見た。


「まさか、あのお嬢ちゃんも一緒という訳ではないだろうな」


 カインは沈黙を守った。しかし、沈黙は肯定。ゼスタは大きなため息を吐く。


「お嬢ちゃんはお前の手に負えるような女じゃない」

「はい」

「あれは人の上に立つように育てられた生粋のお嬢様だ。しかも、そこいらの貴族とは格が違う」

「はい」

「生活はどうする?」

「当面は今までの給金で。あとは働き口を探します」

「ドレスは?」

「あれはリンリエッタ様の物なので」

リンリエッタ・・・・・・様(・)……か」


 ゼスタはとうとう目頭を押さえた。つい先月まで『お嬢様』と呼んでいた男が、名前で呼んでいるとあれば致し方ない。敬称をつけていたとしてもだ。


「お前がお嬢ちゃんに特別な感情を持っているのは分かっていた。今まで何も言わなかったのは、お前がちゃんと線引きをしていたからだ」


 ゼスタからすれば、カインは子供のようなものだ。まだ幼い頃から預かり、狭い店の奥の部屋で共に暮らして来たのだから。


 カインの口は手程器用では無かったが、長年見てきたゼスタには、彼の気持ちが痛い程分かった。


 しかし、ゼスタにとって、カインの淡い恋心は、死ぬまで秘めておかねばならないものだったのだ。


「いいか、カイン。父親を失っても、あのお嬢ちゃんの血は王族のものと殆ど変わらない」

「はい」

「お前は何かある度に、その血に振り回される」

「それでも、あの手を放せませんでした」


 カインは眉尻を下げて笑う。ゼスタはそんな彼を一瞥(いちべつ)すると、「そうか」と短く返した。しかし、納得した訳ではないと眉間の皺が訴えている。


 ゼスタは大きなため息で訴えると、窓辺へと歩いた。窓辺には小さな植木鉢が一つ。それには、枯れ葉をつけた植物が部屋に彩りを与えている。


「お前は馬鹿者だ」

「はい」

「あのお嬢ちゃんは、毎朝顔を洗う水がどんな風に汲まれているのか知らない」

「はい」

「毎日使う食器がどうやって次の日に使われるのか知らない」

「はい」

「あの屋敷から出れば必ず苦労する」

「はい」


 ゼスタは植木鉢の枯れ葉を引き抜きながら、吐き捨てる。カインは彼の言葉に静かに返事を返す。


「何故だ」

「この気持ちに、正確な理由をつけられるのなら、俺は今頃荷物を持ってここに帰ってきていました」

「馬鹿な奴だ。お嬢ちゃんはただ、特殊な恋愛に浮かれているだけかもしれない。お前だってそうだ」

「それでも構いません」

「最後、捨てられてもか?」

「はい」


 カインの頑なな態度に、ゼスタは苛立ちを募らせる。勢い余って引き抜かれた若い葉は、虚しく床へと落ちて行った。


「何故、こうなる前に相談しなかった」


 カインは眉尻を下げる。決して言い訳を口にすることのない彼に、ゼスタは頭をガシガシと掻く。整えることも忘れた起きたままの髪の毛が、少しだけ形を変えた。


「……向こうの部屋の物、好きなだけ持っていけ。餞別(せんべつ)だ」


 ゼスタは視線だけで隣の部屋の扉を指す。隣室は生地や道具が所狭しと置かれている。売れば当分生活に困らないだろう絹の織物も無造作に転がっていた。


 カインはその内の一番質素な生地を手に取った。


「先生」

「なんだ」

「御恩を踏みにじるような事をして申し訳ありません」


 カインは深く頭を下げた。ゼスタは彼の整えられた髪の毛を見ながら大きなため息を吐く。


「……息子なんてやつは、親の言うことも聞かないでホイホイ女の尻を追うもんだ。……困ったら帰って来い。お嬢ちゃんが一緒でも構わん」


 カインは腰を曲げたまま、顔だけを上げ目を見開いた。ゼスタは居心地が悪そうに口の端を歪めると、視線を窓の外に流す。


 カインは再度頭を下げた。そして、込み上げてくる感情を殺すように、彼は唇を噛み締めた。

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