第25話 死病1

 アルベエラは思案する。これからのことを。そして、親友のことを。クライット公爵の容態はあまり芳しくないらしく、リンリエッタへと宛てた茶会の誘いは、辞退の定型文で返送される。


 結局、アルベエラはリンリエッタと連絡が取れぬまま、春乞の宴を迎えた。


「お父様。クライットの叔父様とリンリエッタは……?」


 アルベエラは、父――国王の側に寄ると、彼を見上げた。宴の席には宰相が目を光らせている。下手な事は言えない。


「ああ、どうやら体調が悪いらしい。今日は来ない」


 アルベエラはホッと胸を撫で下ろす。屋敷に居れば、手出しをされる可能性は低いと考えたからだ。


 国王は、アルベエラの安堵のため息を耳にして、苦笑を浮かべた。


「なんだ。リンリエッタとはまだ仲直りしていないのか?」

「あら、お父様。女同士の問題に男が入ってきては駄目よ」


 アルベエラが頬を膨らせる。国王は苦笑を浮かべた。それは、国王の顔ではなく、父親の顔であった。


「余り意地を張ってはいけない。言いたいことも言えずに別れることになったら辛いだろ?」

「お父様、実感がこもり過ぎよ。お父様も叔父様に言ったら良いじゃない」


 アルベエラが不機嫌を表すように顔を背ける。国王はただ肩を竦めるだけだ。国王とクライット公爵は、仲は悪くはないが特別良いわけでもない。王妃の息子と公妾の息子。父親が同じでも距離を縮めるのは難しい。国王とクライット公爵はお互いに気遣い合い、余り言葉を交わさず生きてきた。二人の微妙な関係は、本人よりも周りが分かっていたのだ。


 宴は例年通り、国一と噂の踊り子を呼び寄せ始まった。ベールで顔を隠した少女が春の精霊の如く会場を舞う。たった五人の観客では勿体無い程の舞に、誰もが顔を綻ばせる。


 給仕をする者の手を止め、踊り子が虚ろの世界へと誘う。毒味役の女が口を付けた物だけがアルベエラ達の前には並んだ。


 アルベエラは腹を擦りながら、少女の舞を眺める。今日まで宰相の動きが気になって腹の調子が悪い。豪勢な食事に舌鼓を打つ両親や兄達とは反対に、殆ど口にすることができなかった。


 北の民族が歌う伝統的な音楽が流れ出した時だった。踊り子がその足を止めたのは。


 少女の額からは大粒の汗が零れた。上気した頬、虚ろな目。明らかに普通ではない。


 遠くで女が悲鳴を上げた。アルベエラが悲鳴を頼りに目で追うと、一人の侍女が踊り子を指差してガタガタと震えている。


「し、死病……」


 少女の露わになった腹には、斑点が浮かぶ。アルベエラは、声にならない悲鳴を上げる。

 なぜ。という言葉はアルベエラの口からは出てこない。


「なぜ」


 アルベエラの代わりに声を上げたのは、隣に座る兄、セルブスだった。アルベエラは呆然と兄の姿を見上げる。彼女は何も出来ぬまま、縋(すが)るように兄の袖をつかんだ。一番に立ち上がったのは、国王であった。


「セルブス、皆を連れて部屋へ行きなさい」


 国王の重い声が部屋に響く。父の言葉にセルブスは強く頷いた。弟の頬を叩き、アルベエラの腕を引き、王妃の肩を抱き宮殿の私室へと急ぐ。


 その間に、国王は旅芸人を一室へと隔離し、関わった者全てをそれぞれ隔離した。


「高熱、斑点。死病で間違いないでしょう」


 宰相がどうにか連れてきた医者によって、死病と判断された踊り子は、数日後息を引き取る。同じ部屋に隔離された旅芸人も全員が同じ症状を発症し、帰らぬ人となった。


 アルベエラは呆然と侍女の言葉を聞く。


「そう、お父様もお母様も」

「はい、身体に斑点が。王太子殿下と、第二王子殿下も高熱が出ているそうです」


 侍女の手が震える。病魔と共に生活をしているのだ。恐くないわけがない。アルベエラは己も熱が出ている気になって、何度も額に手を当て確認した。


「それで、他に症状が出ている人はいるかしら?」

「はい、毒味を担当していた者が三人」


 現在、死病に効く特効薬は開発されていなかった。発病したら最後、死を待つだけだ。斑点が出た時点で、国王と王妃の命は数日であることが決定した。


 アルベエラがいくら望んでも、両親に会うことは許されない。王位継承権を持つ者で、彼女だけが唯一症状が出ていないからだ。今、指導者を失えば、この国は沈む船となろう。それだけは、何としても防がねばならなかった。


「おかしいわ。何故、お父様方だけが病気に掛かるの?」


 宴の前後には、旅芸人に接触した者も多い。しかし、その使用人は一人として症状が出ていなかった。


 そして、王族の中でアルベエラだけが発病しない。いつ発病してもおかしくない不安の中、気づいたことを紙に残していく。


「お父様、お母様、お兄様方……そして、毒味役……」


 アルベエラはゆっくりと瞼を閉じた。宴の日の行動をゆっくりと思い出す。


「共通点は、食事……?」


 アルベエラは大きく目を見開く。そして、止めた手を再度動かした。紙の切れ端にただただ記していく。


 全てを書き終えたアルベエラは、部屋をぐるりと見渡した。大きな窓に掛かるカーテン。温もりの消えたベッド。そして、お気に入りの長椅子と、クッション。


 アルベエラは、無造作にクッションを掴むと、その端を裂いた。クッションの中に詰まっていた物の半分を引き抜くと、代わりに書き終えた手紙を詰め込んでいく。分割された手紙は、一つ一つ丸められてクッションへと姿を変えた。


「良い? 貴女はこの隠し通路を通って、宮殿の外に出なさい。そして、真っ直ぐ南に向かうの」

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