第24話 声の主
アルベエラは騒がしい宮殿を眺めながらゆっくりと歩く。行き交う人々は、彼女を見かける度に立ち止まり頭を下げる。宮殿で働く者達が忙しければ忙しい程、彼女の行動は優雅に見えた。
煌びやかなドレスは王族の誇りを示すように。真っ赤な唇は、他を寄せ付けないように。
「春乞の宴に、クライット公爵家は不参加となった」
アルベエラがその情報を耳にしたのは、偶然のことであった。いつものようにふらふらと行くあてもなく、宮殿の廊下を歩いている時のこと。宴の準備に駆り出されていた使用人達の会話で知ることとなった。
王族のみで行われる行事――春乞の宴。クライット公爵が生まれてからは、王位継承権を持つ者達とクライット公爵家が参加していた。
前国王、アデル三世は退位してから腰痛を理由に一度も参加をしていない。それは、春乞の宴に参加する度に、公妾リエーネを思い出すからだと誰もが推測している。実際には、冬は冷えからくる腰痛が悪化するだけなのだが。
「クライット公爵家に何か有ったのかしら?」
「アルベエラ様」
使用人達が次々と頭を下げる。使用人にとって、王女アルベエラは簡単に目を合わせて良い相手ではない。
「面を上げて良いのよ。質問に答えて下さる?」
「はい。何やらクライット公爵の体調が芳しくない御様子でして、リンリエッタ様も看病の為此度の宴には不参加を決めた様でございます」
「そう。煩わせたわね。行って良いわ」
使用人達は一度頭を深く下げると、逃げるようにアルベエラの元から去って行った。アルベエラは、そんな彼等の背中を見送りながらため息を漏らす。
「リンリエッタ……」
アルベエラは小さく眉根を寄せて、廊下の外を見た。四角く切り取られた世界には、南の郊外の様子は写し出されていない。葉を失った木々が騒めくのみだ。
アルベエラはリンリエッタから内々に届いた最後の手紙を思い出す。
孤児を雇い続ける『侯爵様』の存在。そんなことをすれば、少なからず噂になる。しかし、彼女の耳にはその様な侯爵の噂は入ってきてはいない。アルベエラは何かを探す様に、宮殿の中を歩き回った。
「何故だ! 何故来ない!」
突然漏れ聞こえた声に、アルベエラは足を止めた。ここは宮殿の端の端。人も通らぬ物置ばかりの場所だ。聞いたことのある声に被せるように、年若い声が重なる。
「お静かに。誰かに聞かれては危険でございます」
ボソボソと声が小さくなる。アルベエラは耳をそばだてた。
「ええい、計画が台無しだ! 無理にでも連れて来れぬのか!」
「しかし、正式な書状での辞退。我々にはどうすることもできません」
「クライットは邪魔だ」
男の声は苛立っていた。音量を下げた声も、すぐに大きくなる。対してもう一人の声は、少しばかり落ち着いていた。
「落ち着いて下さい。このまま実行しても目的の半分は問題なく達成できるでしょう。まずは屋敷を探って参ります」
何度も男を宥(なだ)めるが、それでも男は苛立ちを隠せない。
「どいつもこいつも使えん! あいつめ。大事な時にリンリエッタに手を出しおって」
「旦那様、落ち着きなさいませ。大切なご子息ではありませんか」
「あんなの、顔だけが取り柄の馬鹿だ」
「そんなに叫んでは、誰かに聞かれます」
アルベエラの喉が鳴る。彼女は静かに左胸を抑えた。心臓が彼女の手を何度も叩く。息をするのもままならないというように、ゆっくりと呼吸をくりかえしていると、遠くからパタパタとこちらへ向かってくる足音がアルベエラの耳に飛び込んだ。
アルベエラは扉に押し付けていた耳を離す。そして、慌てて扉から逃げる様に離れた。
「まあ! このような場所でどうなーー」
見知った顔がアルベエラに声を掛ける。アルベエラは慌てて侍女の口を押さえた。アルベエラは宮殿に仕える侍女から情報を得ていた。彼女はその内の一人だ。アルベエラの事情など知らない彼女は、呑気な声を出す。アルベエラは扉を注視したが、声の主は現れなかった。
そんなアルベエラの様子に、侍女は何度も目を瞬かせる。
「猫……そう、猫がいたの。捕まえようと思っていた所だったのよ」
侍女の口から手を解いて、アルベエラは小声で思いついた良い訳を口にする。
「まあ、猫ですか。こんな所で珍しい。私の声で驚いてしまったのでしょうか。申し訳ございません。もし見かけたらお知らせしますね」
アルベエラの言葉を侍女は疑いもしない。納得顔で頷くと、慎重に囁くように声を出した。
「ええ、よろしくお願いね」
侍女の出現により、アルベエラはその場を離れなければならなくなった。あれだけでは情報が足りない。しかし、これ以上あの場に居続ければ、アルベエラどころか侍女にまで危害が及ぶ可能性がある。
アルベエラは仕方なしに、廊下を戻る。その時、扇を落としていた事にも気づかずに――。
アルベエラは、そのあと余念無く情報を得る為に宮殿を歩き回った。しかし、それらしき情報は手に入らず、お手上げ状態だ。そろそろ部屋で待つ侍女への言い訳も厳しくなって来る頃というところで、自室へと引き上げることを決意する。
既に陽も傾き始めていた。アルベエラの影がずっとずっと長く細くなる。
「探しましたぞ。アルベエラ王女殿下」
後ろから掛かる声に、アルベエラはゆっくりと振り返る。アルベエラの視線の先には、恰幅の良い男が立っていた。口角をこれでもかという程に上げ、三日月の如く目を細めている。アルベエラは聞き覚えのある声に跳ねる心臓を叱咤した。
「宰相。こんな所で何か?」
「そう嫌な顔をなさいますな。私はただ、殿下に忘れ物を届けに参っただけでございます」
アルベエラの目の前に差し出されたるは、一本の扇。今朝、彼女が持って出かけた物だ。アルベエラは片眉を僅(わず)かに上げた。
「どちらでこれを?」
「物置きの方でございますよ」
宰相は、口角を上げたまま、アルベエラを見つめた。どこか探りを入れている様な瞳に、アルベエラの心臓は駆け足になる。彼女は一つ咳払いをすると、笑みを取り戻す。
「まあ、そんな所に有ったのね。探していたのよ。それはそうと、宰相。そのような所に何のご用事だったのかしら?」
アルベエラも探るような瞳で宰相を撫でた。アルベエラは好機とばかりに、笑みを浮かべる。
「その質問は私からもさせて頂きたいものですな。なにゆえあのような場所に殿下がいらっしゃたのか、教えて頂きたい」
「あら、宰相はおかしいことを仰るのね。まるで私の姿を見たようだわ」
アルベエラと宰相が笑顔のまま睨み合う。どちらとも一歩も引かぬ姿勢を見せた。しかし、足音が近づいてきたことにより、怯んだのは宰相であった。
「私は落とし物を届けたまで。お気を付けくださいませ」
「御忠告感謝します。でも、そちらの扇は差し上げてよ。私、床に落ちた物に興味ないの」
アルベエラは宰相に背を向けた。宰相からは何も言わない。ただ、頭を下げ、アルベエラが去るのを待つのみである。
駆け出したい気持ちを抑え、アルベエラはいつもの歩調で自室まで歩んだ。部屋で待って居た侍女が心配する程に顔は色を失っていた。慌てた侍女が何枚ものガウンを彼女に掛ける。しかし、アルベエラの身体はガタガタと震えてはいるが、寒さによるものではない。それは明らかな恐怖。
アルベエラは気づいていた。彼が、宰相があの声の主であると。
「リンリエッタ……」
アルベエラは親友の名を呟く。それは、虚しくガウンの中へと溶けていった。
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