第23話 ペリドットを持つ男

 リンリエッタは夜会の日から、社交を拒むようになった。幸か不幸か、クライット公爵が娘の結婚相手を探しているという噂のお陰で、数多くの招待状が届く。リンリエッタはその全てを開くこと無く投げ捨てた。


 クライット公爵は娘の将来を非常に心配している。社交が好きなリンリエッタが、残した僅(わず)かな遺産で慎ましやかに暮らすなどできるだろうかと。公爵家を継ぐにしても、女の身では叶わない。結婚は必要だ。このままクライット公爵が死ねば、爵位も領地も王家へと返還される。リンリエッタに男兄弟の一人でもいれば良いものの、彼女は一人っ子であった。


 しかし、クライット公爵の心配をよそに、リンリエッタは見合いに乗り気ではない。甘い言葉を投げかけられても気にも止めず、さらりと流す。社交には積極的ではあるが、出会いを目的としていないことは、明らかであった。


『ドレスとは結婚できないわ』


 クライット公爵は、執務室の大きな椅子に座りながら、娘の言葉を思い出す。そして、今までのことを少しずつ思い出ししていった。


「ペリドットのイヤリング……」


 リンリエッタの気に入りのイヤリング。少しばかり古いデザインのイヤリングをリンリエッタは数年前から大変気に入り、その日から毎日欠かさず下げている。ここ数年の流行の中心にいるのにも関わらず。


 以前、観劇の際に王太子セルブスはリンリエッタのイヤリングに触れて、こう言った。


『女が肌身離さず付ける宝石と言えば、愛する者の色と相場が決まっている』


 セルブスは自身の瞳の色を差したということは、想像に容易い。彼の深い緑はペリドットとは似ても似つかない色をしていた。クライット公爵は知っている顔を脳裏に映し出す。ペリドットの瞳を持つ、リンリエッタに近しい人間を。


「カイン」


 クライット公爵は大きく目を見開いた。いつもリンリエッタの後ろに佇むカインの持つ色はペリドットによく似ている。クライット公爵の顔が歪む。それは怒りを表していた。力任せに開いた扉に、近くに控えていた使用人たちは驚きの声を上げる。


「カインはどこだ」

「この時間なら、部屋かと。お呼びいたしましょうか?」

「いや、良い。私が行こう」


 カツカツと足音を立てて、クライット公爵は屋敷の廊下を歩いた。苛立ちが足音として廊下に広がる。


 その間、クライット公爵は今までの二人をただ思い出していた。クライット公爵は奥歯が砕けそうになる程、噛み締める。苛立ちで高鳴る鼓動に、何度も胸を押さえた。


 屋敷の端にある部屋の扉を、ノックもせずに勢い良く開けた。屋敷の端の部屋――カインの部屋だ。


「カイン! 貴様、娘に手を出したのか!」


 突然の訪問に、カインは驚き目を見開いた。驚きのあまり何も言えないでいると、沈黙は肯定と取ったのか、クライット公爵は更に目を吊り上げる。


 クライット公爵は、勢いのままに胸ぐらを掴んだ。


「答えろ! 娘を誑(たぶら)かしたのかと聞いている!」


 カインはやっとの思いで首を横に振った。しかし、クライット公爵は、納得がいかない。顔を歪ませて、怒鳴りつけた。


「私はお嬢様に手を出してなどおりません」

「ならば娘はなにゆえ結婚を嫌う? 貴様と一緒になりたいからではないのか?」


 カインはリンリエッタの想いを知っている。事あるごとに愛の言葉を紡がれているのだ。知らない訳がない。だから、クライット公爵の言葉に否定をすることが出来なかった。彼は、知らぬふりができる程、器用な性格ではない。


「貴様のせいで、娘は幸せを逃そうとしているんだぞ! 分かっているのか?!」

「私も、お嬢様の幸せを願っております」

「小賢しい奴め。貴様のような下賤の者に娘を幸せに出来る筈ないだろう!」


 クライット公爵は、カインが何と弁明しても怒りを収めることは無かった。屋敷の端で起こった騒動がリンリエッタの耳に入るまでには幾ばくかの時間を要する。


 リンリエッタが慌ててカインの部屋に辿り着いた頃には、カインは部屋の壁に背を預け、座り込んでいた。左頬を真っ赤に腫らして。


 クライット公爵は、扉を背に荒くなった息を整えている。上下に揺れる肩が痛々しい程であった。


「カイン? 大丈夫なの?!」


 リンリエッタは一目散にカインの元へと駆け寄った。彼が振り解こうとする腕をやんわりと窘(たしな)めながら、真っ赤に腫れた頬に手を添える。


「誰か、冷やすものを! 酷いわ、お父様。こんなことするなんて」

「リンリエッタ、その男から離れなさい!」

「いいえ、カインは私のものよ。お父様のご命令でも聞けないわ」

「リンリエッタ!」


 リンリエッタは頭を大きく横に振った。クライット公爵は苦しそうに顔を歪める。


「貴様のせいで、リンリエッタは不幸の道を歩いているんだぞ……雇ってやっている恩を忘れたのか!」

「お父様、怒鳴るのはもうやめて! 彼は何も悪くないの! ただ、私が彼を愛しているだけ!」

「止しなさい、リンリエッタ」


 クライット公爵は、リンリエッタの元へと歩を進めた。林檎のように赤く顔を染め上げて、温和な目元も吊り上げたままだ。しかし、彼は数歩進んだ所で、突然足をピタリと止めた。


 彼は苦しそうに眉根を寄せて、右手で胸元でクラバットを鷲掴む。上質なシルクで作られたシャツが、ぐしゃりと歪んだ。


「お父様……?」


 クライット公爵の様子に、リンリエッタは首を傾げた。彼はそのまま苦しそうに両膝をつく。娘の元まで歩む事すら許されず。


「お父様っ!」


 リンリエッタが彼の元へと駆け寄った頃には、意識を失って床へと倒れていた。リンリエッタの叫び声が部屋中に広がる。


「誰か、誰かお医者様を! お父様! お父様!」


 リンリエッタに成すすべは無く、ただ叫び続けるだけだ。カインが慌てて部屋を出た背中を呆然と見送った。


 その日より、クライット公爵は目を覚ましてはいない。

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