第22話 婚約者探し2

 リンリエッタは再度男を睨みつけた。その姿が男の心に火をつけるのか。男はリンリエッタの顎を掬いあげる。リンリエッタの耳から下がるペリドットが不安げに揺れた。


 男の左手が楽しそうにペリドットに触れる。


「本当に、この色は誰のものなんだろうね。セルブス殿下は自分の色だと言って回っていたけど、あれはもっと深い色をしているしね。ああ、男爵家のお坊ちゃんにこんな色の男がいたかなあ」

「お喋りな男ね。私、寡黙な人が好きなの」


 顔を歪めた男が、リンリエッタの頬を平手で打った。小気味いい音を立てて彼女の頬が赤に染まる。それでも彼女は、気丈にも男を睨みつけた。


「その目を見ていると、屈服させたくなるんだよ」


 リンリエッタの顔を大きな手が無造作に掴む。男は彼女の顔を無理矢理引き寄せた。そして、長い舌で彼女の白い首筋を舐めあげる。


「……イン」

「ん?」

「カインッ」


 リンリエッタは一際大きな声を上げた。どこにいるとも分からない、愛しい男の名前を呼ぶ。


「安心しなよ。誰もいない」


 男は厭らしく口角を上げた。アクアマリンの瞳には涙が溜まっていたが、未だ強く輝いていた。


「カインっていうのが男の名前? 残念だけど、誰もここにはいない。近づけさせない様に言ってあるからね」


 男が意気揚々とリンリエッタの胸に手を伸ばす。リンリエッタは唇を噛み締め、強くめを閉じた。――その時だった。男の肩が掴まれ、腹に一撃が加えられる。


「ぐっ」


 男の呻き声が響く。そして、リンリエッタは男の手が離れたことで、ゆっくりと瞼を上げた。リンリエッタの目の前には床に倒れる男の姿。そして、肩で息をするカインの姿があった。


「カイン!」


 リンリエッタは大きな目を、これでもかと言う程に大きく見開いた。リンリエッタが駆け寄ると、カインは彼女の頬を見て苦しげに眉根を寄せた。カインの手がリンリエッタの頬に触れる。普段は決して触れない手だ。まるでガラス細工に触れるかのように弱々しい。そして、その手は震えていた。


「申し訳ございません」


 リンリエッタは小さく頭を横に振る。リンリエッタには、カインが何に対して謝っているのか分からない。触れたことに対する贖罪(しょくざい)か、それとも助けることが遅くなったことへの謝罪か。


 リンリエッタの頬から手を離すと、カインは自身の上着に手を掛けた。彼女の震える肩を包み込むように、質素な上着が掛けられる。リンリエッタは小さく「ありがとう」と呟いた。


「部屋にお連れします」


 頬は痛々しい程赤く腫れあがっている。このままでは人前に出ることは叶わない。しかし、リンリエッタは小さく頭を横に振った。


「カイン、カイン……」


 リンリエッタは瞳に涙を溜めてカインの胸へと抱き着く。肩に掛けられた上着は床へと落ちていった。リンリエッタの涙がカインのシャツを濡らしていく。カインは微動だにせず、成されるがままだ。リンリエッタがカインを強く抱きしめると、観念したかのように、そっと彼女の肩を抱いた。


 カインの手によってリンリエッタが部屋へと送られた後、宰相の息子の所業はクライット公爵の知るところとなる。勿論、クライット公爵はそのことを知るや否や、夜会を中止し、屋敷の門を閉ざした。


 カインは自室で己の拳を握り締める。男からリンリエッタを救ったカインに、クライット公爵は感謝の言葉を何度も繰り返した。カインはその度に頭を横に振るばかりだ。


 ようやく解放されたのは、夜半になってからであった。リンリエッタのことが心配であったカインは、医者の「大丈夫」の言葉にクライット公爵らと共にホッと胸を撫で下ろす。ついでとばかりに医者に赤く腫れた手を診て貰った。


 カインの脳裏には、頬を腫らして涙を溜めるリンリエッタの姿が過る。夜会の間、カインは広間の端から使用人と共に、ずっとリンリエッタの姿を覗き見ていた。


「作ったドレスがどう舞うのか見てみたい」


 などというありきたりな理由に、使用人達は頷き、カインが覗きやすいように協力すらした。


 男に微笑む姿も、身体を寄せ合い舞う姿も全て見ていた。リンリエッタはカインに見せたことの無い顔で笑うのだ。


 リンリエッタが見知らぬ男に微笑む度に、締め付けられる胸を押さえる。それでも、カインは彼女から目を離すことはできなかった。しかし、リンリエッタが男と共に二階へと上がっていく姿を見た時、カインはとうとう背を向けてしまった。


 使用人達に礼を言い、部屋へと通ずる廊下を歩く。楽し気な音楽が遠ざかりはしたが、男を誘うように微笑むリンリエッタは脳裏から消えなかった。


 カインは何度も廊下で立ち止まり、振り返る。夜会で忙しいせいか、誰一人すれ違わない。


「もう一度、ドレスの具合を見に行くだけだ」


 カインは自身に言い聞かせるように呟くと、二階に通ずる階段へと向かった。そして、カインがテラスの近くへとたどり着いた時には、既にリンリエッタの頬は赤く腫れあがっていたのだ。その後の行動はカインもよく覚えていなかった。リンリエッタと男の姿を見て、頭に血が上ったことは確かである。


 カインは包帯の巻かれた拳を作業台に叩きつけた。作業台に置いてあった道具が、驚き跳び上がる。それでも、カインは何度も何度も拳を叩きつけた。包帯が次第に赤く染まっていく。

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