第21話 婚約者探し1

 クライット公爵は社交嫌いで有名だ。どの派閥にも収まらず、いつものらりくらりと誘いを躱(かわ)し、領地の管理ばかりしている。


 そんなクライット公爵が重い腰を上げた。南の郊外にある自身の屋敷で夜会を開くというのだから、貴族中が驚いた。老若男女、手当たり次第に送られた招待状は本物で、しっかりと蝶の紋章が捺されている。


 王都中が震撼した。探りを入れれば、二十になったばかりの娘、リンリエッタの婚約者候補を探しているのだという。


 娘のリンリエッタは、クライット公爵家の者とは思えない程、社交好きで有名であった。しかし、彼女は決して特定の恋人を作らない。全ての男を袖にして歩く。振られた男は数知れず。そんな彼女の婚約者候補を探しているとあっては、王都どころか国中の貴族が騒がしくなるのも無理はない。


 王家との繋がり、公爵家の豊かなの領地、リンリエッタの美貌と求心力。どれを取っても喉から手が出る程に欲しい物だ。しかも、クライット公爵は、貴族の子息であればその身分は問わないと言っている。


 本来ならば、リンリエッタは男爵家の子息が手を出せるような身分の女ではない。しかし、クライット公爵はそれを是としていた。


 条件はたった三つ。貴族であること。リンリエッタを愛していること。そして、リンリエッタに愛されていることだ。


 国中の貴族が南の郊外、クライット公爵邸へと集まった。十二分に広い屋敷の広間は人で一杯になる。どこか煌びやかな衣装を身に纏(まと)うのは、年頃の子息ばかりであった。そんな子息との出会いに期待した令嬢もそれとなく流行りの物を身に付けていた。


 リンリエッタの登場は多くの貴族達がクライット公爵に挨拶をした後、中盤に差し掛かった後であった。見合いを目的とした夜会と知って、リンリエッタが駄々を捏ねた等、招待客は知りもしない。


 一度離席したクライット公爵が、リンリエッタを伴って皆の前に現れた。広間に続く階段の上に立つリンリエッタに会場が沸く。リンリエッタは不満を一切顔に出さずにこりと笑う。そして、いつも通りの綺麗な礼を見せた。


 この数年で培われた笑顔の仮面はこういう時もいきるものだ。


 しかし、ペリドットのイヤリングが不満げに揺れている。


 リンリエッタは多くの男を紹介され、言葉を交わしダンスを踊る。彼女が舞う度に菫色のドレスが多くの者を誘った。皆が星屑の如き宝石に夢中になっている間に、リンリエッタはシンプルなバルーンスリーブのドレスを選んだ。


 リンリエッタは男に手を引かれ、ダンスホールの真ん中で舞う度に、会場を見渡す。たった一人を探す為だ。気もそぞろになりながら、リンリエッタは三人目の男の手を取った。目の前の男が愛を囁く。しかし、大して良い返事するわけもなく、リンリエッタは終始愛想笑いを浮かべた。


「おお、リンリエッタ様。本日もお麗しい」


 三人目の男の手を離れた後、見知った男がリンリエッタに声を変えた。リーデン侯爵。言わずと知れた、この国の宰相である。


「まあ、宰相。お久しぶりです」


 手慣れた様子で宰相がリンリエッタの指先に唇を落とす。良くある挨拶の光景だ。リンリエッタはその様子を笑顔のまま見つめた。


「我が息子達をご紹介させて下さい」

「ありがとう。でも、どちらも存じております」


 社交好きの宰相は、多くの社交場へと足を運ぶ。社交界へデビューしてからというもの、リンリエッタも様々な場所で顔を合わせてきた。その中で何度も二人の息子とは顔を合わせているし、何ならダンスを踊ったこともある。


「テラスから見渡す景色が美しいとお聞きしました。よろしければ見せていただけませんか?」


 宰相の次男が、リンリエッタをテラスへと誘う。リンリエッタは珍しくその誘いに頷いた。広間の中心からではお目当てのものは見つけられないからだ。男のエスコートを受けながら、リンリエッタは会場中を見渡した。


「麗しい女王は何をお探しかな?」

「気にしないで。随分人が多いと思っただけよ」


 リンリエッタはもう一度会場を見回した。しかし、彼女の目にお目当てのものは入っては来ない。


「私なら貴方の希望を叶えて差し上げられる」

「随分な自信家なのね」


 男がリンリエッタの髪を撫でる。彼女は逃げる様に舞った。


「我が家のテラスは自慢なの。案内して差し上げるわ」


 リンリエッタは男を階段へと導いた。その姿に、誰もが彼女の隣の席は彼で決まりだと思っただろう。男が彼女に近づこうとすれば、離れるように階段を駆け上がる。それすらも、会場にいた者達には恋人達のじゃれ合いにしか見えない。


 リンリエッタは階段を登りながら、振り返る。男を誘う為ではない。たった一人を見つける為に。しかし、テラスまでの道のりからも、リンリエッタのお目当ては見つからない。彼女は小さなため息を漏らした。


「テラスはこちらよ。どうぞご自由に」


 リンリエッタはテラスに続くガラス張りの扉を開く。まだ冷えた風が二人を撫でた。


「少し、テラスで話をしましょう」

「結構よ。私に話すことはないわ」


 男が扉を支えるリンリエッタの手首をつかむ。彼女は冷たくあしらうと、男は眉根を寄せた。


「ここまで誘っておいて?」

「勘違いしないで。私はテラスにご案内しただけ。一緒に行くとは一言も言っていないわ」


 冬の風よりも冷たいリンリエッタの声が響く。しかし、階下は騒めいて彼女の声は目の前にいる男にしか聞こえなかった。


「優しくしていれば良い気になって……」


 男の口から低い声が漏れる。リンリエッタは扉から手を離すと、一歩男から離れた。歪んだ男の顔は、いつも夜会で見せる優しい顔とは違う。


「人を呼ぶわ」

「どうやって? こんなに騒がしいのに」


 円舞曲(ワルツ)と人の笑い声が、階下から登ってくる。男は獰猛な肉食動物のように、リンリエッタを見下ろした。リンリエッタの瞳は気丈にも男を睨み返す。


「可哀想に。愛する男が会場にいた? 君の前に立つことも許されない身分の低い男なんだろうね」


 男がリンリエッタを追い詰める。一歩一歩近づく男から、リンリエッタも逃げる様に後ずさった。しかし、それを阻むように、壁が背に当たる。とうとう彼女を追い詰めた男は、わざわざグローブを脱ぎ捨て、武骨な手でリンリエッタの頬に触れた。リンリエッタの肩が僅(わず)かに震える。その様子を見て、男は嬉しそうに笑った。


「いつも皆にかしずかれて良い気になっている女が震える姿は可愛いね。口付したいくらいだ」

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