第19話 平民との恋1

 リンリエッタの元に新たな招待状が届いたのは、アルベエラの茶会が終わってすぐのこと。封筒に書かれた文字を見て、リンリエッタはすぐさま送り主が祖父、アデル三世だと気づいた。


 玉座を退いて尚、発言力を持つアデルは、王都の郊外、北にある離宮に身を寄せている。リンリエッタの住むクライット公爵邸とは正反対に位置しており、簡単に出向くことは難しい。リンリエッタはアデルの離宮を訪れる時は、決まって一泊してから帰っていた。


「カイン、どのドレスが良いと思う?」


 リンリエッタはカインを衣裳部屋に呼び寄せ、最近着た衣装を並べる。アデルに会う時、決まってリンリエッタは一度着た気に入りのドレスを選んだ。


「どのドレスもお似合いでございました」

「ありがとう。嬉しい」


 リンリエッタはカインの賛辞を素直に喜んだ。例え世辞だとしても、賛辞は嬉しいものだ。愛する人からだとすれば尚更である。


 ドレスの選出対象は、アデルに会った日から着たドレス全て。カインは可能な限り作り続けていたし、リンリエッタもそれに合わせて社交場に出ていた。アデルと最後に会ったのは半年前。その間だけでも何着もの候補がある。


 リンリエッタはカインと共に、その内の一着を一日かけて選び出した。初めて黄水晶(シトリン)の屑石を使用した夜空の如きドレスだ。何度も試着とドレスにまつわる思い出話を繰り返している内に、陽もあっさりと傾いた。リンリエッタが一着のドレスに決めた頃には、晩餐の時間を過ぎており、眉尻を下げた侍女に心配された程だ。


 それから数日後、アデルとの約束の日。リンリエッタは気に入りのドレスを身に纏(まと)い、馬車へと乗り込んだ。


 王都の南の端から北の端まで。リンリエッタの大移動は早朝から始まった。二人の侍女と数人の護衛。何着にも及ぶ着替えを運ぶ為、彼女を乗せた馬車以外にもう一台の馬車が用意された。


 馬車の揺れに合わせてリンリエッタも左右に揺れる。田舎道よりも幾分かマシではあるが、それでも車輪から伝わる振動は彼女を疲弊させた。北の離宮――水晶宮に着いた頃には、彼女の顔には疲労の色が見えた程だ。


 しかし、馬車から降り、離宮の入り口で祖父アデル三世の姿を見つけたリンリエッタは、すっかり疲れを忘れたように顔を綻ばせた。


「リンリエッタ、よく来たね」


 離宮の入り口でアデルはリンリエッタを笑顔で迎えた。本来なら彼はそのような場所で客人を迎えるような立場ではない。しかし、「儂はもうただの老いぼれ」と、止める使用人を振り切り、毎度愛する孫――リンリエッタを離宮の入り口で迎える。


 最近では使用人も諦め気味だ。しかし、一年に数回のこと。他に見られているわけでもないし、目を瞑ろうという判断だ。


「お祖父様っ!」


 リンリエッタは笑顔の花を咲かせて、走り出す。長いドレスの裾が彼女の足にまとわりついた。一度足を止めた彼女はドレスの裾を持ち上げて白くて細い足首を晒し、大胆に走り出す。アデルも合わせて白い大理石の階段をゆっくりと降りる。


 半ば飛び込む様にリンリエッタがアデルの胸に抱きついた。慌てた使用人がアデルを支えようと後ろから腕を伸ばす。アデルは弱くなった膝に力を入れながらも、目尻に皺を寄せた。


「おお、リンリエッタ。見ないうちに綺麗になったのう」

「まあ、お祖父様ったらお上手ね。たった半年では何も変わらないわ」


 リンリエッタは目を細めて笑い、アデルからそっと離れた。二人の間には、人一人分の距離が空く。アデルは彼女を頭の天辺から爪先まで眺めると、ゆっくりと頭を横に振った。


「いいや、半年前より随分と綺麗になった。まるで女神のようじゃ」

「本当? お祖母様より?」

「リエーネか。それはちぃっと早すぎるのう。足元にも及ばんよ」


 アデルは顎にこさえた白い髭を何度も触りながら笑う。リンリエッタは彼の答えに不満を表すように唇を尖らせる。肖像画でしか見たことのないリンリエッタの祖母、リエーネはリンリエッタにとって憧れの存在であった。


「この前はごめんなさい。本当はお祖父様とお話ししたかったの。でも……」

「なぁに。よいよい。リンリエッタも辛い立場じゃろうて。さあ、リンリエッタ。今日も沢山話を聞かせておくれ」


 皺だらけの手がリンリエッタの頭を優しく撫でる。彼女は目を細めて笑った。離宮に入る二人の後ろ姿を、使用人達は顔を綻ばせながら見つめる。


 アデルは退位後すぐにこの北の離宮、水晶宮へと移った。この離宮、五代前の国王の時代に建てられた王室専用の別荘である。アデル三世の時代は公妾リエーネが住んでいた。クライット公爵もこの水晶宮にリエーネが亡くなる十歳まで暮らしている。


 退位当時、リエーネとの思い出を追うように水晶宮へと移ったことに、眉を顰(ひそ)める者も多かった。それでもこの水晶宮以上にアデルが暮らすに相応しい場所が無い。一つだけ該当する場所が存在する。しかし、その場所は、クライット公爵邸のすぐ近くにある離宮であった。王位継承権を持たないクライット公爵が、アデルとの交流を密にし、力をつけることを恐れた者達が水晶宮での生活を後押ししたとも言われている。


「ほう、ではこのキラキラ輝いているのが捨てられる筈だった屑の宝石か。綺麗じゃのう」


 太陽の光が十分に入るよう設計されたサロン。大理石の床が太陽の光を受けて輝く。要所に置かれた鉢植えには、他国にしかない植物が育てられていた。


 広いサロンの中央には、小さなテーブルと長椅子。テーブルの上にはリンリエッタの気に入りの菓子が所狭しと並んだ。いつも食べきれない程用意してはリンリエッタを困らせる。


 アデルとリンリエッタは二人仲良く並んで長椅子に座った。


 リンリエッタが選んだドレスは月の女神の如きドレス。アデルはリンリエッタを手放しで褒めた。気を良くしたリンリエッタは立ち上がるとくるくると回って見せる。太陽の光を浴びて、星屑が輝いた。


「そうなの。カインが思いついてドレスに宝石を付けたのよ」

「すごいのう。すごいのう」


 アデルがドレスを褒める度に、リンリエッタが頬を緩める。彼女は、カインの作るドレスがどれ程素晴らしいものかをアデルに語って聞かせた。


「そうかそうか。リンリエッタはそのカインのことが大好きなのかのう」


 リンリエッタの動きがピタリと止まる。夜空の如きドレスを揺らし、眉尻を下げた。


「お祖父様。違うわ。私はドレスが好きなだけよ」


 力無く頭を振るリンリエッタに、アデルは優しい祖父の顔を見せる。


「儂には秘密にしなくても良いんじゃよ?」


 アデルのそれによく似たアクアマリンの瞳が不安げに揺れる。アデルは更に笑みを深めた。


「平民の男に恋をするのは御法度だと思っているんじゃな?」


 リンリエッタは顔を歪めて頭を横に振る。金糸の髪が揺れた。アデルは目尻に皺を寄せて彼女の頭を撫でる。


「よいよい。儂には秘密にしなくてええんじゃよ。好きなんじゃろう?」

「……好き。カインが好き。でも、駄目なんでしょう?」


 リンリエッタの瞳に涙が溜まる。今にも零れそうな涙は、雫となって頬を伝う。アデルの皺だらけの手がそっと頬を撫でた。


「駄目なわけなかろうて。気持ちに嘘はつけん」

「でも、お父様もお母様も皆、貴族と結婚するのが当たり前だと思っているのよ。どうして平民では駄目なの?」


 リンリエッタから両親や周りの大人達にカインへの気持ちを口にしたことはない。平民であるカインが公爵家の令嬢たる彼女には不釣り合いであるということは、彼女自身何となしに察していた。貴族は貴族、平民は平民と婚姻を結ぶ。それが世の常だったからだ。


 時折平民の娘を妻に迎えた貴族の男の話を耳にすることもある。そして、彼女もそんな女性と社交場で会ったことがあった。しかし、社交場に出るには行動や言動が目に余ることが多い。育ちの違いをどうしても感じてしまう。


 リンリエッタがカインと婚姻を結ぶことがあるとすれば、その苦労がカインへと降りかかることも彼女は理解していた。


 カインはリンリエッタのドレスを作る。そして、彼女はそのドレスを身に着ける。その関係が一番二人にとって安定した関係なのだ ということも十二分に理解していた。


 それで諦められる程、恋というものは簡単なものではないらしい。


「平民か。そうじゃのう。リンリエッタ。少しばかり昔話に付き合ってくれるかね?」

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