第16話 決意2

「え?」


 仲違い。それは、提案によってなされるものではない。リンリエッタの頬が引きつる。仲の良い従姉妹は何を言っているのか。リンリエッタは何度も長い睫毛を瞬かせた。


「私達、お互いに派閥を作るの。仲の悪い私達には別々の貴族が付くわ。それで得られる情報は倍になる」

「私が、独りでやるの?」


 不安げに揺れるリンリエッタの瞳は、強く頷くアルベエラを映し出す。「否」と言わせない強い瞳は、王族の血筋によるものか、それとも彼女自身の持った才能か。リンリエッタはこれでもかという程に眉尻を下げた。


「そうよ、リンリエッタならできるわ。貴女は貴族の中で最も王族に近いのよ?」

「その代わり、平民にも近いわ」

「そうね。それも味方に付けましょう。貴女なら、平民達からも情報を得られるわ」


 アルベエラは、良案だと言わんばかりに何度も頷く。彼女にとってこれは既に決定事項になっていた。しかし、リンリエッタは未だ不安そうにクッションを抱きしめるばかりだ。アルベエラは大きなため息を吐いた。


「それとも今まで通り、誰かの背に隠れて生きる? そんなんじゃ、カインの気持ちなんて手に入らないわよ」

「カイン……」


 リンリエッタの想いは未だ彼女の胸にしまわれたままだ。仕立て屋と公爵家の令嬢。それがカインとリンリエッタの関係を示す記号であった。


「叔父様を説得するより簡単よ。シナリオはこう。貴方は完璧で誰にでも愛される令嬢になるの。そんな貴女に王女アルベエラは酷く嫉妬する」


 アルベエラは簡単に言ってのける。リンリエッタには酷く無謀な計画に思えた。二人は些細なすれ違いから仲違いをし、今置かれている場所から抜け出す。そして、新たに情報を得る為の派閥を作るというものだ。 


「私達で何か変えられる?」

「さあ、分からないわ。でも、どこかで困っている子を助けることはできるかもしれないわ」

「それは親友の部屋で、お気に入りのクッションを抱きしめることと引き換えにする程の価値がある?」


 リンリエッタが手にしていたクッションをアルベエラに押し付ける。クッションを受け取った彼女は肩を竦めて笑った。


「あるわよ。人一人の人生を救えるかもしれないんだから。そんなにそのクッションが気に入っているなら、持って行っても良いのよ」


 アルベエラがクッションを宙に向かって放り投げる。クッションは弧を描いてリンリエッタの手元に戻って行った。


「いらないわ。ここに丁度良くあるから使っているだけ。私がいなくなった後も、思い出しながらこのクッションを濡らしても良いわよ」


 リンリエッタの手に戻ったクッションは、空いた長椅子に押し付けられた。アルベエラはその様子に肩を竦めて笑う。


「素直じゃないわね」


 アルベエラが声を出して笑うと、リンリエッタもつられて笑った。


「分かったわ。私、王女アルベエラ様に嫌われるようなご令嬢になってあげる」

「ええ、楽しみ。血を蔑むくらいしかできない位になってくれないと困るわ」

「約束」


 彼女達は、それから数か月の準備期間を経て計画を実行する。少しずつ会う日を減らしながら、連絡方法等の細かい事を決めていった。


 リンリエッタがカインに注文するドレスは、次第に派手になっていく。夜会で注目を浴びるように。そして、リンリエッタは持ち前の美しさを開花させていく。その頃から、アルベエラは貴族主催の夜会には殆ど顔を出さなくなった。周りの大人達は、安易に王女としての自覚が芽生えてきたのだと想像し、喜ぶ。アルベエラが社交場から消えると、次第にリンリエッタは社交界の華と持て囃(はや)されるようになる。


 勿論、リンリエッタは影での努力は怠らなかった。今まで以上に多くのことを学び身に着けていった。教養は武器になる。彼女の笑顔とカインのドレスは盾になった。


 そして、きたる宮殿で開催された大きな夜会。大勢の貴族の前で、二人は盛大な仲違いを披露した。それは、貴族達の間では今でも語り継がれるような大喧嘩であった。


「馬鹿な子。折角目を掛けてあげていたのに」


 アルベエラの顔が歪む。リンリエッタは生唾を飲み込みながら奥歯を噛み締めた。例え、演技だとしてもアルベエラの冷たい視線はリンリエッタの心を蝕んでいく。


「同情で付き合って頂かなくてもよろしかったのよ」


 リンリエッタは自身の声が震えていないことに安堵した。ここで演技だと露見すれば、今までの計画が水の泡だ。


「前から生意気だと思っていたの。卑(いや)しい血が流れているくせに、王族と同列と思われては恥ずかしいわ」


 リンリエッタとアルベエラの間にクライット公爵が割って入るまで、彼女達の罵倒は続いた。多くの貴族がその様子を静観している。


 その日から、リンリエッタは一度たりともアルベエラの部屋には訪れていない。会うのは宮殿での夜会か、アルベエラ主催の茶会くらいだ。


 リンリエッタの気に入りのクッションが今も尚、長椅子を占拠しているか否か、確かめる術は彼女には無かった。


「お嬢様、お嬢様」


 聞き慣れた声がリンリエッタの思考を明るくさせる。遠慮がちに揺さぶられ、リンリエッタは重い瞼を上げた。


「お疲れでしたらベッドに参りましょう」


 眉尻を下げた侍女が、リンリエッタの顔を覗き込んだ。


「やだわ……眠ってしまっていたの?」


 リンリエッタはクッションに身体を預け、夢の世界へと誘われていった。窓の外は既に暗闇が支配している。


「お疲れだったのでしょう」

「ありがとう。でもどうして?」


 侍女が起こさなければ、リンリエッタは朝までこのままだったかもしれない。そうなれば寒い冬だ。風邪を引く可能性だってあった。しかし、リンリエッタは侍女に「もう大丈夫」と伝えている。何も無く部屋を覗きに来ることは考えられなかった。


「カインがお嬢様に御用があるとのことです。もうお休みになっていらっしゃるかとも思ったのですが、一応確認に伺いましたら」

「私が椅子で眠っていたということね」


 リンリエッタは恥ずかしそうにはにかむと、侍女を仰ぎ見た。立ち上がり、肩に掛かるガウンをしっかりと前で合わせる。


「カインはまだ廊下にいるのでしょう?」

「はい。いらっしゃいます」

「私は大丈夫だから、呼んであげて」

「承知いたしました」


 侍女が頭を下げる。リンリエッタは彼女の後ろでしっかりと纏(まと)められた髪の毛を眺めながら、にこりと微笑んだ。


 侍女の姿を追えば、すぐにカインが扉から現れた。彼は青く美しいドレスを抱えている。


「カイン!」


 リンリエッタは顔を綻ばせてカインの元へと向かった。軽やかな足取りを眺めつつ、カインは礼を取る。深々と下げられた頭に、リンリエッタの歩みは止められてしまった。


「お疲れのところ、申し訳ございません」

「良いの。貴方のお陰で風邪を引かずに済んだもの」


 リンリエッタの言葉にカインは首を傾げるが、彼女の口から答えは紡がれなかった。すでにリンリエッタは、カインに抱えられたドレスに夢中だ。


「カイン、できたの?」

「いえ、まだこれからです。形を調節したいので、一度試着をお願いしたいのですが、明日以降が宜しいですね」


 時刻はまだ晩餐の真っ只中だ。遅い時間と言うわけではないが、一度試着をすれば調節の為に随分な時間が取られる。疲れているリンリエッタを付き合わせるわけにはいかないと、カインは今日の試着を諦めた。


「大丈夫よ。ねえ、貴女手伝って頂戴」


 リンリエッタは笑顔を返すと、部屋の端に控える侍女に声を掛けた。カインは心得たように、侍女にドレスを手渡すと、二、三注意事項を口頭で伝え、廊下へと出てしまう。


「よろしいのですか?」

「何故?」

「折角コルセットを脱ぎましたのに」

「良いのよ。試着は私にしかできない大切な仕事だわ」


 侍女は少し呆れた様に笑い、コルセットを用意した。寝台の柱につかまるリンリエッタの後ろから侍女は無遠慮にコルセットの紐を引く。リンリエッタの苦しそうな唸り声にも似た息遣いが部屋に響いた。出かける前では良くある光景だが、今は夜。侍女は不思議な感覚に囚われた。


「何年経っても、これには慣れないわね」


 リンリエッタはゆっくり息を吐きながら、ドレスに袖を通す。青のドレスはまだ装飾が一切付いていない。それでもリンリエッタの気持ちは弾んでいた。今日の疲れなど忘れたような笑顔を見せる。その笑顔に侍女も嬉しそうに目を細めた。


 カインが部屋に戻ってくると、リンリエッタはあっさりと侍女の退室を認める。カインは侍女の退室に目もくれず、ドレスの調節を始めた。リンリエッタはただ立っていれば良い。時折カインに指示を受けて腕を上げる。その程度だ。


「今日もずっとドレスを作っていたの?」

「それが仕事ですから」

「それもそうね」


 リンリエッタの肩が揺れる。カインは一度手を止め、彼女から数歩離れた。全体のバランスを見ているのは明らかで、リンリエッタは良く見せたい一心で、少しばかり緊張気味に背筋を伸ばす。


「お嬢様はお茶会だったと記憶しております」


 カインはドレスに待ち針を刺しながら、リンリエッタに声を掛けた。彼女は忙しなく動くカインの頭を眺めながら、小さく頷く。


「ええ、宮殿でね」

「王女殿下はお元気でしたか」

「いつも以上に元気だったわ」

「それは宜しゅうございました」


 カインは必要以上に詮索をしない。リンリエッタの言葉に耳を傾けることが殆どだった。だからだろうか、カインだけはリンリエッタとアルベエラの関係が悪くなる前と同じ様な反応を示す。


 五年前からカインは、宮殿から帰ってくると、同じ様に「お元気でしたか」と尋ねた。


「そうね。本当そう」


 リンリエッタは頷きながらも、スカートにできたドレープを嬉しそうに撫でた。

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