第15話 決意1

 リンリエッタとアルベエラは年が同じこともあり、従姉妹として物心つく頃から引き合わされていた。王位継承権を持つアルベエラと、王家の血を引く公爵令嬢のリンリエッタの身分に釣り合う令嬢は、他にそうそういない。彼女達の側に侍る令嬢達はいつも二人の顔色を伺っていた。嫌われないように、そして、家の為に。


 その小さな違和感が不信感に繋がり、二人の仲はより強固となった。大人の事情など知らないリンリエッタは頻繁に宮殿へと赴き、アルベエラと共に過ごすことも多かった。


 それはデビュー後の十六の夏まで続く。


「へえ~。それがカインのドレス?」

「そう。私の為に作ってくれたのよ」


 リンリエッタは社交場よりも先に、アルベエラの前で回って見せる。リンリエッタがまだ十五の頃の話だ。


 父、クライット公爵に許可を得て屋敷の一室を仕立て屋のカインに与えたのはつい先々月のこと。その日、アルベエラに見せたドレスはその記念すべき一着目であった。


「本当、リンリエッタはカインのことが好きねぇ」


 カインはクライット公爵邸に身を置く前から、リンリエッタのドレスを作っている。リンリエッタは新作が出来上がる度に、嬉しそうにアルベエラに見せていた。


「もう。そんなんじゃないわ」

「嘘。だって、今のリンリエッタはアンと同じ顔をしてるわ」


 アンはアルベエラ付きの侍女だ。二人よりも十も年上の彼女は、アルベエラの護衛を任せられている騎士の男に恋をしているらしい。


 リンリエッタはまだ咲いていない恋の蕾を揺らされて、長椅子のクッションに顔を埋めた。片目分だけずらしてアルベエラを見れば、ニヤニヤと揶揄(やゆ)するような顔でリンリエッタを見ている。


「でも、アルベエラだって、好きなんでしょ? サジット王子」


 隣国の第六王子であるサジットは、幼少からこの国にご遊学という名目で住んでいる。隣国は現在内戦が絶えず、幼い王子が暮らすには危険が付きまとう。彼の母親がこの国の令嬢であった縁で、内戦が落ち着くまでの間、サジットを受け入れることとなったのだ。


 宮殿に住まうサジットとアルベエラは度々言葉を交わしている。アルベエラよりも三つ上のサジットは、落ち着いた雰囲気のある美少年であった。


 サジットと会話をする度に、いつもより高い声で話すアルベエラを間近で見て来たリンリエッタには、すぐに彼女の気持ちが分かった。


「ええ、好きよ。だーいすき。私絶対彼と結婚するの」


 サジットとアルベエラ。身分のつり合いとしては悪くない。隣国の内戦が落ち着けば、貴族院もあっさりと了承するどころか、隣国との繋がりができるのだから、歓迎すらするだろう。


 リンリエッタは、そんなアルベエラの笑顔を眩しいものの様に見つめた。


「いいな」


 リンリエッタの口からは、素直な気持ちが零れ落ちる。その声をアルベエラは拾い上げた。


「ほーら、やっぱりカインのことが好きなんじゃない」


 リンリエッタは逃げるように、再度クッションに顔を埋める。「この話はもう終い」と言わんばかりの姿に、アルベエラは小さなため息を漏らす。そして、弓なりの眉を歪めて苦笑した。


「でも、なんでカインなの? ただの仕立て屋でしょ? もっと良い男なんて沢山いるじゃない」


 社交場に出たばかりの彼女達は、多くの男性と知り合う機会が生まれた。自身よりもいくつも年上の貴族など、サジットやアルベエラの二人の兄しか知らない。そんな中、多くの男と出会うのだ。普通ならば、平民の仕立て屋等よりも、目が行く筈だとアルベエラは首を傾げた。


「カインは素敵な人よ!」

「そう。私、ドレスは知っているけど、カインには会ったことが無いから分からないわ」


 リンリエッタ専属の仕立て屋と言えど、そう易々と宮殿に出入り出来る訳ではない。王室御用達とクライット公爵家専属では、格が違うのだ。


「カインは平民でしょ。ダンスだってしないし、エスコートもしてくれないのよ?」

「そんなことないわ。いつも私に勇気をくれるもの」


 アルベエラはリンリエッタの言葉に首を傾げる。平民であるカインに社交場に出る権利は与えられていない。現に、リンリエッタのエスコートは専(もっぱ)ら、父親が務めている。


「デビューの日、とても緊張していたらカインが言ってくれたの」


 それは、リンリエッタが社交界にデビューする日。舞踏会が宮殿で行われる日であった。真っ白なドレスに身を包むリンリエッタは緊張で肩を震わせる。その姿は、今では想像もつかない。緊張で冷え切った手を何度も温めていると、それまで佇んでいたカインが口火を切った。


『私はお嬢様に付いて行くことはできませんが、代わりにドレスがお嬢様を御守り致します』


 彼は決してリンリエッタの手を握り締めることはない。しかし、冷え切った手に少しずつ熱が流れだすのをリンリエッタは感じた。


「ふーん。じゃあ、カインとはいつも一緒ってことね」

「そう。確かにカインでは入れない場所が沢山あるわ。でも、カインのドレスはいつも一緒に居てくれるもの」


 リンリエッタは自身の小さな体を抱きしめる。少女の小さな想いにアルベエラは目を細めた。


「分かったわ。私、協力してあげる」


 アルベエラは楽しそうに口角を上げると、隣に座るリンリエッタを抱きしめた。リンリエッタが小さな悲鳴を上げながらも、笑い声に変わっていく。


 リンリエッタがアルベエラの顔色を窺う様に覗き込むと、彼女の笑顔が迎え入れた。


「何を?」

「勿論、二人が結婚できるようによ」

「アルベエラったら、気が早いわ」

「そうよね。まだリンリエッタは気持ちを伝えてもいないものね。じゃあ、カインが貴女の気持ちを受け入れたら一番に教えるのよ? 私が叔父様に口添えしてあげるから」

「分かったわ」

「約束よ」


 二人の約束は未だ果たされてはいない。リンリエッタはその後、カインに気持ちを伝える様になったが、彼はそれを袖にし続けたからだ。


 約束が果たされる前に、リンリエッタとアルベエラは親密に付き合うことを辞め、今の関係となった。


 それは、二人が十六となった春まで遡らなければならない。その頃には彼女達も社交に慣れ、夜会や茶会を多くこなす様になる。王女とはいえ、まだ年若いアルベエラは、お忍びと称した社交も簡単に許されていた。リンリエッタやアルベエラの周りには、いつも人が溢れていた。どれも懇意にしている貴族達だ。ダンスにも会話にも慣れた。そして、耳ざわりの良い言葉だけを掛けてくれる貴族達。


 慕われるのは悪くないと、彼女達はこのぬるま湯につかっていたのだ。


 しかし、彼女達の関係を変える大きな事件が起きる。それは、春の風が舞う季節であった。社交のため、領地から出て王都に身を置いていた数名の令嬢が誘拐されたのだ。リンリエッタやアルベエラも言葉を交わしたことのあるような令嬢だ。


 犯人はすぐに見つかり処罰された。しかし、誘拐された令嬢達はその日から領地へと帰り、その後一度も社交場へは顔を出していない。


 複数の令嬢達を誘拐した犯人は貴族の息子であったが、彼女達が相手にしたこともない様な男爵家の男だった。


 リンリエッタは自分のことの様に胸を痛めた。アルベエラの部屋に訪れて、いつの間にか気に入りとなったクッションを抱きしめる。


「私、何も出来なかったわ」

「私もよ。王女なのに、誰も守れなかった」


 リンリエッタの隣にアルベエラが腰かける。長椅子がギシリと鳴いた。気を利かせた侍女は、二人分の紅茶と簡単な食事をテーブルに用意すると部屋を後にする。リンリエッタとアルベエラは二人きり、ただただため息を漏らした。重い空気が部屋に充満する。


「ね、私達この先もずっと何もできないのかな」


 沈黙を破ったのは、リンリエッタの呟きであった。クッションに吸い込まれて消えそうになる声はどうにかアルベエラの耳にまでは届いた。


「そんなことないわ。もっと大人になったら……」

「大人っていつ? 私達もう十六よ? 次は私やアルベエラが標的になるかもしれない」


 リンリエッタの縋(すが)るようなアクアマリンがアルベエラを映し出して揺れる。アルベエラは彼女の瞳に映る自身の顔が不安で歪んでいることに気づいて震えた。


「私達には情報が足りないわ。この国のことをもっと知らないと、今回のようなことは防げない」

「でも、どうやって?」


 リンリエッタやアルベエラの周りには、いつも似たような顔ぶれが並ぶ。今までは二人とも彼らの噂話ばかりに耳を傾けていた。


「もっと多くの人と言葉を交わす……とかかしら?」

「でも……」

「分かっているわ。私達の周りにいるのはいつも同じ大人ばかり。これじゃあ駄目ってことよね」


 アルベエラが腕を組み考え始めた。リンリエッタも視線を彷徨(さまよ)わせながら考えを巡らせる。


 社交場に出る様になって、二人にも気づいたことはいくらかある。彼女達の取り巻く環境は少しばかり異常で、守られているような、閉じ込められている様な錯覚に陥るのだ。


 社交界にも派閥はいくつか存在する。彼女らを取り巻く宰相らの派閥などがそうだ。彼らは独自の情報網がある。派閥の外に重要な情報は漏らさないのが鉄則だ。


「派閥に入るのでは駄目ね」


 リンリエッタは自嘲気味に笑う。派閥に入れば、利用されるだけ。耳ざわりの良い言葉ばかりを聞かされて、不味い内容は隠される。


「そうね、派閥を作るくらいしないと」

「派閥、私達に作れるかしら?」


 リンリエッタは自身を抱きしめる。言葉巧みな貴族達の中で、その様なことができるのか、リンリエッタは自信無く眉尻を下げる。


 アルベエラは、目を見開きリンリエッタの肩をしっかりと掴んだ。上がった口角は悪巧みを思いついた子供そのもの。リンリエッタは僅(わず)かに眉根を寄せた。


「リンリエッタ。私達、仲違いしましょう」

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