第14話 金

「大丈夫ですか? お嬢様」


 馬車の中、リンリエッタの向かいに座る侍女が心配そうに顔を覗き込んだ。お茶会の場に連れて行ける侍女はたった一人。しかも、貴族の出でなければならない。リンリエッタは年の近い侍女を一人選んだ。クライット公爵家と繋がりのある男爵の家の三女である。リンリエッタよりも二つ程年下だが、よく気が付いてしっかり者だった。


「ええ、大丈夫よ。貴女も疲れたでしょう?」

「いえ、私は大丈夫です。お嬢様こそ、ずっと標的にされておりましたから私、心配で心配で」

「いつものことよ。大丈夫」


 リンリエッタは侍女を元気づけるように、にこりと笑って見せた。しかし、少しばかり顔色が良くない。その空元気に見える笑顔が殊更侍女を不安にさせた。


 アルベエラとのお茶会は彼女の血の尊さと、リンリエッタの血の卑しさに終始する。静かに控えていた侍女は、その心の内が煮え繰り返る程に苛立っていた。


「許せません。あの方はお嬢様のことを僻んでおいでなんです!」

「彼女をそんな風に言っては駄目よ。彼女にだって色々と事情があるのでしょう」

「お嬢様は何でそんなにあの方の肩を持つのでしょう? いつも酷い言葉ばかりですのに」


 リンリエッタがアルベエラを庇うと、侍女は目を吊り上げる。リンリエッタは己が叱られている気分で肩を竦めた。


「あまり怒っては駄目よ。眉間に皺が出来てしまうわ。それに、不敬だと訴えられたりしたら……」

「ここならよろしいでしょう? お嬢様以外は聞くことが不可能ですから」

「ここだけにして頂戴ね?」

「勿論です」


 侍女は唇を結ぶと、真面目な顔をして頷いた。その真剣な眼差しに、リンリエッタは笑みを漏らす。


「今日の姿見ました? 全身に金を塗ったようにギラギラしていて、品のない」

「彼女は金が好きだから」


 城で行われる舞踏会や、アルベエラの開くお茶会にはいつも金をふんだんに使ってくる。今日に限ったことではなかった。


「きっと、お嬢様の御髪が羨ましいのです」

「そうね、別に髪の色で身分が決まるわけでもないのに」

「そして、その瞳。お嬢様だけだとお聞きしました。前国王の水のように透き通った瞳に似ている瞳を持つのは」


 侍女はリンリエッタのアクアマリンの瞳を覗き込む。美しい湖の水のように透き通った瞳には、侍女が大きく映った。


 アルベエラのくすんだ金の髪は、殆ど茶色に近い。彼女自身が「金だ」と言っているので、周りも合わせて「金」と呼んだ。彼女は王位継承権を持つ王族唯一の女。リンリエッタと比べられることが多かった。


 本来ならリンリエッタの方が比べられる対象となる筈だったのだが、王族のみが使用を許されている金糸のような美しい髪と、前国王の血を濃く受け継いだと分かるアクアマリンの瞳がそうさせなかった。


 己よりも格が下である筈のリンリエッタと比べられること十数年。アルベエラの自尊心は酷く傷つけられているのは想像に容易い。彼女ができることと言えば、リンリエッタと比べて自分自身が上であると確認することくらいだ。


「目と髪の色で虐められていては堪ったものではないわね」


 リンリエッタは小さくため息を漏らした。その姿に侍女は眉尻を落とす。


 クライット公爵家は王都の郊外。城からでは馬車でもまだ遠い。侍女は場の空気を変えようと、視線をあちらこちらに移動させて、新しい話題を探す。彼女の視線がリンリエッタのドレスにたどり着いた時、嬉しそうに笑った。


「本日のドレスも素敵です」

「ありがとう。カインに相談したのよ。あまり目立たない物をと思ったのだけれど」


 落ち着いた紺色のドレスは、良くある形。別段変わったところはない。このドレスは、随分前にカインが仕事の合間に作ったドレスであった。特段派手な装飾はない。唯一存在を主張する大きなリボンが腰に付いている位であった。それもドレスと共布で作られている為、派手という程ではない。


「いいえ、さすがとしか言えません。お嬢様の美しさを十二分に引き出されております」

「そうかしら?」

「はい。お嬢様はお顔立ちが華やかですから、これだけ抑えられたデザインだと、反対にお嬢様の美しさが際立つと言いますか」


 リンリエッタはドレスの裾を持ちあげながらニコニコと笑った。


「ドレスをそこまで褒めて貰えるなんて、嬉しいわ」

「違いますよ。私は今ドレスではなくて、お嬢様自身を讃えたのです」


 侍女は頭を大きく横に振る。しかし、リンリエッタは楽しそうにドレスのスカートを弄るばかりだった。


 アルベエラの茶会は長く続き、リンリエッタが屋敷に戻って来た頃には、晩餐の時間に程近かった。リンリエッタは茶会で食べ過ぎたことを理由に晩餐を辞退する。屋敷で過ごす為の簡素なドレスに着替えたリンリエッタは、自室の椅子に腰を下ろし、息をついた。


 自室について尚、部屋には代わる代わる侍女が入れ替わり、世話をしていく。


「婆や。今日はもう大丈夫。少しゆっくりしたいの」

「本当にお食事はよろしいのですか? 軽食などお持ちしましょうか?」

「婆やは心配性ね」

「今日は大変だったとお聞きしましたよ。王女様と色々あったのでしょう?」


 着いて早々、侍女達は情報を共有したのだろう。侍女の情報網も侮れないと、リンリエッタは苦笑を漏らした。


「昔はあんなに仲が宜しかったのに。本当、寂しいですね」

「仕方ないわ。彼女には彼女の立場があるもの」

「そのようなものですかねぇ」


 年老いた侍女は、哀しそうに眉尻を下げる。


「では、何かあればベルでお呼び下さい」


 リンリエッタの着替えを手伝った侍女は、静かに退室した。リンリエッタの他には、誰もいない。


 リンリエッタは部屋で一人、小さく折られた紙を広げていった。読めるか読めないかで書かれた文字は、意味の無い文字の羅列。ただの落書きにしては、細かく、手紙にしては文章の形を成してはいなかった。


 リンリエッタはその意味の成さない言葉の羅列に目を通す。最後まで巡らせると、すぐに蝋燭の火へと落とした。


「さすがに今日のはやり過ぎよ。アルベエラ」


 リンリエッタの言葉は窓の外へと向けられる。四角く切り取られた窓は薄っすらと雲が見える程度であった。リンリエッタは椅子に置かれたクッションに上半身を埋めながら、ゆっくりと瞼(まぶた)を閉じる。

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