第13話 王女アルベエラ2
アルベエラは、「ほほほほほ」と笑いながら、白地に金糸の刺繍がふんだんに入ったドレスを揺らした。最近流行りのバルーンスリーブと散りばめられた屑石のドレスは、今日の為におろしたものだ。
反対に、リンリエッタは落ち着いた紺色のドレスを身に纏う。クリノリンで広げたスカートも、控えめな胸元も、手首まで覆う袖もこの国では良くある形のドレスであった。
アルベエラを挟んで、彼女のお気に入りの令嬢が二人座る。彼女達もまた夜会では選ばないような落ち着いた色のドレスを選んでいた。
城の一室がお茶会の場として飾り立てられている。目がくらむような煌びやかな装飾に、二人の令嬢が賛辞を送った。アルベエラは満足そうに扇を揺らす。
「二のお兄様の婚約が済みましたでしょ。わたくしも、そろそろ婚姻をと急かされておりますのよ」
「あら、アルベエラ様程の方のお相手となると、他国への輿入れになりますわよね。そうなると寂しくなりますわ」
「ええ、そうね。王位継承権を持つと婚姻にも貴族院の承認が必要でしょう? 本当は愛する方と……とも思うのよ。でも、なかなか難しいのよね」
「まあ、お辛いですわね」
リンリエッタは静かに茶番劇を遠くから眺めていた。上座と末席では簡単に会話をすることは難しい。用があるときは、アルベエラの方からリンリエッタに声を掛けるのだ。それまでリンリエッタに出番はない。隣のリーデン侯爵夫人や、緊張で微動だにしない逆隣の令嬢と話すしかない。
アルベエラのお茶会は面倒を極める。ティーカップを持つのは、アルベエラが持った後。目の前の菓子も全てアルベエラが手を付けたら続くのだ。全て彼女に合わせて動かなければならない。
しかし、リンリエッタはそのような暗黙の了解など気にも止めず、皆がアルベエラの言葉に耳を傾ける中、温かい紅茶を口に含んだ。
「その点、リンリエッタさんは良いわよねぇ」
アルベエラの高い声が会場に響く。茶会に参加した令嬢や夫人達が一斉にリンリエッタに目を向けた。リンリエッタは多くの視線を受けて、ティーカップをテーブルに戻す。揺れる紅茶にリンリエッタの笑顔が映った。
「どういう意味でしょう?」
アルベエラは、ほぅっとため息を漏らすと、金で飾り立てられた豪華な扇で口元を覆う。リンリエッタは、小さく首を傾げた。
「リンリエッタさんは自由に婚姻ができるじゃない。羨ましいわぁ~」
アルベエラは挑発的な目をリンリエッタに向けた。しかし、リンリエッタは笑顔を絶やすことはしない。
アルベエラを挟んで座る令嬢が二人視線を絡めながら、その場を取り繕う言葉も出ず困った様に笑った。周りに座る夫人達もこの場をどうして良いか分からず、誤魔化すように口角を上げる。リンリエッタの隣に座るリーデン侯爵夫人だけは、少しばかり不快そうに眉を顰(ひそ)めた。
「そうですわね。アルベエラ様のように自由が無くなってしまったら、私は今頃苦しくて死んでしまっていたかもしれません。私にはこの身分で充分すぎるくらい」
王位継承権を持つ者の行動範囲は限定される。貴族の催す夜会や茶会には自由に行くことはできなかった。
カインのドレスを着て社交場に行くことを楽しみにしているリンリエッタには、考えることもできないような苦痛である。「自由」と称される身分ですら、カインとの恋は成就していない今、王位継承権などリンリエッタにとっては無用の長物であった。
「リンリエッタさんは踊ることがお好きですものね。貴女のお祖母様に似て」
アルベエラの言葉で会場の空気が凍る。リンリエッタの祖母が、前国王の公妾であったことは、この国の貴族の間では有名な話だ。彼女は、リンリエッタやアルベエラの祖父である前国王アデル三世の公妾でありながら、身分は平民であった。神の元で誓いを立てる王妃と違い、公妾は貴族院の承認を必要としない。アデルは息子――現在の国王が生まれてすぐに彼女を公妾として迎え入れている。
前国王の愛情は全てこの平民上がりの公妾に注がれていたことを想像するのは容易い。平民の血を卑しい血と嫌う貴族も多い。貴族は神に選ばれし者であると考える者も多い中、貴族の中で最も地位のあるクライット公爵の半分は平民の血が流れている。その大きな矛盾は貴族達の関係を少しずつ歪めていく。いつしか、前国王の公妾の話は禁句となっていた。
アルベエラはわざわざ部屋の奥から、リンリエッタの席まで歩を進めた。周りの貴族達の固唾を飲む音が聞こえそうになる程、部屋の中は静まり返っている。
アルベエラが隣に立とうとも、リンリエッタは澄ました顔でティーカップを口元に運ぶ。アルベエラの冷たい瞳がそんな彼女を刺した。
アルベエラの手にある閉じられた扇が、リンリエッタの顎を掬(すく)いとる。顔を無理に上へと導かれたリンリエッタは、僅(わず)かに眉根を寄せる。
「お祖母様のように皆様に踊りを披露なさったら? この部屋を少しの間、貸して差し上げてもよろしくてよ?」
「お気遣いありがとうございます。けれど、このお茶会はアルベエラ様のための会ですもの。私が目立っては申し訳ないわ」
リンリエッタがやんわりと、アルベエラの扇を右手で振り払う。扇はアルベエラの手から零れ落ち、柔らかな絨毯の上へと転がった。
慌てた侍女が静かにそれを拾い上げ、アルベエラの元へと差し出す。
「あら、床に落ちた物なんて要らないわ。良かったらリンリエッタさんに差し上げましょうか?」
アルベエラの隣に侍る侍女は困惑の表情で手に持つ扇と、リンリエッタ、そしてアルベエラに視線を移していく。
「ああ、駄目ね。だって、これ。金糸の刺繍が入っているもの。貴女は持つこともできなかったわね」
アルベエラが目を細めて笑う。そして、彼女は侍女に「捨てておいて」と言い放った。
「リンリエッタさんの大好きな踊り、いつ見せて頂けるか楽しみだわ。ねえ、そう思うでしょう? 皆さん」
アルベエラが声を出して笑う。声を掛けられた令嬢達は誤魔化すように笑い合った。リンリエッタの笑いが遅れて続く。彼女の笑い声に皆が一斉に口を噤んだ。
「違いますわ。私が好きなのは、踊りでもダンスでも無いのよ。ドレスの方」
リンリエッタはありきたりな紺色のドレスを、愛おしそうに撫でた。
その後も茶会はアルベエラとリンリエッタの静かなる戦いに終始した。皆、火の粉を受けないように鳴りを潜める。そんな中、リーデン侯爵夫人だけは、口にこそ出さないが不快感を露わにしていた。
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