第12話 王女アルベエラ1
五日後、太陽が昇り切る前にリンリエッタは宮殿へと足を踏み入れた。馬車寄せで待ち受けていたアルベエラ付きの侍女がリンリエッタを迎え入れる。彼女の案内を受けながら、リンリエッタは歩き慣れた宮殿の廊下を歩いた。
侍女が案内をする為に先頭を進む。リンリエッタはそれに従い後ろを歩いた。彼女の後ろには、彼女が連れて来た侍女が一人。宮殿で働く者達は、リンリエッタを見つけると、立ち止まり廊下の端で頭を下げる。そんな中、正面から歩いて来た別の侍女がリンリエッタに声を掛けた。
「クライット公爵令嬢リンリエッタ様。少々お時間よろしいでしょうか?」
凛とした声が廊下に響く。侍女の分際で正面から声を掛ける者は少ない。しかも突然の申し出だ。場合によっては侍女の主人に苦情が行くこともあるだろう。しかし、リンリエッタは優しく笑う。侍女の顔を見知っていたからだ。
「ええ、宜しくてよ」
リンリエッタが足を止めると、前後を歩いていた侍女も静かに立ち止まる。少しばかりリンリエッタから離れた場所で二人並んで背筋を伸ばした。
「水晶翁からの言伝がございます」
「まあ、お祖父様から? 何かしら?」
「久方ぶりにお会いしたいとのことでございます」
リンリエッタの祖父、アデル三世は玉座から離れて久しい。既に妻は他界し、公妾であったリンリエッタの祖母も随分昔に失っている。政(まつりごと)にも参加せず、趣味の絵画を嗜(たしな)みながら余生を楽しんでいた。仰々しい名前を嫌がり、王都の真北に位置する離宮――水晶宮に住んでいることから、『水晶翁』と呼ばれ親しまれている。
「お祖父様、こちらにいらしているの?」
「はい。午前中に国王陛下とのご会談がございました。リンリエッタ様が本日いらっしゃるとお聞きした為、お会いしたいと申しております」
彼は孫の中でもリンリエッタをよく気にかけ、時折使いを寄越した。リンリエッタが祖父とは言え、前国王に気安く会いに行くのは難しいからだ。アデルからの誘いとあれば、角も立たない。
侍女の言葉を聞き、アルベエラの使いの侍女が身を乗り出した。前国王であるアデルが相手では分が悪い。アデルが「どうしても」とリンリエッタを望めば、アルベエラ付きの侍女は、リンリエッタを主人の元まで連れて行くことが叶わなくなる。
アデル付きの侍女もそれを良く理解しているのだろう。数歩近づいてくる相手に対して不遜(ふそん)な態度だ。
しかし、二人の静かなる攻防をリンリエッタの笑顔が押しのける。
「分かりました。けれど、本日は別の御用件で伺ったの。お祖父様には後日離宮に伺わせて頂くと伝えていただける?」
「しかし……」
「折角お祖父様と会える日は、お祖父様に会う為のドレスで伺いたいもの。駄目かしら?」
リンリエッタはドレスの裾を摘まんで眉尻を下げた。彼女らしい理由に、侍女は納得顔で頷く。
「分かりました。そのようにお伝え致します」
「ええ。それと、美味しいお菓子で沢山お話ししましょうとお伝えして」
「はい。勿論でございます」
アデル付きの侍女が見送る中、リンリエッタは茶会の会場へと歩を進める。後ろ髪引かれる思いは、心の内に留めておいた。
案内された茶会の会場にリンリエッタは目を細めた。何かめでたいことでもあったのだろうかという程、飾り立てられていたからだ。
貴族の主催する茶会でも装飾や食事に力を入れる所は多い。しかし、リンリエッタが今目の前にしている会場は、それの比では無かった。
アルベエラの茶会は彼女の独擅場。彼女のお気に入りの令嬢達と、リンリエッタを呼びつける。ただただ続く自慢の数々と、リンリエッタを蔑むばかりの言葉。それをリンリエッタがただ笑顔で受け流すだけの行事だ。
それでも、王族であるアルベエラに気に入られたい貴族は多い。アルベエラは王妃や王太子のようにお忍びで夜会を歩くことが少ない。この行事は、多くの貴族達にとってはアルベエラに気に入られるまたとない機会であった。
今日のお茶会は急遽招集されたにしては、人数が多い。顔ぶれの殆どは、アルベエラに目を掛けて貰っている貴族の子女や夫人ばかり。
「クライット公爵令嬢リンリエッタ様。こちらにどうぞ」
リンリエッタは数ある席の中、一番入り口に近い末席へと案内される。既に到着していた数人の令嬢が気まずそうにリンリエッタから視線を反らす。そんな中、リンリエッタは気にも止めずにこりと笑顔を向けた。
「あら、素敵な席ね。入場される皆様のお顔
が良く見える特等席だわ」
本来ならば、リンリエッタはアルベエラの隣に座ってもおかしくはない。しかし、アルベエラ主催の茶会でリンリエッタが彼女の隣である上座に座ることは一度だって無かった。しかし、リンリエッタはいつも、気にしてなどいない言った風に終始笑顔で受け入れる。
周囲の者達は、決して口には出さないが、アルベエラとリンリエッタの静かなる争いであると認識していた。
「まあ、リンリエッタ様ではございませんか」
席に座るやいなや、リンリエッタは声を掛けられた。見慣れた顔にリンリエッタは笑みを深める。
「あら、リーデン侯爵夫人。ごきげんよう。夫人とこちらのお茶会でお会いするは初めてかしら?」
リーデン侯爵夫人は、宰相の妻だ。夫人もまた、家格には相応しくない席に案内された。――リンリエッタの隣の席だ。
しかし、それも致し方ないと言えよう。リーデン侯爵と王家は折り合いが悪い。いつも意見を衝突させていた。だからこそ、リンリエッタは夫人の登場に目を丸くする。本来ならば、呼ばれるような相手でもない。
「ええ、初めて招待状を頂きましたのよ。少し緊張しております」
「まあ。いつも堂々としていらっしゃる夫人とは思えない言葉だわ。お隣の席同士、仲良くしましょう」
リンリエッタの笑顔に、リーデン侯爵夫人はゆっくりと頷く。彼女の肩は緊張で少しばかり強張っていた。
リーデン侯爵夫人と一言、二言交わせば、次第に席は埋まっていく。招待客は皆、末席にリンリエッタの姿を見つけて、慌てて挨拶をした。アルベエラの登場は全員が揃った後。アルベエラとリンリエッタの仲が良くないことは、貴族の間ならば有名な話だ。アルベエラの姿が見えない今が、彼らにとって絶好の挨拶の機会であった。
遅れてきたアルベエラの登場に皆が膝を折る。入口近くに座っていたリンリエッタも例外ではない。
「本日はお招き頂きありがとうございます」
リンリエッタは、膝を軽く曲げ礼を取った。淑女の手本とも言える美しい礼だ。リンリエッタが畏まって挨拶をする必要がある相手など、この国には殆ど存在しない。
彼女は王位継承権こそ持たないが、王族の血を引いているのだから。
「あら、そんな畏まらないで。私達従姉妹じゃない。悲しいわ」
リンリエッタの目の前にいる女は、弓を引く様に口角を上げた。しかし、目は一切笑ってはいない。それどころか、どこか蔑むような目でリンリエッタを見下ろした。
彼女の名はアルべエラ。現国王と王妃の間に生まれた第三子である。正真正銘の王女であった。王位継承権は二人の兄の次に当たる第三位。
「従姉妹とは言え、私はただの臣下でございますから」
「そうねえ〜。貴方にもお祖父様の血が流れているのに、本当に可哀想」
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