第7話 カインの素顔2

 ジェイは店中に聞こえるような大きな声で叫ぶと、残りの酒を煽った。そのまま器を掲げ「おかわり!」と、声高く叫ぶ。


 新しい酒を手に入れたジェイは、溢れそうになる酒を口で受け止めてながら、カインの横に移動する。


 ジェイは、嫌がるカインのことなど気にも止めず、器を傾けながらカインの肩を抱くと、鼻と鼻が付きそうな程間近で息を吐いた。


 安い酒独特のキツい臭いが鼻に付く。カインは何も言わずに息を止めると、眉根を寄せた。


 酒が入れば饒舌(じょうぜつ)になる者は多い。ジェイもその類の男で、酔うための安酒を三杯飲み干した頃には、頰を染め上げ上機嫌になっていた。


 ここまでくれば、カインはただ頷いているだけで良い。最近チェルが子供ばかりでジェイのことを放ったらかしているという愚痴を、カインは五度程耳に入れた。


 文句を言いながらも、最後には惚気(のろけ)に変わっていくのだから、カインにとっては聞き損にも程がある。


「なぁ、お前もそろそろ身を固めても良いんじゃねぇの?」

「……俺のことは良い」

 自分自身のことをひと通り話し終えたジェイは、思い出したようにカインを指した。

「なーに澄ましてんだよぉ。もう、二十五だろ? お前みたいなのにはな、しっかり者のカミさんがいた方が良いに決まってる!」


 ジェイの手にある四杯目の酒が、宙に浮いて器に戻るのを眺めながら、カインはため息を吐く。ジェイは器に口をつけながら、「チェルはやらねーぞ」と大口を開けて楽しそうに笑った。


「忙しい」

「ドレスと結婚は別物だろ? 執事じゃねーんだ。結婚したって続けられる。お前が子供を生む訳でも無いんだからさ」


 執事はその役職故、そして彼等の矜持(きょうじ)の為に独身者が多い。しかし、カインはクライット公爵家に一室を頂いてはいるものの、決してクライット公爵家に仕える執事でもなければ、使用人でもなかった。


 結婚するのは自由で、クライット公爵家から受け取る金も大きい。カイン自身は無口だが、相手に恐怖心を与えるなりではない。屋敷内でも結婚相手には優良物件だと、使用人達の間では有名だ。


 ただ、仕事熱心故、部屋から余り出ないが為に、侍女達が声を掛ける機会を失っている事など、カインには知る由もなかった。


「お前に紹介したい子いるんだ。器量良し、性格よし、おまけに仕事はお針子だ! どうよ?」

「遠慮する」


 間髪入れずに返した言葉に、ジェイは口に含んだ酒を噴出した。カインの頬を濡らした酒は、雨の如く頬を伝い上着に滴り落ちる。カインは酷く不満そうな顔で頬に伝う酒を拭った。


「いやいや、一回くらい会ってみても良いだろ? チェルには劣るが、愛嬌もある」

「顔を気にしている訳じゃない」

「性格だって良いぞ? 何というかこう……相手を立てる子だ」

「そんなに良い子なら、あんたが結婚すれば良いだろう」

「おいおい、俺にはチェルっつー可愛い奥さんがいんの!」


 ジェイは大きな音を立てて空の器をテーブルに叩きつける。カインの殆ど手の付けていない酒が驚きで跳ねた。


「なーに、姫さんに操立ててるワケ?」

「そういう訳じゃない」

「確かにお前を有名にしたのは姫さんだ。恩に感じるのも分かるさ。けどよ、そろそろ良いんじゃねぇの?」

「確かに恩は感じている」


 リンリエッタは歩く広告塔だ。彼女が身に着けた物はたちまち流行る。リンリエッタ専属の仕立て屋が所属する店と聞いて、カインの師ゼスタの店は連日予約で一杯であった。


「屑石もさ、姫さんのお陰でただのゴミが売り物になった。その上、数日の間に価値が倍になった。俺も感謝してる。けどよ、俺はお前にも幸せになって欲しいんだよ」


 リンリエッタが夜会で屑石を散りばめた夜空の如きドレスを披露した次の日には、王都中のドレスサロンに注文が殺到した。注文を受けた仕立て屋はその日、どこにも売っていない屑石を求めて街中を走り回ったという。


 その日から、屑石は捨てられるだけのゴミから売り物に生まれ変わった。


 売れる物が一つ増えれば町の生活が変わる。ジェイにとっても、ゴミにしていた屑の石を売り物に変えたカインと、それを広めたリンリエッタは恩人だ。


「恩も充分返したんじゃねーの? べつに契約を切る訳じゃない。屋敷から出て家庭を持つくらいの自由、許されるだろ?」


 ジェイが赤ら顔で見つめる。カインは居心地が悪そうに何度か尻を動かした。それでも逃げられない雰囲気に、カインは顔を歪める。


 相当酒の回ったジェイは、すでに目が据わっていた。カインは答えをはぐらかすように、器を手にし、それを一気に煽(あお)る。喉を鳴らしながら胃に流し込む様子を、ジェイは溶けた目で眺めていた。


 酒が口の端からダラリと溢(あふ)れ、カインの首元を這う。そのことを気にも止めず、喉と胃を焼く安酒を煽った。


 全て一気に飲み切ると、ジェイが上機嫌に口笛を鳴らす。空の器をぞんざいに置いたカインの口からは、熱い息が溢れた。


「じゃ、またな」

「お、おい! 話の続きはどうした!」

「一杯(・・)付き合う約束だった筈だ」

「逃げるのか?!」

「悪いな。所帯を持つつもりはないんだ」


 カインは席から立つと、真っ直ぐに出口を目指した。カインを追いかける様に、ジェイも立ち上がったが、酒が足を引っ張る。覚束ない足は椅子に引っかかって、前に転がった。


 カインはそんなジェイを横目に、店員に飲んだ酒よりも多い金を掴ませる。


「あいつはまだ飲み足りないらしい。残りの金でたらふく飲ませてやってくれ」

「はいよ!」


 店員が元気よく返事をする。その奥で、ジェイが声を上げた。


「ジェイ、俺は充分幸せだ」


 出口を潜りながら、カインは片手を半端に上げて別れの挨拶をする。カインの背中からは「馬鹿野郎!」という挨拶が返ってきた。

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