第5話 リンリエッタの想い

 既に夜も更けた頃、クライット公爵とリンリエッタは屋敷に帰宅した。少数の使用人の出迎えを受けたが、列の端にカインの姿はない。そんな時は、決まって屋敷の端に与えたカインの部屋にいる。眠っている訳ではない。カインにその責務は与えられてはいない筈だというのに、彼がリンリエッタの帰りを待たずして、眠ることは一度だって無かった。


 リンリエッタが着替えもせずに屋敷の端の部屋に向かうのは、日常茶飯事だ。だから、リンリエッタ付きの侍女も何も言わない。心得ている彼女はリンリエッタの後を追わず、「お待ちしております」と頭を下げるのみだ。着替えが遅くなれば侍女の寝る時間も遅くなる。それでもリンリエッタはカインの部屋を訪れた。


「カイン、今夜のドレスも好評でした」


 リンリエッタはカインにドレスを見せるように、その場でくるりと回る。柔らかなシフォンがふわりと広がり宙に浮く。弾みで少しばかり白い足首が顔を覗かせた。それを笑うようにランプの灯りが反射して、ドレスの星屑が輝く。


 カインは目を細めたが、それがリンリエッタの笑顔の為なのか、ドレスの輝きの為なのかはリンリエッタには分からない。


「それは宜しゅうございました」


 カインはふわりとリンリエッタの肩にガウンを掛ける。カインがそのガウンを羽織ったことは一度たりともない。この部屋に良く訪れる彼女の為に、用意された彼女専用のガウンだ。


 それでも、カインの部屋で長く過ごしたガウンは、リンリエッタに彼の存在を感じさせるには十分だった。リンリエッタはガウンを手繰り寄せて鼻先まで顔を埋める。そして、ホッと息をついた。


「カイン、辺境伯は元気にしていらしたわ。死病はきっとすぐに収まるでしょう」

「今朝は大変申し訳ございませんでした」


 カインは深々と頭を下げる。リンリエッタは小さなため息を漏らしながら頭を横に振った。


「良いの。私はあなたのことを一つ知ることができたもの。今度、一緒にお祈りさせて頂戴ね?」

「お嬢様のお手を煩わせるわけには参りません」

「私がそうしたいの。良いでしょう?」


 リンリエッタの真摯な視線に、「駄目だ」と返すことができず、カインは眉尻を下げた。根負けした形でカインが頷けば、リンリエッタは目を細めて笑った。


「そうだわ。もう一つ報告があったのよ。きっと明日から星屑探しが始まるでしょう」


 機嫌の良いリンリエッタは、今日あったことを楽しそうに聞かせる。皆がこの小さな星に興味を示したことは、リンリエッタにとって胸を張って自慢できる成果であった。


 今朝、カインは出来上がったばかりのドレスを簡単に説明はしたものの、その先にある希望に関しては、彼女に一切漏らしてはいなかった。


 ただ、普段は捨てられる小さな宝石を使ってみたと言ったのみ。しかし、リンリエッタはたった一言で、カインの意図を汲(く)む。そして、彼の願い通り、捨てられる筈の物を商品へと変えた。


「お嬢様は宣伝が上手でいらっしゃる」

「これで皆の生活は、少し変わるかしら?」


 王都に暮らす平民の者が皆、豊かな暮らしをしている訳ではない。王都で生まれ、王都で育っただけで楽に暮らせる程甘くはない。その日暮らしを強いられる者も多い。


 そんな中、新たに金の種が見つかれば、潤う者も増えよう。新たな仕事を手にする者も出てくる筈だ。初めはドレスの装飾としてかもしれない。しかし、一度注目を浴びた屑石が、この先新たな発展を遂げることは容易に想像できる。


 リンリエッタは慈善活動を通して、そしてカインを通して平民との繋がりも多い。彼女は時折、己の家族のように街の者に心を砕いた。


「お嬢様のお優しい心に、街の者を代表して御礼を言わせて下さい」

「そんなの必要ないわ。私は素敵なドレスを着ただけ。ドレスに宝石がついていたからついつい口が滑って皆に自慢しただけよ。私が何もしなくても、この屑石は直(じき)に流行ったでしょう」

「いいえ、お嬢様があのドレスを着たからこそ流行るのです」

「煽(おだ)てるのが上手ね。このドレスを作ったあなたこそ褒められるべきなのに」

「事実を言ったまででございます。お嬢様のお美しさに、月も恥ずかしがって顔を隠しておいでではありませんか。これが証拠です」


 カインの言う通り、今夜はずっと曇り空で、月は雲の後ろに姿を隠していた。リンリエッタは何の気なしに窓を追ったが、しっかりと掛けられたカーテンが阻み、月の様子は窺(うかが)えない。


 カインがわざとらしくカーテンを開けた。室内の温かさが窓を曇らせる。カインの武骨な指が窓を何度か往復すると、示し合わせたかのように、月明りが漏れ出る雲の姿がリンリエッタの目にも届いた。


「あなたの賛辞は小説にも勝るわね」

「思ったことを口にしたまででございます」


 リンリエッタは、作業台の近くに置かれた椅子に腰かけた。暇さえあればカインの部屋を訪れる彼女の為に、用意された椅子である。部屋の主人であるカインですら座ることはない。


「カイン、作業を続けて良いのよ」


 夜半ではあったが、カインは針を手に持ち、ドレスと向き合っていた。まだ形はできていないが新作だ。カインは、少しばかり思案したが、リンリエッタの有無を言わせない瞳の強さに、針を持ち直した。


 リンリエッタはカインのドレスを作る様子を眺める。彼女はこれを密かな楽しみにしている節がある。


「次はどんなドレスかしら?」

「次は観劇用のドレスを」

「あら、あなたのドレスを着て行ったら、きっと役者よりも目立ってしまうわね」


 リンリエッタは声を出して笑った。カインの手にしていた生地が、目も覚めるような真っ青の布だったからだ。これが完成すれば、役者も裸足で逃げ出すだろう。


 カインは美しい青の生地を縫い合わせていく。リンリエッタよりも武骨な手が、繊細な仕事をする。彼女は静かにその様子を見つめた。カインは視線を感じながらも、細い針を器用に動かす。リンリエッタはその繊細な仕事の邪魔をしないように息を殺した。


 静かな時間が小さな箱に二人だけを閉じ込める。リンリエッタは熱のこもった目でカインを見つめた。


「ねぇ、カイン。私、あなたが好きよ」


 星が流れるよりも僅(わず)かな時間、カインの手が止まった。


「畏れ多いことです」


 器用に生地を縫い合わせながら、彼はリンリエッタに目も向けず、言葉を返す。彼女の告白も日常に良くある光景だ。カインも慣れたもので、柳に風。軽く受け流す。


 リンリエッタはそんな彼の態度に不満げに唇を尖らせた。


「あなたは私のことが好き?」

「勿論でございます」


 あまりにもあっさりとした返事に、リンリエッタの目が細められる。


「それは口付けしたい程?」


 時が止まったかのように、カインの手が止まった。彼の指先にある針だけがわずかに揺れる。リンリエッタの小さなため息が彼の時間を動かす。


「お嬢様と私では、住む世界が違います」

「あら。私達は同じ屋敷に住んでいる同じ人間よ」

「いいえ、流れる血の中身は天と地程に違いましょう」

「そんなことはないわ。私の血も、あなたと同じ赤色よ」

「色の話をしている訳ではございません」


 カインは何度も首を横に振った。一向にリンリエッタの期待する答えは返っては来ない。いくら質問を繰り返したとしても、愛の言葉を紡ぐ権利など、平民であるカインには与えられてはいなかった。


 最近では慣れ過ぎてしまって愛の告白劇も、本気のリンリエッタからしたら必死なものだ。気持ちは言葉にしなければ伝わらない。しかし、カインに贈るどんな言葉も右から左。左耳を塞いでも、口から抜けていってしまう。


 リンリエッタの告白の後には、カインはいつも血の話を持ち出す。リンリエッタは自分の力ではどうともできない己の血を呪った。


「私の努力が足りないのかしら」

「そのようなことはございません。お嬢様は聡明で麗しい。完璧なる存在でございます」

「そんなことないわ。だって、あなたに愛されていないもの」


 今度はリンリエッタが首を振る番だ。カインはその姿に眉根を寄せる。


「あなたは尊き血の流れるお方。私のような下賤(げせん)な者に愛を紡いでも幸せにはなれません」

「愛してもいない男の元へ嫁ぐのが、私の幸せだと言うの?」


 カインは押し黙る。彼が唇を噛み締めたことで、リンリエッタは後悔した。


「ごめんなさい、言い過ぎたわ。今日お父様にも結婚を急かされたから、苛立っていたの。あなたに当たっても意味がないのに。本当にごめんなさい。これではあなたに嫌われてしまうわね」


 リンリエッタの言葉に、カインは小さく頭を横に振って否定した。カインはリンリエッタの気持ちには応えないにも関わらず、「嫌い」だと突き放したりも決してしない。リンリエッタはいつも、嫌いだと言わないカインに甘える。僅(わず)かな望みを賭けているのだ。


「今日これ以上話しても、あなたを傷つけてしまいそう。今日は部屋に戻るわね。でも、覚えておいて、私はあなたを愛してる」

「お嬢様……」

「私はね、あなたのドレスのエスコートで夜会に出て、あなたのドレスとダンスを踊っているの。あなたは採寸の時以外は、絶対に私に触れないけれど、あなたのドレスは私を毎日抱きしめてくれるのよ」


 リンリエッタは目を細めて笑った。その顔が泣きそうな程歪んでいたが、アクアマリンの瞳に涙は溜めていない。カインの瞳(め)がゆらりと揺れる。それでも、彼女は言葉を続けた。


「いつか、あなたが私を抱きしめる為にドレスを作ってくれたら嬉しいわ。おやすみなさい。良い夢を」


 リンリエッタは、風のように去っていった。部屋に残った彼女の香りが、カインの鼻腔を擽(くすぐ)る。


 一人残されたカインは、強く唇を噛み締めた。

「ずっと昔から、あなたを抱きしめる為に作っております。リンリエッタ・・・・・・様……」


 唇からは、リンリエッタと同じ赤い血が滲んだ。

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