第4話 月夜のドレス

 準備に手間取ったリンリエッタは、夜会に少しばかり遅れて入った。それでも、彼女の周りにはあっという間に人だかりができる。


「リンリエッタ様のドレス、素敵」

「月の女神のようですわ」

「ありがとう、皆さん」


 リンリエッタは、女神の如く上品な笑顔を見せた。人が多く集まる夜会は、リンリエッタの独擅場だ。今日もまた、彼女を中心に会話は弾む。


 人々の注目を浴びながら、リンリエッタはペリドットのイヤリングを揺らす。


「本当に素敵。こんなにキラキラと輝いているドレス、初めてお目にかかりました」

「ええ、わたくしも。こちらは何でできておりますの?」

「ありがとう。これは、皆さんも良くご存知の物よ」


 皆、リンリエッタのドレスに釘付けだ。リンリエッタは得意げに笑う。今朝、リンリエッタも同じ質問をカインにしたばかりだ。小さな屑石は、少し離れて見ると光に反射して輝く程度。小さい物は近くに寄って見ないとその形を確認することは難しい。


「これは小さな宝石ですの」

「まあ! こんな小さな宝石売っているのを今まで見たことが無いわ」


 貴族の者達が小さな宝石を見たことが無いのも仕方ない。貴族を相手取る宝石商は、小さな宝石など扱っていないのだから。


「ドレスに宝石だなんて、初めて拝見しましたわ。まるで星のよう」

「ありがとう。私も気に入っているの。夜空のようでしょう?」


 婦人達に手放しで褒められた彼女はご満悦だ。彼女は今朝カインから聞き齧(かじ)った内容を復唱する。


「小さな宝石って希少ですのよ。加工できる職人がまだ少ないんですって」

「だから見たことが有りませんのね」


 リンリエッタの言葉に、婦人達は興味深々だ。詳細を聞きたくて仕方がないことが、リンリエッタにも伝わってくる。


「ええ、今回は私の専属の仕立て屋が、独自の伝手を使って入手したのよ。これからもっと流通すると良いのだけれど」

「わたくしもこんな素敵なドレスが着てみたいですわ。腕の良い職人を探してみようかしら」

「ええ、それが良いわ」


 リンリエッタが笑顔のまま頷いた。次の日には、王都中の職人に声が掛かるだろう。リンリエッタはほくそ笑む。彼女は自身の影響力を良く理解していた。


「そういえば、お聞きになりまして? また死病が流行っているらしいわよ」

「ガルタの村が閉鎖されたと聞きましたわ」

「リンリエッタ様もご存知?」

「ええ、十年前と同じ様に閉鎖して食い止めると聞いておりますわ。ガルタの村の者達が、早く健やかな生活を送れる様になると良いのですけれど」


 リンリエッタは神妙な顔つきで頷いた。ガルタの村は馬車で十日掛かる。病は馬車ではやってこない上に、村は閉鎖された。王都に住む貴族達にとって国内のことでありながらどこか他人事だ。


 十年前に流行った折も、村を閉鎖して食い止めたという話は今も有名だ。カインの話を聞いたばかりのリンリエッタは、我がことのように見たこともない村の平穏を祈った。


 社交場では多くの人と言葉を交える。婦人達に囲まれるとお洒落の話や噂話が多い。しかし、紳士と言葉を交わせば政治の話も難なくこなす。リンリエッタの幅広い知識に皆感嘆するばかりだ。


 お喋りを十分にした後は、ダンスの時間が待っている。リンリエッタが最も好きな時間だ。多くのダンスの申し込みを受けながら、リンリエッタは誰よりも目立つ場所で微笑み、優雅に舞う。


「今日もお綺麗だ」


 国一の色男と名高き宰相の次男が、リンリエッタの腰を抱き寄せながら微笑む。そんな男にリンリエッタは目を細めて笑顔を返した。


「ありがとう。素敵なドレスでしょう?」

「ああ、とても。私にこのドレスに似合うイヤリングを贈らせて欲しい」

「ごめんなさい。これが一番気に入っているの」


 リンリエッタがイヤリングにそっと触れる。


 嘲笑うように輝くペリドットが揺れた。リンリエッタの返事に、男の眉尻が下がる。


「では、これ以上に貴女を輝かせるドレスでは?」

「そんなドレスが作れるのは一人しかいないわ。だから、貴方では駄目ね」


 リンリエッタが笑みを深くする一方で、男の眉間には皺が増える。一曲を終える頃には、男は肩を落としていた。


 リンリエッタは茶会や夜会、人の注目を浴びる場所が大好きだ。それ以上に彼女の身を飾るドレスを愛している。ドレスを褒められると、自身を褒められる以上に喜び、目を細めて笑う。彼女は会話の端々で自身を飾るドレスを褒め讃(たた)えていた。


 その美しさ故に、彼女に近づこうとする男は数知れず。運が良ければ、公爵の地位や有り余る金、そして王家との繋がりまでついてくるとあっては尚更だ。しかし、彼女は簡単には靡(なび)かなかった。


 彼女はダンスの申し込みを決して断らない。必ず手を取り、ダンスホールの真ん中を独占した。どんな男も、彼女の手を取った時は意気揚々としているものだ。しかし、一曲が終わる頃には肩を落として帰ってくる。


 『月の女王』と謳(うた)われたたリンリエッタは、社交界に君臨する紛うことなき女王であった。王位継承権を持つ王族は、『お忍び』という名目を使わなくては、自由に夜会に出ることが許されなかった為尚更だ。


 目新しいデザインのドレスに身を包み、数多くのダンスをこなす。多くの人と言葉を交えたリンリエッタは、父、クライット公爵と共に夜会を後にした。火遊びをすることもなければ、誰か一人に熱を上げている様子もない。いつも堂々と人前に立ち、顔を売って帰っていく。


 彼女は社交には積極的だが、出会いを求めている訳ではない。ただ、目立ちたいだけなのだという噂が実(まこと)しやかに広まった。


 リンリエッタが夜会に参加する時のエスコートは、決まって父であるクライット公爵が務めている。他に誘いが無いわけではない。しかし、彼女は父にエスコートを頼み、全ての誘いを袖にしていた。


 夜会の帰り道。豪奢な馬車に揺られながら、リンリエッタとクライット公爵は向かい合って座った。


「リンリエッタ。君ももう二十。そろそろ結婚を考える頃だろう。どうなんだ?」

「あらやだ、お父様。私に特定の殿方がいるように見えて?」


 リンリエッタが肩を揺らして笑うと、クライット公爵は肩を竦めた。父親から見ても明らかである程に、彼女は誰かを目当てに夜会に参加している訳ではない。


 彼女は、揺れる馬車に身体を預けながら、夜の町に目を向ける。外の光を浴びて、金の髪がキラキラと輝いた。


「リンリエッタ、婚約でも何でもいい。そろそろ将来を考えなさい」

「お父様、クライット公爵位はお父様の代で終わりで良いでしょう?」

「ああ、もしもリンリエッタがどこかに嫁ぎたいというのであれば、爵位は陛下に返すつもりだ」


 婚姻の際形ばかりに与えられた爵位と領地。別に公爵位を継ぐ為に、無理をしてまで次男三男を選ばなくても構わないとクライット公爵は言った。しかし、リンリエッタはそんな父親の言葉に、曖昧に笑う。


「お父様。私、別にどこかに嫁ぎたい訳ではないのよ。ずっとあの家に居ては駄目?」

「君は自分が何を言っているのか、分かっているのかい?」

「私、別に結婚しなくても良いの。ずっと、ずーっとあの屋敷に住んで、ドレスを着てお茶会や夜会に出る。それだけが出来れば十分なの」


 リンリエッタは、困ったように笑いながら、ドレスのスカートを弄った。夜の如きドレスが、風のように揺れる。クライット公爵はそんな彼女の言葉に、大きなため息をつく。


「いいかい? 私はリンリエッタよりも早く死ぬ。そうしたらどうする?」

「私は小さな屋敷に移っても良いわ。小さな屋敷で女が一人暮らす程度のお金くらいあるでしょう?」


 クライット公爵が所持する領地からは、安定して収入が得られている。今の公爵家ならば、リンリエッタが死ぬまで困らずに暮らせるだけの金を残すことも可能だ。しかし、クライット公爵はそれを良しとはしなかった。


「君はどうして一人であることに固執する?」

「お父様はどうして結婚に固執するの?」

「質問に質問で返すものじゃないよ」


 父親の咎めるような瞳に、リンリエッタは眉尻を下げた。


「ねえ、お父様。ドレスとは結婚できないわ」


 リンリエッタはそれ以降、馬車の中で言葉を発することはなかった。馬車に身体を預け、揺れに身を任せる。父の物言いたげな目など、気にも止めない。

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