第3話 死病の噂

 夜会当日、リンリエッタは真新しいドレスに頬を緩めた。ご満悦だ。


 リンリエッタは、着替えを終えるとすぐさま鏡の前に立つ。そして、映る自身の姿を穴が空くほどに見つめた。カインは鏡の外で静かに佇むばかりだ。


 夜の空のような濃い藍色のシフォンを何重にも重ねたドレスは、胸のすぐ下で切り替えされたエンパイアスタイル。袖のないラウンドラインは、同じ藍色のレースで作られていた。切り返しには、夜空に輝く星のように、大小様々な黄水晶(シトリン)が散りばめられている。


 それは、リンリエッタがカインに注文をつけた『月の女王』に相応しいドレスであった。


「素敵」


 リンリエッタは嬉しそうに鏡の前で何度もくるくると回った。何層にも重なるシフォンが彼女の気持ちを表すようにフワフワと踊る。しかし、カインの表情はリンリエッタのものとは反対に沈んでいた。


「カイン、疲れているのでしょう?」


 カインはいつも数日は余裕を持たせて仕事を終わらせる。しかし、今回ばかりは違っていた。当日の朝、目の下にできた隈と共にドレスは届けられた。


 くっきりと浮かぶ隈は、ドレスの為に寝る間を惜しんだことが表れていることは、リンリエッタにも簡単に想像ができた。


 しかし、カインはリンリエッタの言葉に頭を横に振る。


「お嬢様、本日の夜会には遠くからお越しになる方はいらっしゃいますか?」


 カインが他の貴族に興味を示したことは余りない。彼の言葉に、リンリエッタは笑顔のまま首を傾げる。


「そうね……。この時期なら、辺境伯がお見えになるかもしれないわね」


 冬は社交が活発になる。その時期になると、国境の領地を守る辺境伯も領地を離れ、社交場に顔を出すことがあった。特にここ数十年は戦争もないことから、国境付近も然程緊迫した状態ではないからだ。


 リンリエッタはカインの質問に対して何の気なしに答えた。しかし、彼女の言葉を受けたカインはあからさまに動揺していた。


「ねえ、今日のあなたは少しおかしいわ。どうしたの?」


 カインの瞳には心配そうに覗き込むリンリエッタの姿が映った。


「本日の社交を中止にすることはできませんか?」

「突然何を言い出すかと思ったら。本当にどうしたの?」


 カインがリンリエッタの予定に口を出したことは出会ってから一度たりともない。彼は常にリンリエッタの望むままにドレスを作ってきた。


「勝手な事を申し上げました。申し訳ございません」

「怒っているわけではないのよ。ただ、どうしてそんなことを言うのか理由が知りたいの」


 カインが深々と頭を下げる中、リンリエッタはそっと彼の肩に触れた。カインの肩が小さく震える。リンリエッタからでは、腰を折るカインの表情は見て取れない。


「言いたくなかったらいいのよ。でも、言葉にしてくれないと分からないわ」


 肩に触れた手が、弱々しく腕を撫でる。カインは静かに眉根を寄せた。そして、暫し考えた後、彼は小さく息を吐き、頭を上げる。


 カインの苦し気な表情と同調するように、リンリエッタも眉尻を下げた。


「ガルタの村で死病が流行っております」

「死病?」

「はい、もしも辺境伯が死病を患っていたら……」

「大丈夫よ。きっと辺境伯が自ら小さな村を訪れることなんてないわ」


 カインは見るからに顔色が悪い。リンリエッタは形の良い眉を寄せた。彼女の言葉に、カインは尚も頭を横に振る。


「絶対ではございません」

「ええ、そうね。でも死病は分かりやすい斑点が出るのでしょう? そんなものが出ていれば、辺境伯と言えど王都に入る前に止められてしまうわ」


 リンリエッタは子供を諭すように微笑みかけた。カインは彼女の言葉に頷くも、表情は曇るばかりだ。


「ねえ、どうしてそんなに死病を怖がるの?」


 リンリエッタにとって死病は小さな頃に両親から聞いた程度の絵空事に近い。カインが何故それ程までに死病を怖がるのかが理解できなかった。


「お嬢様は、十年前の死病のことを憶えていますか?」

「確か、どこかの村を封鎖して凌いだのでしょう?」

「村の名前は憶えていらっしゃいますか?」

「そうね、たしか――……」

「インバル」


 カインが抑揚の無い声で、呟いた。


「それって……」

「はい。私の生まれ育った村です。あれは十年前のこと……」


 カインは少しずつ言葉を紡いだ。彼にとっては思い出したくもない昔話だ。


 それは十年程昔の話。リンリエッタとカインが出会うよりも二年程古い記憶。


 カインはインバルの村で生まれ、育った。インバルの村は、この国の中でも端の村。高貴な身分の者など足も踏み入れたことのない程の高い山に囲まれた辺境の地。


 丁度十年前、今日のように冷たい風が残る日のことだった。インバルから山を越えた先の村にカインの祖父母が暮らしている。


 腰の悪い祖父母のために、カインは時折山を越え畑仕事の手伝いをしていた。


 その日のカインは、祖父母の元でひと月ほどを過ごす。あと三日もすれば村へと戻ろうかといった矢先のことだ。祖父母の暮らす村に報が届いた。


『インバルの村で死病が蔓延(まんえん)されたし。封鎖の為、近寄るべからず』


 帰りたいというカインの希望は虚しく却下され、次にインバルの村に戻ることができたのは、春の花が枯れる頃であった。


「……それで村はどうなっていたの?」

「皆、死にました。父も母も兄弟達も。隣の家で飼っていた犬も全て」


 リンリエッタは肩を震わせ、声無き悲鳴をあげた。


 カインの大きな体が小さく震えている。リンリエッタにも、手を通してそれが伝わった。


「あなたにそんなことがあったなんて知らなかった。五年も同じ屋敷に暮らしていたのに、あなたのこと何も知らないのね」

「面白い話でもありませんから」


 その後、カインの祖父母も一年足らずで亡くなる。身寄りのないカインは運良くお人好しのゼスタに拾われ、今の職を手に入れることができた。


 今まで、カインはリンリエッタにこのことを話したことはない。知っていたのはゼスタくらいで、友も、兄弟弟子すら知らなかった。


「つまらない話をして申し訳ございません」

「いいえ、悲しい話だけれど、あなたのことを知ることができて良かった」

「お聞き頂きありがとうございます」

「死病の恐れはわかりました。でも、大丈夫。王都は安全な所よ。私はあなたを置いていったりしないわ」


 リンリエッタは何でも無いという風に笑った。


「はい」


 カインが唇を噛み締めると、リンリエッタは彼の唇めがけて手を伸ばした。しかし、その手から逃れるようにカインが首を横に振る。リンリエッタの手は寂しく宙に浮いた。

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