第2話 仕立て屋カイン
次の日、カインは王都の中でも商業が盛んな地域へと足を向けた。材料を買い足す為、そして新しいドレスのアイディアを得る為だ。歩き慣れた近道を通り、最短距離を取った。多くの客引きの声を耳にも入れず、目的地を目指す。彼の向かった先は、小さな小物屋であった。
露店が並ぶ表通りの一つ裏。隙間なく詰められた古い家が並ぶその場所は、貴族が歩けるような場所ではない。その陰湿な場所には似合わない小物屋が端の方で商品を広げている。藁で作った屋根がかけられただけの所謂露店だ。
「おお、カイン。久しぶりだな!」
店番をしていた男は、カインの顔を見ると大きな口を豪快に開け、彼を歓迎した。男の名はジェイ。カインが王都に来た時からの友人であり、彼にこの町のことを色々と教えた兄貴分でもある。
カインの口は手程器用ではない。その為多くの誤解を受けてきたが、その度、間に入って仲を取り持っていたのは、ジェイであった。
クライット公爵家に一室を貰っても尚、カインは月に一度は顔を出している。
「頼んでいた物を頼む」
「相変わらず不愛想だな、お前は。久しぶりに会った友人に挨拶もなしか」
「……久しぶり」
「こういう時は、元気だったか? 仕事は順調か? くらい聞くもんだ」
「聞く必要の無いくらい、元気そうだが」
「ああ言えばこう言う。だからお前は昔から可愛げがないんだ」
「良いから頼んでいたやつを」
カインは面倒そうにジェイを見やる。しかし、彼は満足そうに頷くと、「着いてこい」と短く言って、立ち上がった。彼にとっては、ここまでがカインとの
ジェイは広げていた小物を寄せ集めると、無造作に家の扉の向こう側に押し込める。その雑さにカインは
「店は良いのか?」
「ああ、もう今日は客も来ないだろうよ」
ジェイの店は表通りの一つ裏。こんな所に客など来るものなのかと、カインは無言のままに首を傾げた。現にカインはこの店に客が来ているところを見たことがない。
ジェイがカインを先導する。家と家の間。人一人通れるか通れないか程度の道とも言えない道を通る。ジェイが家の壁に背を向けて、横向きに歩く。カインもそれに
この狭い道をカインは何度も通っているが、毎度肩を擦らせて壁の掃除をしていた。しかし、壁の方は一向に綺麗にならないのだから、擦らせ損だ。
狭き道が導いた先は小さな小屋。ジェイの仕事場だ。埃の層が出来上がった床は、ジェイがいつも通る道だけが色濃く浮き上がる。人一人横になっても問題ない大きな作業台は、色々な物が散乱していた。
「そこに座って待ってろ。どこやったかな~」
ジェイが指し示した椅子は、最後に触れられたのはいつなのだろうか。しっかりと埃のミルフィーユが出来上がっている。カインは眉根を寄せ、人差し指でクリームの如き埃を掬った。指先に乗った埃の量がカインの眉間に皺を重ねる。
「えーっと、針、針、針……」
その様子にジェイは気にすることなく、箱が積まれた壁際を捜索していた。カインは結局立ったままジェイの背中を眺めている。
「お、有った有った」
ジェイは声を弾ませながら、小さな箱をカインに手渡す。カインは無言でそれを手にすると、蓋を持ち上げた。汚い仕事部屋とは裏腹に、小さな箱の中には、真新しい白い布。その布に丁寧に包まれた細い針は、カインの仕事道具の一つだ。
ジェイの本業は鍛冶屋。六年前に父親の跡を継いだ。幼いころから父親の背中を見て育ったジェイは、王都ではそれなりに名の知れた鍛冶屋となった。鉄を使用した武器を主に取り扱っている。しかし、周辺国家との関係は緊張状態は続いているものの、戦争になるような決定打がない今、鍛冶屋の仕事は比較的余裕が有った。その為、趣味と実益を兼ねた小物を作り、家の前の露店で売っている。針はそんな折、カインが冗談混じりに頼んだものだった。それ以来、定期的にカインの為に針を作っている。
豪快な性格のジェイからは想像もつかない繊細な仕事に、カインはいつも感嘆のため息を漏らす。そして、カインは懐からいつもと同じだけの金を作業台に乗せた。
「いつも悪いな」
「そこは素直に『ありがとう』な」
ジェイは歯を見せて笑った。
「ああ、ありがとう」
「なーに。俺も儲けさせて貰ってます」
作業台に置かれた金(コイン)を一枚手に取ると、ジェイは宙に放り投げた。綺麗な回転を見せた金(コイン)を二人は目で追う。
勢い良く宙へ放たれた金(コイン)は、ジェイの手には戻らず、色々な物が散らばった作業台へと落ちていった。小さな小屋に、小気味いい音が響く。金(コイン)が弾いたガラクタが、衝動で作業台から逃げ惑った。
「あっちゃ~」
小さく輝いた石が作業台を離れ、埃が積もる床へと転がる。埃は石を包み込む程の柔らかさは無いようで、いくつかはコロコロとカインの足元まで転がった。カインが腰を屈め輝く石を拾い上げる。星屑の如き小さな石は、カインの指の間でキラキラと輝いた。
「これは?」
「ああ、それはゴミ。宝石のかけらさ」
「使わないのか?」
「加工すると小さすぎるんだよ。売り物にならねぇ」
「そんなものか」
作業台には、出来上がったばかりの髪飾りが数個並ぶ。そこには綺麗に加工された黄水晶(シトリン)が嵌められていた。この宝石を加工することによってできた屑石は、使われることなく捨てられる。金を持った貴族は大きな宝石を好む。小さすぎては売れない。しかし、小さな宝石を加工するのは職人技であった。庶民に売るには高値になり過ぎるのだ。
「これはどのくらいある?」
「は?」
ジェイの口からは素っ頓狂な声が漏れた。しかし、カインは気にも止めず、小さく輝く石を見つめている。
「まあ、まだ捨ててないから結構あるぜ」
「これを売ってくれ」
「はぁ?」
ゴミを求められては、素っ頓狂な声も出るというもの。ジェイは元々大きな口を、これでもかという程に開けた。
「いらないんだろう?」
「そりゃあ、ゴミだからな」
「なら、売ってくれ」
ジェイの口からは三度目の変な声が漏れる。しかし、カインの表情は至って真面目で、冗談を言っている様な節は見当たらない。ジェイは目を細め、カインの手に有る屑石を睨んだ。
「ゴミをか?」
「さすがにこのままでは使いにくい。できれば触っても問題ない位まで加工して欲しい。綺麗な形にする必要はない。あくまで角を取る程度で。できるか?」
「まあ、それ位なら」
「何日掛かる?」
「数によるが」
「黄水晶(シトリン)をあるだけ」
「なら、十日くれ」
「分かった。十日後取りに来る」
カインはジェイとの約束を取り付けると、足早に小屋を出た。閉じる扉を呆然と見つめるジェイだけが残される。ジェイはだらしなく口を開けたまま、首を傾げた。
カインがジェイの元を次に訪れたのは、それからきっちり十日後。ジェイが屑石の加工を寝ずに行い、どうにか終わらせた日の早朝であった。
「お前、ほんっと人使い荒いな」
ジェイの目の下にはくっきりと徹夜の証が浮き上がっていた。それも一日や二日でできるような濃さではない。しかし、カインはそんなジェイの嫌味も受け流し、渡された屑石を一つ一つ確認する。
「で? それをどうするわけ?」
ジェイが尋ねながら大きな欠伸を披露する。喉の奥まで見える程の盛大なものだったが、カインの目は未だ屑石に釘付けだ。
「ドレスに使う」
「ま、そりゃそうか。お前は仕立て屋だしな」
カインの簡素な返事に、ジェイが肩を揺らし、クツクツと笑う。カインはジェイを一瞥(いちべつ)したが、すぐに視線を屑石に戻した。
「で、いくらだ?」
「ゴミだぞ?」
「十日、殆ど寝ずに作業したんだろう。十日で稼げる料金は請求するべきだろう」
「あー、まあそうか」
ジェイは未だ、ゴミであった屑石に値段が付くことに納得がいっていない。少し手を加えたとは言え、ゴミはゴミだ。しかし、カインの目にはそのゴミが金を生む宝に見えている。はした金で受け取る気はさらさらなかった。
結局ジェイは、普段の一日の稼ぎの十日分の値段を提示し、カインはそれに色を付けた金をジェイに押し付けた。
「こんなに貰って良いのかよ?」
「安く買い叩いたとあってはお嬢様の名に傷がつく」
カインがリンリエッタ専属の仕立て屋であることは、王都の者にはよく知れ渡っていた。カインの行動は間接的にクライット公爵家やリンリエッタの評判に繋がる。カインはクライット公爵家から初めて仕事を頂いた時から良く言い聞かせられていた。
「おいおい、俺はそんな噂流したりしないぜ?」
「人は良く見ているものだ」
カインの言はクライット公爵の受け売りだ。例え秘密にしていても、どこからか漏れてしまうもの。だから、例え気安い関係であったとしても誠意を持たねばならない、と。
「ま、俺は有難いけどよ」
「いや、感謝をするのは俺の方だ。あんたのお陰で良いドレスが出来そうだ」
カインの不器用な礼にジェイは苦笑を漏らす。寝不足で足も覚束ないというのに、彼はカインに飛びつくように肩を組んだ。
「そういう時は、『ありがとう』だって言ってんだろ~」
ジェイは嬉しそうにカインの頬を摘まむ。余り伸びない頬を引かれ、カインは僅(わず)かに眉根を寄せた。しかし、その顔はそこまで嫌そうではない。
カインは帰り際、新たに屑石の加工を注文した。ジェイは未だ屑石の価値に首を傾げつつも注文を受ける。ジェイからしてみれば、ゴミを金に換えられる又とない機会。しかし、ゴミを売りつける罪悪感もあった。相手がそれをゴミであった物と認識していてもだ。
ジェイはいつもよりも半分しか開かない目を擦りながら、カインを見送る。
「あ、そーだ。カイン。遠出はするなよ」
思い出した様に呟いたジェイに、カインは首を傾げる。
「何故?」
「死病だとよ。ガルタ村が閉鎖された。まあ、もう閉鎖されるし、王都には来ないだろうけどよ。一応な」
ガルタの村は王都から馬車で十日は走った所にある辺境の村。名前すら知らぬ者が多い村だ。実際ジェイも死病の噂を聞くまでは、ガルタという名前を知らなかった程だ。
カインは「死病」という言葉にただ静かに眉根を寄せた。
「おいおい、そんな顔すんな。ここに住んでる分には大丈夫だって」
ジェイが豪快にカインの背を叩く。それでも、カインの眉根には皺が濃く刻まれていた。
「それにしても、山に囲まれた村だってのに、死病が流行るなんて、ガルタの村も奴らも不幸だよな~」
「ああ、そうだな」
カインの空返事にジェイは小さく肩を竦める。カインは苦しそうに遠くの空を見上げた。
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