サービスという優しさ
「よろしかったのですか、お師匠様?」
たまたま出会った花売りの少女と別れたあと。
一度小屋に戻ったアリアは、自室で本を散らかして頭を悩ませているユランへ紅茶をそっと差し出した。
「何が?」
「あの花売りの女の子の件です。お金もないのに1万ギルも渡しておりましたし……加えて、魔法書をあげるなどと」
ありがと、と。そう言いながらユランはアリアの言葉に肩を竦める。
「記念すべき第一号のお客様に対するサービスってことにしておこうぜ。別にいいじゃねぇか、双方が納得していればさ」
「ですが、あの花にそれほどの価値はありません」
「そうか?」
ユランは近くにあった籠を引き寄せると、中にある花を両手で押し潰すように叩く。
すると、手のひらから花が埋め込まれた栞が完成した。
「ほら、需要はあるだろ? 魔法士は本の虫だ……これほど需要があるものはないと思うね」
「お師匠様……」
「まぁ、言いたいことは分かるから、そんな目を向けるなって」
ユランはまたしても近くから本を一冊手繰り寄せる。
捲ると、そこには何も書かれておらず───全て真っ白であった。
「あの女の子が困ってるんだったら、見て見ぬふりもおかしい話だろう? 自分のできる範囲で手を差し伸べられるのなら、手を差し伸べるのは持つ者の責務だと思うがね」
できないのを強要するわけではない。
できるのであれば、してあげるべきだ。無理難題を押し付けられているわけではなく、できる範囲で誰かが助かる道が存在している。
ユランは己が子供に甘いことを自覚している……が、それはそれ。自堕落な生活をご所望していようとも、その部分は曲げるつもりはなかった。
(……そこがお師匠様のいいところなのは知ってますもん)
不貞腐れるように、アリアはそっぽを向く。
そんなアリアを見て、ユランは苦笑いを浮かべた。
「分かってるって、サービスは今回限りだ」
「ダウト!」
「否定が早いなぁ、おいっ!」
「だって、もし本当であれば私以降誰も助けていないことになりますから!」
苦笑いではなく、今度は言葉負けして悔しそうな顔。
そこから、すぐに不貞腐れたような顔になり、今度はアリアが嬉しそうな勝ち誇った表情に変えた。
「ですが、お師匠様。そもそも手を差し伸べるのであれば、お師匠様自らで治して差し上げればよろしいのでは? 魔法書を差し上げるよりかは俄然いいかと」
「……言ったろ、できる範囲って。俺らは魔法書を売る側の人間で、その状態であの子と出会ったんだ───なら、賢者としてではなく商人として手を差し伸べるべきだ」
それに、と。
ユランは近くの瓶の蓋を開けてペンを浸した。
「あんな小さな女の子が自分の母親のために行動できるんだ……きっと、今から作る魔法はこれからの彼女の役に立つだろ。魔力云々は本人がすべきことで、本人の努力次第だがな」
魔法書を売るのは、二人が認めた人間だけ。
そう決めて、店を開くことにした。
そして、ユランはあの少女のことを認めている───アリアもまた、ユランの言葉に異を唱えることはしなかった。
「……お人好しさんめ」
「師匠への暴言が凄い」
「暴言に聞こえるのであれば、そう受けとってください……あと、見学してもよろしいですか?」
「弟子が学びに許可なんて求めるなよ」
魔法書は、魔力液という液体で魔法の式を書き連ねて完成する。
文量は、魔法の精度に応じた式の文字数分。強力な魔法ほど本の厚みが増していくのだ。
故に、前提として『その魔法を成立させるための式』を事前に用意し、それを規定の紙で作られた本に書き写していかなくてはならない。
「流石に外傷じゃなくて病気を治す魔法書は用意してなかったからな……とりあえず、式だけ考えておいてよかったよ」
あの子供の話だと、母親は珍しい病気らしい。
食が原因なのか、それとも外傷から菌が入っていったのか、口内から誰かに移されたのか。
医師でもなければ、教会の聖職者でもない。
だからこそ、ユランはそもそも病気の名前を知らない……が、基本的に病気とは菌、もしくは体内の臓器が弱って起こるもの。
つまり、菌を排出して臓器を回復させるよう式を作れば理論上は病気を治せる魔法が完成する。
とはいえ───
(言うは易し、行うは難し……ですか)
世に事象を起こすのではなく、目に見えない分かり難い既存の物体に作用させるのがどれほど高度なものか。
視界が真っ暗な中、どこにあるかも分からないランプのスイッチを押すのと同じぐらいなものだ。
恐らく、宮廷の魔法士───そして、アリアでさえ難しい所業。
(これが賢者……)
経験から、数多の知識を得たのではない。
ほんの小さな可能性から百を生み出し、それらを理解してしまえるがために多大な知識を得ることができた若き天才。
それが、最近噂になっている賢者の素顔である。
(私は、その賢者の弟子です)
期待に応えられるよう、名に恥じることのないよう。
アリアはユランが魔法書を作る姿を、視線を逸らすことなくじっくりと見続けたのであった。
「……お師匠様の横顔、とてもかっこいいです」
「おいコラ顔面偏差値限界突破。美少女がお世辞なんていいって」
───ただ、この時二人はまだ知らない。
この少女をきっかけに、二人が開くお店の噂が瞬く間に広まってしまうことを。
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