第十九話 三井倉加寿貴が潜る理由

「ごめん。実は俺、本当はドキドキもワクワクも求めてないんだ。……光留と同じ、いや、もっと軽い理由だった。ちょっとした小遣いが欲しかっただけでさ」


 俺がダンジョン入りする気になった経緯はごく単純である。

 手軽に稼ぎたかった。ランクの高いダンジョンに潜っていったのはその方が再生回数が増えるだろうと思ってのことだ。


 欲しいゲームを手に入れること以外にこれと言って良くはないので、もしもこのダンジョンを無事に生還すれば俺はもう二度と潜らなくて良くなる。

 ――だって、換金すれば十分目的に足りるほどの金額が手に入ってしまっているのだ。


 かつてダンジョンが現れる以前の世界では収益化の条件は厳しかったが、多くの者がダンジョン配信という職に就いたことで緩和された。

 一回目の配信から小遣いは溜まり続け、今はもう一万円超え。しかも今日の配信でさらに溜まるだろう。


 冬休みが明ければ忙しくなる。光留と都合を合わせて一緒に活動というのができるかわからないので、配信活動を一旦休止しないかと持ちかけようと思っていた。特別仕様の配信にしたかったのはひとまずの最後を飾りたかったからでもあった。


 聞いて呆れるくらいの馬鹿馬鹿しい考え。

 それ故に俺は今まで光留に自分の潜る理由なんて話そうとも思わなかった。だって間違いなく失望される。


 でも一度くらいしっかりと話し合っておけば良かった。

 身も心も凍るようなダンジョンの地底に落ちたのは決して喜ばしいこととは言えないが……こうして話す機会が来たのは幸いだったかも知れない。


「光留が恥に思う必要なんて何もないと思う。本当にお金のためだけだったら、モンスターに襲われた俺を助けに走ってくれるなんてことはしないだろ」


「それはだって、加寿貴さんは私の恩人だし……」


「俺なんて一回スライムから助けただけだ。なのに光留は数え切れないくらい俺を助けてくれてる。むしろもう光留の方が俺にとっての恩人だよ」


 謝りたいのも感謝したいのも全部こちらで、光留が自責しなければならない理由など何もない。


「今日の配信が終わったら俺の目的は達成される。でも出られなきゃ今までの努力は全部水の泡だ」


 こんなに冒険者だったのであろう人間の亡骸がある場所で、どうやって脱出するつもりなのか問われれば、やはりわからないけれど。


「コンビとして光留の目標に近づけるように俺も頑張るからさ。だから……ここから脱出できたら一緒に、ゲームしてみないか?」


 俺の、その言葉に。

 光留はぽかんと口を開けてこちらを見た。


 ちかちかとスマホ画面が光る。

 コメントが書き込まれているのだ。それも、ものすごい速さで。


『ゲーム?』

『ひかるたんの動機が重過ぎてコメントできないと思ってたら……』

『カズは小遣い稼ぎのために配信してたのか』

『噴いたw』

『あるあるっちゃあるあるだが』

『なんかしんみりしてたのにワロタ』

『カズの目的はゲームを買うことなのか……想像以上にくだらなくて草』


 このシリアスな状況には似合わない発言だということくらい自覚はしているが、くだらないとは何だ、くだらないとは。

 嘲笑の類の笑いではない気がしたし、盛り上げようとしての発言だろうから許すけれども。


「あの、ゲームって?」


「小遣いが溜まったことだし欲しかったゲームを買おうと思って」


「私、ゲームやったことないんだけど、それでもいいの?」


 ゲームを一度もプレイしたことのない人間など、今どき珍しい。

 そういえば彼女はスマホを持っていないとも言っていた。あの時は違和感を抱いたものだが事情を話された今は、極貧である故にスマホやゲームで遊ぶことなんて許されてこなかったのだろうと理解できた。


「なら俺が教える」


 ほとんど周囲が見えない闇の中でもわかるくらい、目を輝かせる光留。

 彼女はきっと人並みの青春に憧れているに違いない。共に潜った最初のダンジョン、あの深海の海辺で『誰かと一緒に一度来てみたいと思っていた』と言っていたように。

 だったらきっと、喜んでくれるはずだ。


「……わかった。じゃあ約束してくれる?」


「もちろん。どんなめちゃくちゃな方法でも絶対の絶対に生きて帰ろう」


 俺の小指と彼女の小指が音もなく絡み合った。

 スマホ画面はそれをしっかり映している。コメントが何やら騒いでいたが、それらはもう俺の意識の外だった。


 触れ合った光留のぬくもり、そして可愛らしい笑顔に心を奪われてしまったから。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――かくして。

 いかなる方法でここから抜け出すべきか、コメント欄に意見を募ることになった。


 寄せられた意見は百と少し。その結果採用されたのは剣とバットを使って崖を登るというフィクションの中かと思うような手法だ。


 氷の壁とだけあって難易度はとんでもなく高い。簡単にできるなら、他の冒険者たちもやっただろう。

 ――それでも挑まなければならない。


 ちなみに登るのは光留、背負われるのは俺である。


「これ普通逆なんじゃ?」


 光留は平均的な背丈なので、俺の方が十センチほど背が高い。

 体重だって俺の方が上のはずなのだが。


「こう見えても私強いから。私に無理なら加寿貴さんにも無理だと思う」


「…………確かに」


 そんなわけで崖登りチャレンジが始まった。

 右手で壁面に剣を刺し、今度は左手で上へバットを突き立てる。それを何度も繰り返して上へ上へと向かうのだ。


 一度目の挑戦。

 途中で剣が上手く刺さらない岩よりも硬い氷の部分があったせいで二人まとめて落下してしまい、尻餅をついた。


 二度目の挑戦。

 ささくれだった氷で傷ついたバットがへし折れかけて転落。かなり痛かったが耐える。


 三度目、四度目、五度目、六度目もまた失敗。とっくに手足はかじかんで動きづらくなっているだろうに、それでも登るのをやめない。

 ――気づけば、七度目の挑戦になっていた。


『あと十五分』

『ヒカルちゃんガンバレ!』

『ひかるん応援してるからな!!』

『目指すはカズと二人でのゲームってわけかw w w』


 いくつもの声援に思わず頬が緩む。

 もっとも、頑張っているのは俺ではなく光留なのだが。


 彼女は歯を食いしばりながら、死力を尽くしている最中だった。


 見下ろしても闇しか見えないのでわからないが、一度目や二度目より明らかに高い場所にいる。この調子では上までいけるのではないか。

 俺がそんな風に思った時……モンスターの唸り声が聞こえてきた。


 俺を突き落とした奴が、上で待ち構えているらしい。


 でも光留は手を止めない。

 やっと上からほのかな光が差し始める。そして、手が崖っぷちに届いた。

 彼女がぐいと体を持ち上げるのと、モンスターの群れが襲いかかってくるのはほぼ同時。


 対処できない光留の代わりに飛び出すのは俺だ。

 武器は手元にない。なので、先ほどのお返しとしてタックルをかましてやった。


「――ガッ!?」


「ありがとう、加寿貴さん!」


 相手が驚愕した一瞬の隙を突いて、すぐに体勢を立て直した光留が剣を振り回した。

 その一撃だけで純白の雪の中に鮮血の花を咲かせてしまうのだから、見事としか言いようがない。


 着実に一匹、また一匹とトドメを刺されたモンスターの断末魔が上がる。全滅させるまでに一分も掛からなかった。


『SUGEEEEE!!!』

『カズもよくやったじゃねえか』

『ヒカルちゃんつよつよすぎない??』

『まだ十分ちょいあるぞ』

『覚醒したなこれw』

『このまま行ったれ!』


 俺たちが今いるのは、万能薬が生い茂る断崖絶壁のT字路。万能薬をいくつか千切っておいてから先に進む。


 まず右へ。

 そこにはモンスターがひしめいていた。どうやら最奥ではないらしい。


『ハズレだな」

『時間やばいぞ……!』

『残り五分』


 襲われる前にさっさと引き返し、今度は左へ。

 雪の坂の滑落するように下ると、またもや入り口にあったものと酷似した雪のトンネルが現れた。


 トンネルを抜けると、そこは――。


「ついに着いたっ!!」


 最奥だった。


 腕組みし、堂々と居座るのは雪男を思わせる、猿のような毛深さを持つモンスター。

 言わずもがなボスである。


『まんまイエティじゃん』

『Aランクとだけあって強そう……』

『でもダンジョンの地底から戻ってきた二人ならいける!!』

『残り二分!!』


 先に動いたのはボスか、それとも光留か。

 毛むくじゃらな口を開いて吐き出した吹雪に、一瞬で視界が真っ白に染め上げられる。しかしすぐにそれは両断された。


 光留が剣で吹雪を斬ったのだ。

 そして、そのままの勢いで……雪男の喉元に剣先が当てられる。


「いくらAランクのボスでも、急所をやられればお陀仏でしょ?」


 頭をざくりとやられた雪男がなすすべもなく倒れた。

 とはいえ即死ではなく、四肢をぴくぴくさせながらも健在なのはさすがと言える。でも再び吹雪を吐き出すほどの力はないらしく――。


「加寿貴さん、バットでトドメを!」


「ああ!」


 瀕死のボスにバットを振るうのは簡単だ。

 もはや断末魔さえ上がらない。


 ボスは、完全に死んだ。


 踏破の証である光、そしてスマホからピピピと高く鳴り響く機械音が俺たちを祝福する。

 ゲームオーバーの時のためにこっそりと仕掛けていたアラーム。それを聞いてやっとその存在を思い出した。


 俺が定めた制限時間にギリギリのギリギリで間に合ったのだった。

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