第243話『Dear you』

ラウロディア・ユグの話です。

――――――――――――――――――――



 溺れていた僕の腕を誰かが掴んで引っ張り上げる。


「貴方を助けに来ました。もう、大丈夫」


 彼女の澄んだ銀色の瞳が僕を写し、優しいながらも力のこもった声が恐怖を吹き飛ばした。


 父の仕事について辺境へと向かう最中の村で洪水が起こった。

 その時の僕は森の危険性も理解せずに深いところまで入っていたことで避難が間に合わず、気付けば濁流に押し流されていた。

 息が苦しくなり、寒さで体も動かない、掴もうとした石に指は届かず、少しずつ意識が暗くなる……そんな絶望の中、に救い出された。


 は父の仕事仲間である狼人族の氏族長の娘である。彼女の存在を把握してはいたが、年齢も八つと結構離れていたためきちんと話したことはなかった。

 後から聞いた話では、彼女は大人たちの制止を振り切って、押し流される木の上を乗り移りながら助けに来ていたらしい。

 

 その瞬間から、僕の魂にラウロディア・ユグの名前が永遠に刻まれたのは言うまでもない話だ。

 ……本当ならば魂だけでなく肉体にも刻みたかったが、ナイフ片手に刻み込む箇所を吟味している場面を母上に見つかり、泣きながら懇願されたので諦めることにした。

 名前を刻むのは母上が亡くなった後にすることにした。


 当時の僕は八歳だったが、それでも氏族長の人間が別の家の人間に心酔していては、変な勘繰りをされるかもしれないという程度の分別はついた。

 だからこそ、この気持ちは死ぬまで隠すことを決心した。


 それから数ヶ月後、ディア姉が僕の家に遊びに来た。


「ディアねえ!それ、僕のケーキだよ!返して!」


 僕はケーキとクッキーを詰め込んで、狼のくせに栗鼠りすのように両頬を膨らませている彼女に向かって声を上げる。


「ふぁたひ、ふぉだふぃざふぁりふぁから」

「え? いま僕のことが好きって言った? ディア姉がそこまで言うなら結婚して同じ墓に入ってあげるけど?」


 控え目にディア姉の求婚に応じると、彼女は難しそうに眉を寄せたあと、頬袋の中身を一気に飲み込んだ。


「っ……んぐ……そういうことは、本当に好きな人にだけ言うものですよ」

「だってディア姉が僕と結婚したいって言ったから……」


「言っていません。不誠実に好意を振り撒くのは、貴方の信用を損なうことに繋がります」

「……てないもん」


 一般論で煙に撒こうとするディア姉にもどかしい気持ちが湧き上がる。


「はい?」

「僕は別に好意なんてふりまいてないもん。ディア姉が僕のこと、好きって言ったと思ったから、それに答えただけだし」


「……そう」


 ディア姉は少し困った顔をした。

 ——それに気付くことの出来なかった僕は、好意を拒絶せず受け流してくれる彼女の優しさに甘えていただけなのだろう。



◆◆◆◆



「えい!やあ!」


 それからしばらくして、棒術を習うようになった。

 ただ武道に興味をもったのが理由であり、ディア姉が道場に通っているのとは全く無関係だ。

 全く無関係だから、ディア姉が行っているのとは別の場所に通うことになっても僕は泣いたりしなかった。でも、代わりに目から変な汁が出た。涙は出ていない。


 ちなみに道場の師範には『才能が無いからやめろ』と言われた。

 悔しかったので、師範の昔起こした暴行事件を掘り出して、一週間後にやめさせた。今は戦地でみんなのために戦っているらしい。

 今の師範は『やめろ』と言わないから良い師範だ。


 今日は棒術を教えてもらう事を口実に、ディア姉の家に遊びに来た。


「どう!? かっこいい?」

「ふも……もう少し、背筋を伸ばした方が良いでしょう……も……軸がブレています。もぐ……振るというより、体重を乗せて落とすような……もぐ、もぐ……今のままでは当てた瞬間弾かれることに……もぐ、もぐ」


 ディア姉は甘いパンを片手に指導をしてくる。

 今思えば、僕の記憶の中でのディア姉はいつも片手に食べ物を持っていた気がする。

 そして、この頃になると、ディア姉は僕の好意について触れずに受け流すようになってしまった。


「ディア姉、行儀が悪いよ。ご飯はさっき食べたのに……」

「育ち盛りなので」


 これもいつもの言い訳だった。

 どちらかと言えば、僕の方が育ち盛りではないのかという指摘は、幸せそうな彼女の前では簡単に消え去ってしまった。


「……ふぅ」

「ディア姉、なんか疲れてる?」


 目の下にうっすらと隈が見えるディア姉。

 いつもはぴんと立っているふさふさの耳も、力を失ったように垂れている。


「ちょっとだけ。あと一皿お菓子を食べたら元気になります」

「……あと一皿だけだよ」


 僕の皿に乗ったパンケーキを切なげに見るディア姉に毅然とした態度で応じてから、彼女が疲れている理由に気付く。


「あ、そういえば聞いたよ!マグネナの財政を建て直したんだってね!?」


 ディア姉を元気づけるように、聞き齧った噂について問いかけると、彼女はニコリと笑った。


「あれは……賄賂をしていた全ての高官の首を切って挿げ替えただけですから、何も凄いことはありません。これまでが異常な状態だったのですよ」


 元々この国は氏族長同士の連合から始まった。

 昔は問題が起こるたびに氏族長が集まって解決策を練っていたし、関係が深かったことで不正を監視することも簡単だった。

 しかし現在は、街は離れてしまい紙越しでしか情報は集まらない上に、氏族自体も増えたせいで問題に対する対応も鈍重になってしまっていた。


 本来ならば法律という大きく丈夫な歯車で回すべきところを、個人の良識という小さな木製の歯車で回すような無理が続いている状況だった。

 ディア姉は人を見抜くことに長けていたので、腐った歯車を弾き出すのが誰よりも上手かったが、それでも腐敗していく国全体を支えるには足りていなかった。


「ディア姉、無理はしないでね」

「えぇ、どうにかします。安心しなさい」


 彼女は銀の瞳に決意を乗せて、僕の頭を撫でた。

 僕を助け出した時のような力ある瞳に、愚かにも安心してしまったのだ。


 その日、ディア姉は父上の執務室を訪れて数時間ほど話してから帰って行った。



 それからしばらくが経って、ユグ家による領地経営が破綻を迎えた。

 ユグ家が管理していた領地はあれよあれよと言う間に、付近の氏族長に分配され、彼らの家財は取り上げられた。

 さらにはその責任は氏族長の取りまとめであるロア家にまで及び、彼らは王位まで奪われることとなった。


 本来ならば国を割った戦争にまで発展するところだったが、当時の王マグナ・ロアは国力の減退を嫌って自ら王を退いた。


 国の情勢が大きく変わる中、僕は行方をくらましていたディア姉を見つけるべく行動をしていた。

 その時の年齢は12歳。まだまだ子供であったが、棒術の師範を追い詰めるのに使った情報網を使って国中から情報を集め、ディア姉らしき人物が国境に向かっていることを知り、すぐさまそこに馬車を走らせた。


「ディア姉!!」

「……」


 ディア姉はまさか僕に見つかるとは思っていなかったのか、少し驚いた顔を見せた。


 見つけたのは偶然にもディア姉に助けられたのと同じく、森の中。国境に跨る森は警備の監視が甘く、密入国の手段として良く使われる場所だった。


 ディア姉はそこらの村人と見紛うような、所々汚れた格好をしていた。背中には唯一の武器である棒を持ち、ほぼ身一つで森を渡ろうとしているのだと分かった。


「ディア姉!帰ろう!僕がみんなに気付かれないように隠して守るから……そうすれば大丈夫だよ、ね?」

「それは出来ません。狼人族が氏族長の元に居ると知れれば、これまでの全てが台無しになる。貴方たちの周りはこれからもっと人目に晒されることになるですから」


 ディア姉はまるで全てを予め知っているかのように、穏やかに笑って言った。

 このままでは大きな流れが彼女を連れ去っていくという確信だけがあった。


「そ、そうだ!僕と結婚しよう!耳と尻尾を落として人族ということにして……ぁ」

「……」


 ディア姉は少し困ったときのような、悲しげな笑みで僕を見下ろしていた。


「優しさで言ったのは分かっている……だが、私が私であることまで、捨てたくはない」


 人が変わったかのように力強い言葉に、僕は説得が不可能だと悟る。

 ぽす、と髪の上にディア姉の手が優しく乗せられる。その手のひらは僕よりも大きい。


「例え、ユグ家が亡くなろうとも、私はラウロディア・ユグであることを誇りに思っていますから、だから国のためにここを去るのです……それと、最後になりますが」


 泣いた子供をあやすように、頭を撫でていた手が止まる。

 俯いた僕の目には、ディア姉の足元しか見えなかった。


「貴方の気持ちは嬉しいですが、応えられません。私は私と同じ狼人族の人と結婚するつもりですから」

「……いやだ」


「だから、貴方も素敵な人を見つけて下さい」

「……っ」


 僕の最後の抵抗は無慈悲に跳ね除けられた。

 彼女の浮かべる笑顔が、穏やかな拒絶を僕に突きつけてきて、その場から動けなくなる。


「ふ、ぐぅ……ディア姉、ディアねえ!」


 服を掴もうと伸ばした手は壁を隔てたようにずっと遠く、届かない。貴方より素敵な人なんて、居るはずもないのに。


「さようなら、。お元気で」


 もっと勤勉であれば、ディア姉の苦しみは和らいだ。

 もっと賢くあれば、ディア姉が国を去らないように立ち回ることができた。

 もっと強くあれば、いっそ全てを覆すことができた。

 だから、怠惰と無知と無力が僕の罪。


 何より、ディア姉を国に留めることに拘り、自分も共に国を出ると言えなかった臆病こそが僕の罪。


 ――それが僕、アウロラ・ノックスの後悔。




 ――それから二十年が経ったある日、僕はディア姉の残滓を感じ取る。

 武術の才能の無い僕では気配など感じ取れないので、直感としか言いようのないものだった。


「王女さま、お部屋を出てはなりませんと申し上げましたのに」

「今日は体調が良いと言ったでしょう? それに、あんな暗い部屋に籠っている方が気が滅入るじゃない」


 本当はいつも元気は有り余っているが、父の計画を邪魔しないよう部屋に籠もっているだけだ。

 僕は扉を開け、すぐにを見つける。


「姉上、今は――後に――ませんか?」


 あれほど父に『王にはなれない』と言われたにも関わらず、それを諦めきれなかった、憐れな弟。

 彼の声は頭の中に渦巻く感情のせいで聞こえなかった。


「あら、どうも初めまして。わたくしは森林国の王女、アウロラ・ノックスよ」

「久遠教の布教のためにこの地に参りました、テオドラ・ビトロと申します」


 先にテオドラに話しかける事が出来たのは奇跡だった。


「テオドラ……ふぅん、とても素敵な名前ね。似合っているわ……それで、貴女は?」


 会話の流れに少し不自然さを感じながらも、ディアとそっくりな目を持つ少女へと話しかける。


「レンゲだ」


 僕が初めて会った時の彼女よりも少しだけ年は下だろうか。

 口調には刺々しさがあるが、強い意志を瞳に宿しているところは似ているかもしれない。

 あぁ、でも瞳の色は違う。ディア姉は月みたいな澄んだ色だったけど、この子は太陽みたいな温かみのある色だ。


「そう……レンゲ」


 聞き慣れない響きの名前に、ディア姉はかなり遠くの地でこの子を産んだのだと察する。


 そして、段々と冷静になって……側頭から伸びる角と、爬虫類のような尻尾が目に入った。


『私は私と同じ狼人族の人と結婚するつもりですから』


 なるほど、なるほど。

 あれは僕を諦めさせるための優しい嘘であったと、もちろん分かっている。しかし、それでも恨みごとを吐かずには居られなかった。


「あの嘘吐きの娘ね」




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第243話『Dear you』

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