第八.五章
第242話『聖女は見た!』
テオドラ一行が剣聖ゼファリオンと龍に遭遇した日の夜。彼女は寝袋に入ってしばらくが経っていたが、眠れずに居た。
その理由は龍との遭遇が衝撃だったから……ではなく、彼女の体質によるものだ。
テオドラ・ビトロの肉体は常に治癒の気によって満たされている。そのせいか、身体に疲労が蓄積しにくく、彼女は深く眠った経験が殆どない。
(突然現れた獣、絶体絶命の危機に颯爽と現れるヒーロー……王道ですが、だからこその良さがありますね)
こういう時、テオドラは無駄に元気な脳を使って妄想することで、精神の疲れを癒やすのが彼女の習慣だった。
いつも彼女が好んで読む小説は、この時の妄想の題材となることが多い。
ちなみに、今日の議題は『最もロマンチックな出会いとは何か』である。
(意外性も大事ですね。華奢だと思っていた男性に筋肉がついていたり……そういえば、コクヨウさんも細身に見えますが、結構力強かったですね……なるほど、こういう感じでしたか)
彼女は寝袋から顔だけを出して夜空を見つめながら、龍に襲われたときの護衛の少年の様子を思い出した。
「……」
その後も、頭の中で妄想を繰り広げていると、この日の夜の番であるレンゲが戻ってきた。
彼女は焚き火の跡を中心としてテオドラの反対側に腰を下ろす。
「……んぐ」
暗闇のせいでレンゲの表情が見えないが、彼女の口元がモグモグと動いているのが見えた。
(分かります。夜はお腹が空きますよね)
「んぐ……」
途中で味に飽きたのか、レンゲは荷物の中にあった胡椒を加えてから肉を完食すると、残った骨を焚き火の跡へと優しく落とす。
腹を満たすと眠気が登ってきたようで、彼女は、くぁ、と噛み殺すつもりのない大きな欠伸をすると、上体を捻って後ろを向く。
レンゲが振り向いた方には、先ほどテオドラの妄想に登場したばかりの蛇人族の少年が居た。
(レンゲさん……コクヨウさんの方を見て、どうしたんでしょうか)
「……す……ぅ……す……」
自分の体を抱きしめるように小さく体を丸めて眠るコクヨウからは規則正しい呼吸音が聞こえる。寝姿のせいで年齢以上に年下に見えてしまう。
無防備に眠っているように見えるが、テオドラが近付くと警戒するように呼吸音が止まることを彼女は知っている。
しかし、レンゲが近付いた時にはそのようなことはなく、ゆっくりと呼吸を続ける。
それがテオドラにとっては面白くなかった。
嫉妬というほど大層なものではなく、自分に懐かない猫が他の人間には擦り寄る姿を見た時のような、僅かな羨ましさを含む気持ちだ。
「……」
「……す……ぅ……す……ぅ……」
コクヨウの寝顔をしばらく見ていたレンゲは何を思ったのか、自身の尻尾の先をコクヨウの尻尾の隣に置いた。
互いの鱗が擦れるくらい、すぐ近くに。
(……)
テオドラにとってはレンゲもまた思考を読み取りづらい人物であった。いつも不機嫌な表情を浮かべていて、笑っているところを見たことがない。
しかし、他者に理不尽に当たり散らすようなことはなく、粛々と任務を遂行する真面目な人間だという印象だった。
そんな彼女が新しい護衛として連れてきたのが、蛇人族の少年コクヨウだった。
彼女は護衛対象となってから観察を続けているが、彼ら二人がどのような関係にあるのか、テオドラはこれといった表現が見つけられずにいた。
二つの尻尾が触れてすぐに、コクヨウの尻尾の先が持ち上がる。
そのままクルリと全体を捻ってレンゲの尻尾に巻き付こうとしてきたが、彼女はその動きを読んでいたかのように軽く尻尾を引いて拘束を避ける。
彼の尻尾は空を締め上げた後にレンゲの尻尾に逃げられたことに気付いて、彼女の温もりを探すように寂しげに地面を這いずり回る。
(本当に眠っているんですよね……? まるでお二人の尻尾だけが別の生き物みたいです)
レンゲの動きがほとんど無いのも、テオドラがそんな感想を抱く原因となっていた。
レンゲは尻尾を釣り竿のように持ち上げて、尻尾の先でコクヨウの尻尾の側面を誘うように軽く突く。
すると先ほどと同じようにコクヨウの尻尾がレンゲの尻尾に絡みつこうとして、ひらりと躱される。
どうやらレンゲは夜の番の暇潰しに彼の尻尾を使って遊んでいるのだと、テオドラはやっと気付いた。
レンゲがいつも通り不機嫌な表情のままだったので、その結論に至るまで時間がかかってしまった。
ただでさえ人の感情に鈍感なテオドラだと、ポーカーフェイスなレンゲとの意思疎通は難易度が倍増してしまうのだ。
(……ゴクリ)
しかし、今のテオドラはそういった反省などよりも、不思議と目を惹かれる二人の尻尾の動きに神経を集中させていた。
レンゲは猫じゃらしのように尻尾の先を使ってコクヨウの尻尾をしばらく弄んでいたが、少しずつ反応が弱くなってきた。
なぜだかテオドラには彼の尻尾がやつれたように見えていた。
(うぅ……こんなに健気にレンゲさんの尻尾を求めているというのに、それを弄ぶなんて酷いです)
既に彼女は『コクヨウの尻尾』をコクヨウとは別の個体として感情移入してしまっていた。
57人の王子を手玉に取る小説の主人公に対しても完全に没入出来る彼女にとって、動きのある尻尾に自分を投影することなど、あまりにも容易いことだった。
レンゲもそれを読み取ったのか、萎びたコクヨウの尻尾の先に、自身の尻尾の先を軽く触れさせる。
(今度こそ、信じて良いんですね、レンゲさん……)
これまでは巻き付く寸前で避けられていた。
コクヨウの尻尾もそれを学習しているのか、確かめるようにゆっくりと絡みついて、その先をレンゲの尻尾の根元へと近づけていく。
レンゲに逃げるつもりがないと気付いた彼の尻尾は少しだけ巻き付く速度を上げ、彼女の尻尾を深くまで呑み込んでいく。
(わ……わ……ぅわ……)
テオドラはその光景を直視できず、首を下げて視界の半分を寝袋の端で隠す。
(尻尾のある種族にとっては普通の行動なのでしょうか……? それとも……でも、こんな絡み合うような姿、街でも見たことはありません)
蛇人族や竜人族の習性に疎い彼女では、互いの温もりを求めるように尻尾を絡める二人の姿は、恋人同士が指を絡めて手を繋ぐのよりも深い睦み合いにしか見えなかった。
抱擁よりもずっと遠いのに、心はずっと近くに置いてあるような触れ合いに、尻尾の無い自分の生まれが惜しく思えてしまうくらいに穏やかな空間がそこにあった。
互いの根本まで絡み合ってもなお、彼の尻尾は動きを止めない。
コクヨウの尻尾はレンゲの尻尾の鱗の上を遡り、その出どころである装束に触れると、裾を持ち上げてその中へ侵入するかに見えたが、まるで自制するようにその直前で留まる。
「……」
レンゲはそれを見て目を細めると、立場を弁えた尻尾に褒美をやるかのように、その先を人差し指の横で軽く撫でる。
コクヨウの尻尾は侵略を諦めた代わりに、今度は巻き付いた尻尾を強く締め上げていく。
ギチギチと、鱗の擦れ合って鳴る音から、かなりの力が掛かっているのが分かった。
それこそ、生身の人間が受ければ骨が砕けてしまうのではないかとテオドラは想像した。
(あんなに強く締め上げられたら……どうなってしまうのでしょう……こう……こうでしょうか)
テオドラは寝袋の中で左の手首を右手で掴んで強く握ってみる。
(こんなにしたら、痕が残ってしまいそうです……もしかしたら、それこそが目的なのでしょうか)
そう読み取った彼女が再び尻尾の様子に目をやると、何かに急かされるように彼女の尻尾を締め上げるコクヨウの尻尾があって、テオドラの胸が不思議と締め付けられる。
(わ……すごい……こんな熱烈な……レンゲさんは、どう思っているんでしょうか)
今度は強い執着の対象となっている人物はどうかと視線を動かすと、レンゲはそれを当たり前のように受け止めながら、分厚い本を読んでいた。
レンゲが文字を覚えた頃はテオドラも自身の趣味を共有できると喜んでいたが、実際には彼女は難しい本を読むばかりで、趣味を共有する仲にはなれなかった。
以前にレンゲが読む本を横から覗き込んだことがあるが、言い回しが古すぎて内容は分からなかったが、どうやら学術書の一種であるようだった。算術書でないことは確かである。
時折、彼女を繋ぎ止めるように巻きついた尻尾を空いた手で鎮めるように撫でながら本をめくる様子は、まるでいままでずっとそうしてきたような自然さがあった。
しかし、一方でレンゲの方にはコクヨウの尻尾から感じ取れるような強い執着が見られない。それがテオドラが確信を得られずにいる理由だった。
(二人は恋仲なのか、そうでないのか……私にはどうしても判断がつきません……ですからもっと見守る必要があるようです!)
そう正当化をして窃視を再開するテオドラ。
もはや、いつもの習慣である妄想のことは既に頭から消えてしまっていた。
しばらくぎゅむぎゅむと動き続けていた尻尾は定位置を見つけると、受け取る熱に集中をするように脱力する。
そこから数時間、夜が明けるまで二人の尻尾は離れようとはしなかった。
朝になり、レンゲは白んできた空を見上げると、尻尾を見下ろした。
そうして絡ませあった時とは逆向きに尻尾を回して解くと、森の中へと歩いていった。
大きな気配の移動に、まず剣聖ゼフが目を覚ます。
「……ぅん……っ!?」
次に寒さから逃れるように、尻尾を体の近くに巻いて戻したコクヨウが小さく声を漏らした後、剣聖ゼフを見つけて跳ね起きる。
「なぁコーくん、やっぱりこっちを使って寝たほうが良かったんじゃないか?」
「こっちの方が慣れているので」
「そうだとしても、食うものと寝る場所は拘っておいた方が良いぞ。姿勢が悪くなる」
気安いようでいて、距離を感じる二人の会話に耳を傾けていると、コクヨウがテオドラの視線に気付いてこちらを振り向く。
「……テオドラ様、起こしてしまいましたか」
「お二人が起きる前から私は起きていたので……お気になさらないでください」
一晩中監視していたとは言えず、テオドラは言葉を濁した。
その態度はコクヨウにも不審に思われたようで、彼は曖昧に笑ってから小さく首を傾げる。
そこからのコクヨウはテキパキとしていて、たちまちのうちに馬車を作って、道を選定して自ら御者まで行う優秀さを見せつけた。
もしかして、あの時の光景は彼女の妄想力が生み出した幻覚ではないのかと疑問に思うようになった頃、それは起こった。
「……」
その日はコクヨウが火の番をしていた。
テオドラの意識は今日も半分起きて半分寝ているような低いレベルを維持したまま、ぼうと揺らめく焚き火とコクヨウを視界に入れている。
本来であれば護衛の人間で分担する作業のほとんどを一人で任されているせいで疲れているのか、その日の彼は少し眠たそうに見えた。
「何を、俺に隠している……」
コクヨウはレンゲの方を振り返りながら、そう言った。
いつもとは様子の違う彼に、テオドラの意識は少し覚醒する、
「……」
彼は小さく寝息を立てているレンゲをじっと見つめながら、その横に尻尾を置くと、いつもは赤色だった彼の尻尾がレンゲに合わせるように黒色に染まっていく。
テオドラは二人の本当の尻尾の色が白と黒であり、人前ではそれを偽っていることを一応は知っている。理由は話されなかったので聞いていない。
いつもは優しげな笑顔を見せているコクヨウが、今は少し不機嫌な表情を見せていることに驚きながらも、テオドラは彼の尻尾の動きに意識を集中させる。
(わ……なんでしょう、コクヨウさんの尻尾がレンゲさんの尻尾にすりすりしています。なんだかかわいい……わ!?)
レンゲの尻尾をくすぐるように擦り合わせていたコクヨウの尻尾だったが、渦を巻くように動いたレンゲの尻尾に捕まって、すぐに以前の再現が行われる。
やはり、あれは幻覚ではなかったのだ。
「はわ……ゎ……っ」
しかし、これから繰り広げられる光景への期待が高まりすぎたせいで、思わず声が漏れてしまった。
「……」
その瞬間、ギュルンと、コクヨウがこちらを振り向いて無機質な視線を向けてきた。しかし、テオドラの危機感知センサーは壊れているのでそれに対して恐怖を覚えることはない。
「わ、わぁ……やっぱり、そうだったんですね……」
テオドラがそう呟くと、コクヨウの視線は忙しなく空と地面の間を動き回ってから、最後にテオドラへと戻ってくる。
まるで犯人を追い詰める刑事のような理知的な視線が彼女へと向けられる。
「違います……何か、勘違いをしています。話をしましょう……テオドラ様」
そして、往生際の悪い犯人のような言葉を絞り出した。
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第242話『聖女は見た!』
この話だけで『尻尾』が56回出ています。
反省も後悔もしていません。またいつかやります。
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