アカリ1
白を基調とした清潔感溢れる病室。
アカリは勝手に千春が眠るベッドに入り込み、その横顔をじーっと眺める。
中学生の頃も、こんな風にベッドで一緒に寝て、よく彼の寝顔を眺めていた。
それは高校生に上がってからもあまり変わらないけど。
「中学を思い出すね……千春くん……」
話しかけても千春は反応を示さない。
千春の脳に損傷は見られないため、体力が回復すればそのうち意識も戻ると医者からは説明を受けていたので、アカリは事件当初よりは明るい表情をしていた。
規則正しい寝息を立てて眠り続ける千春を見つめながら、アカリは彼と出会った時のことを思い返す。
★
暴走した老人の車に轢かれ、吹き飛ばされた。
事故の衝撃で逆行性健忘が発症して、事故当時の記憶はほとんどない。
覚醒したアカリを待ち受けていたのは、ズタズタになった身体、ひしゃげた右足。
轢かれるアカリを見た友人たちからは、死んだかと思ったと言われるくらい酷い有様だったアカリだったが、一命は取り留めた。
傍から見たら一生ベッドの上でもおかしくないような見た目から約半年で、アカリは無事に日常生活に復帰した。
白くて滑らかな肌にはいくつかの消えない傷。
手術跡はだいぶ目立たなくなったが、完全に消えてはくれなかった。
一番重傷だった右足は、後遺症は残ったものの普通に動かせる。
アカリは自身が不幸ではなく、幸運であると感じていた。
話を聞く限り、十人が同じ状況であれば九人が死んでもおかしくない事故だったのだ。
生き残ったのが奇跡である。
不幸中の幸いと言うべきか。
日常生活を送る上で杖は必要にはなったが、それ以外は特に何も困ることはない。
色々な人たちから美人だと褒め称えられる自慢の顔にも、傷一つついていない。
身体に消えない傷が残ってしまったのは残念だが、アカリは大した問題に感じなかった。
痛々しい傷跡があっても、みんなに愛されていたから。
「アカリ。荷物持ってあげるよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
中学生の時のこと。
アカリは男子たちに一番人気の女の子だった。
愛くるしい白い兎の耳。新雪のような真っ白な長い髪の毛。
宝石商が見れば思わず手に入れたがるような、煌びやかなアメジストの瞳。
小さくて可愛らしい鼻。白い肌によく映える赤い唇。
異性も同性も、嫌でも目を惹かれる美しい少女。
アカリがあんまりに美しいから、杖をついて歩いているのを口実に、男子たちが押し寄せる。
なんてことはない雑用ですら、男子生徒たちは喜んで引き受けた。
アカリの周りには常に恰好良くて、同世代の中でも特に垢抜けている男子たちがいた。
彼らがいなければ、今度は中くらいの地位の男子たちがここぞとばかりにやって来る。
当然、同じクラスの女子たちは良い顔をしない。
仏頂面で、アカリを取り巻く環境を眺める者が多かった。
アカリは正直、世渡りが下手だった。
不満を溜め込んでいく女子たちの感情をコントロール出来なかったのである。
まだ中学生だから仕方ないとはいえ、それはとても致命的なことだった。
徐々に、クラスには不和が広がっていく。
女子はアカリ一人に悪意を向け、男子たちはその悪意に気付かない。
アカリの右足には間違いなく障害があるが、あまりにも彼女は健康的に見え過ぎていた。
家庭科の調理実習では、杖を置いて普通の人のように立って歩いて料理をしていたし、杖をついている癖に階段はなんの苦も無くすいすいと上っていく。
足が悪いという割に、足を引きずって歩いたりする様子も見られない。
女子生徒の中には、足の怪我は気を惹くための嘘なのではないかと疑うものさえ現れた。
いつも男子に囲まれて愛想を振りまいているものだから、当然のことながら同性からは疎まれて、遠ざけられていた。
クラスの社交的な女子からは無視され、大人しい女子からも控え目に避けられる。
アカリとしては同性の友人が欲しかったが、こういう状況になっては仕方ないと、今の環境を受け入れるしかなかった。
中学一年の半ばからアカリは女子生徒の間では”いないもの”として扱われ、それは中学二年に進級して、クラス替えが起きた後も続く。
せめて小学校の友人がいれば良かったのだが、悲しいことに誰とも一緒にならなかった。
「男が好きで好きでしょうがないんだね」
「将来やばい男に引っかかりそ~」
アカリはたびたび自分の陰口を聞いたが、自身よりも劣る者からなにかを言われても心に響かなかった。
女子たちの異様な空気は鈍感な男子たちにも伝わっているが、アカリの環境は変わらない。
常に男子たちが周囲にいて、女子の悪意除けの肉盾として機能していた。
そんな肉の盾も常に傍にいてくれるわけではない。
「ちょっと顔かしなさいよ、
放課後の清掃時、外にゴミを捨てに向かったアカリは、帰り道でクラスメイトの女子たちに囲まれた。
片目を開いて、アメジストの瞳で面々を順に見渡す。
よく見たらクラスメイトだけではなく、他クラスの女子も何人かいる。
女子は群れるものだが、少々人員が多すぎる気がした。
十人は裕に超えている。
アカリは開いていた目を閉じて、面倒そうに舌打ちをした。
その態度が女子たちをよりいっそう苛立たせる。
「清美とアキラが別れる羽目になったの。なんでだか分かる?」
分からない。
まず清美とアキラが誰だか分からない。
「分かりませんね」
「あんたが彼氏を盗ったからでしょうが!」
「私は誰とも恋愛関係は結んでいませんが」
言いがかりも甚だしかった。
アカリは誰とも付き合っていないし、色目も使ってない。もちろん告白だってしていない。
「その清美さんとアキラさんが単純に魅力が無かっただけでは?」
「死ねっ!」
強く踏み込む気配。
咄嗟に両目を開けて身構える。
アカリは少女の平手を食らった。
その子は暴力に慣れていなかったのか、そこまで痛くはなかったものの、叩かれた頬は赤く熱を帯びている。
「男に媚びを売ることしかできない汚い女」
「お前調子に乗り過ぎなんだよ!」
「マジで死んで欲しい」
別の生徒に突き飛ばされ、校舎の壁に追い込まれる。
アカリは確かに、クラスでの立ち回りを間違えたのだろう。
もっと上手く立ちまわっていれば、きっとここまで女子たちに敵対されることもなかったはずだ。
彼女たちと仲良くなれた未来だってきっとあるに違いなかった。
あるいは、小学校の友人がいてくれれば、こんな状況にはならなかったかもしれない。
全ては可能性の話。
考えてもしょうがないことだ。
アカリは再び目を瞑り、杖の安全装置を外す。
杖の内部には火薬を用いて弾丸を射出する機構が存在していた。
中には一発の散弾。
ライフリングが無いので射程が短いという欠点があるものの、この状況においては問題にならない。
威嚇射撃をしてビビらせてやろう。
銃声がめちゃくちゃうるさいから、いきなり耳が聞こえなくなってきっとパニックになるに違いない。
少女たちの慌てふためく姿を想像して、アカリは思わず笑みを零す。
不気味に笑うアカリから得体の知れないものを感じて、少女たちは僅かに威勢を削がれた。
アカリは杖の先端のキャップを外し、銃口を晒す。
空に適当にぶっぱなして相手を脅すつもりだった。
本当は銃声で鼓膜を破り、硝煙で目を焼きたかったが、流石にそれは自重しよう。危ないから。
とりあえず、一撃を披露する。
そうすれば、もう徒党を組んで攻撃しようなんて気は起きなくなるだろう。
銃を所持したなにをしでかすか分からない頭のおかしい女という肩書きは避けられないが、仕方ない。
引き鉄を引こうとしたその瞬間――
「なにしてんのー?」
呑気な男の声がアカリの耳に届く。
ピンっと、アカリの兎の耳が直立になった。
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