セレナ0.11β
学校では派手な出来事が起きたが、ファミレスでの仕事はいつも通りだ。
「宮火くんがいるとクレームが少なくなる気がする」
これは蜜姫談。
金髪にピアスというだけで愛想は良くしているし、千春自身はそんなに怖くないと思っているけれど、似たようなことをセレナにも言われた。
意外と女児受けは良い。
食器を片づけてテーブルを拭いていると、遠くから注がれる視線に気付く。
「?」
千春がバイトをしている時、よく見かける男だった。
加えて、強く記憶に残っている男でもある。
黒髪の短髪で、やや低めの身長で小太りの男。
彼は食べかけのドリアを放置して、じっと千春を見つめていた。
千春を見つめる瞳は黒く濁っていて、どことなく薄気味悪い。
千春はさっと視線を逸らすと、大人しくバックヤードに引っ込む。
あの男はセレナか蜜姫のファンなのか、千春がオーダーの品を持っていくと舌打ちしてくる。
かと言ってセレナが行ってもあまり嬉しそうにはしていない。蜜姫が行っても同様。
ただ千春だけが嫌いなのかもしれない。
じゃあ来るなよって話だ。
休憩時間になったので、千春はまかないを厨房のスタッフに依頼した。
セレナが注文する時と違って、キッチンスタッフの返事は気が抜けている。
千春も野郎とセレナ相手では対応も態度も変わるので、別に気にすることのほどでもない。
普段通り閉店まで仕事をして、千春は帰路につく。
見慣れた住宅街。
薄暗い街灯の下を歩いていて、千春は気付く。
これはセレナの家へ向かう道だと。
セレナと千春の家は大体同じ方向とはいえ、帰り道は異なる。
「なにやってんだか」
このミスは前にもしたことがある。
シフトを交代してセレナと一緒にならなかった日だ。
あの日もこうして、無意識の内にセレナのアパートへの道を辿って帰ろうとしていた。
流石に二日連続のお見舞いはセレナも本気で嫌がりそうだと、千春は帰宅ルートを変更する。
通ったことのないルート。
大まかにこっちの方へ進めば自宅のマンションに着くんじゃないかって、適当に道を選んで行く。
良く知った土地の、見知らぬ道。
遠くに見えるマンションの群れ。
光害で霞む星空、負けずに輝く満月。
散歩するような気分で、千春はただの帰り道を楽しんでいた。
微かに、背後で足音が鳴るのを耳が拾う。
ただ目的地が同じ、あるいは選択した道が被っただけの通行人。
千春は気にも留めない。
足音は徐々に大きくなる。
そして、少しずつ足音の感覚が短くなっていった。
近づくにつれ早歩きに、最終的には駆け足と変わっていく。
千春が違和感を感じて振り返った時、ちょうど月明かりが反射して煌めく刃が見えた。
「くそっ!」
鋭利なナイフが、咄嗟に庇った千春の両腕を切り裂く。
血を吸いこんで赤黒くなっていくシャツ。
血まみれの両腕で身体を抱え、慌てて距離を取る。
「俺のセレナに馴れ馴れしくしやがって!!」
叫び慣れていないような、上擦って震えた男の声。
街灯の下で、男はその姿を見せる。
襲撃者は、よくファミレスで見かけた例の小太りの男だった。
発言の内容から、一発でセレナのストーカーだと分かる。
「知らねーよカスがっ!」
千春は男に背を向けて逃げ出した。
ぼたぼたと、両腕から大量の血が滴り押していく。
体格差はあるし、恐らく運動能力も千春の方が上だと予想できるが、ナイフを持っている相手に勝てるわけがない.
「おい!」
ストーカーが叫ぶ。
運動が苦手そうな外見に反して、意外と早い。
両腕を振れず、動揺で上手く走れていないのもあり、千春は簡単に追いつかれてしまう。
男は何の躊躇いもなく、千春に向けてナイフを振るった。
咄嗟に腕で庇い、ナイフが再び腕の皮膚を切り裂く。
男は叫びながら、がむしゃらにナイフを振りまくった。
千春は後ずさりしながら必死に身を守る。
守ることしかできない。
ジリ貧だと分かっていても、どうしようもできなかった。
手の平が裂け、もう片方の手の甲にも大きな裂傷ができる。
よろめく千春に男は体当たりをし、脇腹に勢いよくナイフを突き立てた。
千春は力の限りを尽くして前蹴りを放ち、男を突き飛ばす。
だが、あまりにも威力が弱い。
蹴られた男は衝撃でよろめくものの、それだけだ。
絶望的な状況だった。
相手を拘束したり、気絶まで持っていくのは今の千春には無理だ。
かと言って、逃げても今の万全ではない体調では追いつかれてしまうだろう。
現に一度追いつかれている。
「お前のせいで、セレナがバイトに来なくなっただろうが!」
男がナイフを振りかぶって、千春目掛けて一目散に走り出す。
その瞳には明確な殺意が宿っていた。
千春の目に映る世界が、スローモーションになる感覚があった。
目の前のストーカー男は完全に頭がイかれている。
こんなにも人を殺すことに迷いがない人間を目の当たりにして、千春は大きくショックを受けていた。
迫りくる死から目を逸らさず、千春は最後の最後まで抗おうと、動かしづらい血だらけの両腕で再び身を護ろうとする。
その時、千春の背後で特徴的な高い音が鳴った。
「あがっ、があああ!!」
全力疾走の勢いが乗ったまま転ぶように倒れ込み、のたうち回って痙攣する。
痛みに白目を向き、涎をまき散らしながら悶えていた。
男の胸元には、二本の小さなプローブが突き刺さっていた。
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