セレナ11
『熱が出たのでバイトは休ませていただきます。申し訳ありません』
バイトが全員義務で入ることになるグループルーツに、セレナからのメッセージが送られてきたのは朝のこと。
セレナのメッセージの下に、向田店長の『了解しました。ゆっくり身体を休めてください』とのメッセージが続く。
セレナが風邪をひいたことに千春は驚いていた。
どんなに体調管理に気を配っていたとしても風邪をひくときはひいてしまうものだが、セレナはなんとなく風邪をひかなそうなイメージがあった。
帰りにお見舞いでもしようと、千春は授業中、彼女が必要そうなものを考える。
セレナは他人に弱っているところを見せたくないタイプなのは間違いないだろうが、飲み物と食事代わりの栄養補助食品だけ置いてさっさと退散すれば問題ないだろう。
学校の暇な時間、様子見でメッセージを送ってみる。
『風邪、大丈夫?』
『問題ない』
『セレナさんは問題があっても問題ないって言いそう笑』
『私の分までバイト頑張って』
『セレナさんいないとやる気出ない~』
千春の最後のメッセージは既読スルーされてしまう。
視界の端に映るスナコは、いつもの恋歌と燈子を含む数人の女子と、他クラスから遊びに来た男子たちが楽しそうに話していた。
セレナがいない方が、人間関係が上手く回っているように千春からは見える。
千春が一つだけ理解しているのは、同じ内部生でも女子の方が遥かに外部生に対して排他的だと言うこと。
セレナがいる時の女子グループの雰囲気は、外側から見てもやや歪で、いつ倒壊してもおかしくない塔のような不安定さがあった。
クラスの優れた男子たちも、休み時間のたびに遊びに来る他クラスのイケてる男子たちも、外部生であってもお構いなしに美人のセレナに鼻の下を伸ばして接しているのが原因の一つ。
セレナのことを内部生の女の子たちが疎ましく思っているのに、グループの中心を担うスナコがそれに気付けず、天然な彼女に人間関係を調整する能力が無いのも深刻な問題だった。
スナコ自身は外部生だろうと差別しない心優しい人間なのは素晴らしいが、それが明らかに仇となっている。
セレナには相当なストレスが掛かっていたのは想像に難くない。
本人から愚痴られたわけではないので、全て憶測だけれど。
もしかしたら風邪の原因も彼女たちにあるのではないだろうかというくらい、普段のセレナは居心地が悪そうに見えた。
これもあくまで千春からはそう見えるだけという話だが、これを機に話を聞いてみるのも良いかもしれない。
『どしたん? 話聞くよ?』って感じで相手の悩みや愚痴を聞きだすのは、好きな子と親密になるのに大変有効な行動である。
千春は頬杖をつきながら、スナコのピコピコ楽しそうに震える猫耳を眺めていた。
人間っていうのは複雑で難しい。
いつものようにソフィアと戯れながら、セレナがいない、いつもとは違う雰囲気の学校を過ごす。
放課後のアルバイトは、セレナの代わりに店長がホールに入り、ファミレスの業務は滞りなく進んだ。
店長は少し鈍臭かったけど。
セレナの前だとカッコつけたい千春は、明るい雰囲気を保ったまま全ての行動を手際良く進められる一方で、セレナがいないと愛想笑いも冷たくて、全体的に怠そうな動きになってしまう。
一緒に働いているだけできりっと背筋を伸ばしたくなるような、身が引き締まるような思いにさせるのが、セレナという少女だった。
「セレナちゃん早く良くなるといいね」
「そっすね」
忙しい時間帯が過ぎた後のゆったりとした空気感のホール。
食器を片づけていた千春の元にやって来た蜜姫と、療養中のセレナについて語る。
「宮火くんはセレナちゃんのお家知ってるんだよね? 帰りにお見舞いとか行くの?」
「適当に飲み物と食べ物だけ置いて行こうかと思ってます」
「優しいね~」
「まぁそうっすね。優しいです」
「あはは。なにそれ」
千春は宣言通り、ファミレスのバイトを終えた後、近くのコンビニエンスストアに向かった。
適当にゼリーとか水とかアイスとかを購入して、袋を提げて店を出る。
初夏とはいえ、夜はまだまだ肌寒い。
セレナが隣にいないのが少しばかり寂しかった。
街灯が規則正しく並んでいるのに、妙に薄暗く感じる住宅街を通って、セレナ宅を目指す。
途中、歩きながらセレナに電話を掛けた。
三回目のコールで音が途切れる。
『もしもし』
「セレナさん、おはよう」
『切るわね』
「ちょっと待って! 今バイト帰りで、お見舞い行くとこ。もうすぐ着く」
『流石に遠慮して欲しいのだけれど』
想像通りの嫌そうなセレナの声。
確かに、風邪をひいている時に同級生が家まで押しかけてくるのは、少なからず気を遣うので人によっては嫌だろう。
千春だって恋人ならともかく、友人がわざわざ訪ねてくるのは、感謝するべきだと分かっていても嫌だった。
「長居はしないから。お見舞いの品だけ受け取って」
『…………』
「あー、じゃあドアノブに掛けておくから、誰かに取られる前に受け取って」
一方的に告げて、千春は電話を切る。
電話をしている内に、見慣れたアパートが見えてくる。
アパートの二階に上がり、
意外と千春の無礼な行いを許してくれるセレナも、今回ばかりは流石に嫌がっていたし、チャイムを鳴らすのは遠慮するつもりだった。
千春は図太く相手のパーソナルスペースに踏み込んで行くタイプだが、弁える時は弁える男だ。
先ほど電話で宣告した通り。ドアノブにお見舞い品の入った袋を掛けようとする。
その時、ドアノブが静かに回った。
カチャリ。
扉がゆっくりと開き、中からピンクのパジャマ姿のセレナが恐る恐る顔を覗かせた。
髪はぼさぼさで、いつものクールな無表情もどこか弱々しい。
別に欠片も疑ってはいなかったが、彼女の様子から察するに本当に風邪をひいているようだった。
「こんばんわ」
「一応、顔だけ見せようと……でも、悪いけど……帰って」
「分かってるよ。無理言ってごめんね」
千春は安心させるように笑いながら、セレナにお見舞いの品を渡す。
「ありがとう……あなたに借りは作りたくないけど……」
「治ったら取り立てるから、よろしく」
「お金くらい、今渡すわ……待ってて」
部屋に戻って財布を取ってこようとする彼女の腕を掴んで引き留める。
「お金以外で返してもらうから」
「あなた、本当に最低ね」
「冗談だよ、冗談。それは
ぱっと腕を離し、彼女を解放する。
「それじゃ、お大事に。早く良くなってね~」
「あっ……」
これ以上話し込んでも無理させるだけなので、渡すものは渡した千春はさっさと退散する。
『ありがとう』
セレナからのメッセージが、すぐさま千春のスマートフォンに届く。
『どういたしまして』
千春は簡単にあいさつの言葉を返して、スマートフォンをしまう。
一方、千春からメッセージを受け取ったセレナは、ベッドの横に背を預けて地べたに座り込んでいた。
今日は一日、千春が見舞いに来てくれるかどうか、考えていた。
もちろん、来て欲しくはない。
弱っている姿は見られたくないし、相手をすると考えただけでも精神的に疲れる。
来て欲しくはないけど、来なかったらそれはそれで苛立っただろう。
結果として、千春は来てくれた。
嫌々とした態度を取りつつも内心嬉しくて、ついつい扉の前で彼が来るのを待ってしまった。
千春から貰ったお見舞いの品。
数本の飲み物と栄養補助を目的としたゼリーが数個に、アイス、栄養ドリンク、サンドイッチなんかが入っていた。
千春からの愛情を嫌でも感じる。
大切にされているのを実感して、セレナは思わずベッドにうつ伏せで寝転んだ。
きっと今だけは、ソフィアよりも自分のことを考えてくれている。
セレナはベッドで横向けになり、枕をぎゅーっと抱いた。
瞼を閉じれば、千春の笑顔が浮かんでくる。
体中がぽかぽかする。
顔が熱い。
これは果たして風邪のせいか、それとも――
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