セレナ6






 浅上 セレナがいつも通りそつなく学校生活を終え、アルバイトに励む平日の一幕。


 いつもと違うのは、普段一緒に働いている宮火 千春が、他のアルバイターのシフトの交代に応じたため、不在であるという所。


「すみません。これ連絡先です……あなたとお話したいです」


 会計時に常連客から押し付けられる連絡先が掛かれた紙。

 客が支払いを終えて、セレナの方に会釈して後ろ髪を引かれるように店外に出た瞬間、速攻でゴミ箱行きとなった。


「店員さん、バイトっていつ終わるの? 待ってるから少し話さない?」


「結構です」


 配膳した際に客から呼び留められたかと思えば、唐突にナンパされる。


 セレナは愛想の欠片も見せずに、即座に突き放すような態度を取る。


「君さぁ、接客業でその愛想の無さはダメだね。俺の店だったら速攻で首になってるよ」


「はあ……」


 次はまったく知らない中年のおっさんから愛想の無さを指摘される。

 お前の店じゃないから首になんねえんだわと思いながら、適当にあしらう。


 接客中、四人組の若い男性客から盗撮されているような気配もあった。確証がないので詰めるわけにもいかず、ただイライラだけが募る。


 千春がいない時に限って―-いや、千春がいないからだろうか、あまりにも酷い客に絡まれ続け、セレナの中でストレスとイライラがとてつもない速度で溜まっていく。


 セレナがバックヤードに戻ると、今度は店長の向田むかいだに声を掛けられる。


「おつかれ、セレナちゃん」


 向田むかいだは気安く、休憩に入ろうとしていたセレナの背中を軽く叩いた。

 ぶわっと全身に鳥肌が立ち、思わず距離を取る。


「セクハラです。触らないでください」


「あ、ご、ごめんよ……」


 セレナにきつく睨みつけられ、肝が小さい向田は慌ててその場を去った。

 四十代で独身の向田は、時折劣情の籠った瞳でセレナを盗み見ていることがあった。

 そういう目で見られているだけでも気持ち悪いのに、触れてくるなんてもってのほかだ


 気分を悪くしながら、休憩室に入る。

 

「おつかれ~っす」


 先に休憩していたキッチンスタッフの倉田くらた 英樹ひできが、笑顔でセレナを迎えた。

 思わず溜息を零しそうになる。


 英樹は20代の若い男で、近くにある無名の大学に通っている。しかし、遊びすぎて三年も留年しているどうしようもない人間だ。

 ファミレスでバイトをしている割には、そこそこ高価なスポーツカーを乗り回していたり、チグハグな印象の男だった。


「セレナちゃんさぁ、せめて既読ぐらいつけてよ」


 グループルーツ経由で友達申請が来たので、シフト変更の際の業務連絡に必要かもしれないと承諾したのが間違いだった。

 送られてくるのはセレナについての質問と、遊びへの誘いのみ。

 ブロックこそしていないものの、通知を切って放置していた。


「業務連絡であれば応じます」


「つれないなぁ」


 セレナは無言でスマートフォンの操作を始め、英樹の会話には応じないという分かりやすい壁を作る。


「そういや今日、宮火くんいないから、俺が代わりに家まで送って上げるよ」


「遠慮しておきます」


「えー、そんなこと言わずにさぁ~。付き合ってるわけではないんでしょ?」


「はい」


「本当に送るだけだって」


「結構です」


「ガード堅いね、セレナちゃん。俺も悪くないと思うんだけどなぁ~」


 悪くない、というのは諸々のことを指しているのだろう。

 顔は確かに悪くは無い部類だ。人によってはカッコいいと評すであろう、彫りの深い顔立ち。

 前髪を整髪剤でサイドに流して固め、長い襟足もヘアゴムで一纏めにしていて、ぱっと見の清潔感もある。

 身長も千春よりかは小さいが、170台半ばほどはある。身体の線が少しばかり細いが、好きな人は好きだろう。 

 制服に着替える前の恰好を見たことがあるが、おしゃれに気を使っているのは一目で分かった。

 スポーツカーや、身の回りの装飾品から、なんとなく実家が太そうな空気もあって、確かに女性にはモテる要素が多い。


 しかし、セレナは何一つ魅力に感じなかった。


 英樹と同じく軽薄な言動を取る千春に対しては何も思わないのに、英樹に対しては強い不快感があってどうしようもない。

 一緒に働き始めた頃は千春に対しても同様の嫌悪感のようなものはあったけれど、いつの間にか無くなっていた。


 英樹とは時々同じシフトになっていたが、彼に対する生理的嫌悪感は未だに薄れてはいない。

 

 それからもしつこく会話を振られたが、セレナは適当に答えて休憩を終えた。

 休憩なのに、まったく休まった気がしない。


 それもこれも、安易にシフトを交代した千春のせいだ。

 あまりにも理不尽な怒りが、千春に向けられる。


 千春と一緒にホールで働いている時、千春はボディーガードのようにずっと傍にいるわけではない。

 だから、千春がいようがいまいがそこまで影響はないはずなのに、なぜか今日は客にもスタッフにもよく絡まれる。


「ねぇ、セレナちゃん。ちょっといい?」


 オーダーストップの時間帯となり、すっかり静かになった店内を黙々と掃除しているセレナに、蜜姫が周囲を気にしながら話しかける。


「どうかしましたか?」


「今日の朝、朝霧あさぎりさんから連絡が来てね……向田さんが女性用の制服を車から出して店内に持ち込んでいるのを見たって……」


「制服?」


「あ、制服っていうのはファミレスの制服ね」


 蜜姫が、自分の制服の裾を指で摘まんで見せる。


「知っての通り、スタッフの制服はクリーニング業者が持って行ってるからさ……おかしいんだよね」


「…………」


「怖がらせるつもりは無いんだけど、気を付けてねっていう話でした……まぁ、どう気を付ければいいんだよって話だけど」


 セレナが無感情に俯いたのを見て、蜜姫が安心させるように笑いかけてくれる。


「そもそも朝霧さんの証言だけで証拠がないし、ごめんね……変な話して。あんま気にしないで。忘れていいから」


 怖がらせてしまったかもしれない。余計なことを言ったと、蜜姫は後悔する。

 なんの確証もないのに、セレナを動揺させてしまうのはあまり良いこととは言えない。


 ただ、セレナがこの店に入ってからというものの、向田は怪しい目つきで彼女を見ていることが多々あったから、どうしても注意しておきたかった。


「……本当、最悪ですね」


 セレナはただ一言だけ残して、掃除に戻った。


 蜜姫は彼女の背中を申し訳なさそうに見つめることしかできなかった。


 バイトが終わり、セレナが外に出ると、真っ赤なスポーツカーに乗った英樹が駐車場から徐行して裏口まで迎えに来る。


「乗っていきなよ」


「嫌です」


「いや、外こんなに暗いしさ。女の子一人じゃ危ないって」


「お疲れさまでした」


「あっ、ちょっと……!」


 強引に会話を打ち切って、セレナは走ってその場を後にする。

 スポーツカーが付いてこないことを確認して、セレナはようやく一息ついた。


 これでようやく嫌な一日が終わったと清々したのも束の間、背後から聞こえてくる足音に息を呑む。


 まだストーカーだと決まったわけではない。過敏に反応しすぎだと、自身を抑える。


 中学時代は、何度もストーカーされた。

 ゆえに背後から聞こえてくる足音、前方に佇む人影、全てが怪しく見えてしまう。


 同級生に、先輩に、知らない大人。

 追いかけられ、待ち伏せされ、それでも精神を病まずにやって来れたのは、セレナのメンタルが人一倍強かったから。


 護身術を覚え、防犯グッズをいくつも抱えて、セレナは今まで何度も自分の身を守ってきた。


 セレナが十字路を左に曲がれば、足音も曲がる。

 進行方向が既に二回、セレナの帰路と一致していた。


 このままではまずいと、額と首筋に嫌な汗を掻きながら、セレナは逃げ出すタイミングを計る。


 細い路地、入り組んだ住宅街で、十字路を曲がった瞬間にセレナは勢いよく走り出した。

 五十メートル走はクラスでトップ。持久力だって悪くはない。

 走りながら、背後を見る。


 人影は追ってきてはいなかった。

 それでも、足は止めない。


 自宅までの道のりを駆け足で進みながら、セレナは心の中で思う。


 千春がいないから、最悪な一日だった。


 幾度となく面倒な客に絡まれ、卑しいスタッフの相手をする羽目になり、挙句の果てにストーカー。


 今度から、千春にはシフトの交代には応じて欲しくない。


 セレナのシフトに合わせてずっと傍にいて欲しい。


 もし私に気があるのであれば、あなたの方から積極的に男除けになるべきだ。


 あまりにも身勝手な千春への要求が次から次へと溢れてくる。


 セレナは無意識に理解した。




 千春の隣こそが、セレナにとってもっとも安全な場所なのだと。





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