ソフィア6





『エタガには独自の翻訳機能が備わっており、私たちでも問題なく会話できるようになります』

『千春にはプレイして欲しい』

『買いませんか?』


 めちゃくちゃVRMMOを推してくるソフィアに負けて、千春はVR機器を買うと約束してしまった。

 何はともあれ、VRMMOのエタガ内であればソフィアとまともに会話が出来るらしいので、彼女との相互理解を深めるべく電化製品店へとやって来ていた。


「高っか!」


 目玉商品ですとばかりに店の中央に展示されているVR機【TERRA_RABITTO】

 その前に貼られている148000円の値札を見て、千春は思わず声を漏らす。

 どうせ三万円くらいだろうと高を括っていた千春は、予想の五倍近く高いVR機の値段に大変驚く。


 千春のお家はレナ高に通う金持ちの子息子女にも匹敵するぐらいに裕福だが、長女の千夏と次女の千秋が甘やかされ過ぎてわがままモンスターお姫様と化して以来、三女の千冬と長男である千春は厳しく躾けられて育ったため、金銭感覚はまともだ。

 そのまともな金銭感覚が、「これは高い」と告げている。


 道楽息子にならないようにと愛情を持って厳しく育てるのは結構だが、お陰様でバイトをしないと自由に使えるお金が少なくてこういう高い買い物の時に困る。

 千夏と千秋は好き放題高い物を買っていたというのに。


 なにはともあれ、肝心のエタガは基本プレイ無料なので、ハードルはこのVR機本体だけ。


「しゃーない、貯金から出すか」


 4月分のバイト代は入っているが、到底足りない。

 お年玉貯金を崩すしかなさそうだった。

 ソフィアと無理なく会話が出来ると言うのはとても魅力的ではあるが、VRMMO自体に興味が無いので大金を払うのは抵抗がある。

 しかし、仮に買わなかったらソフィアがとても悲しそうな顔をしそうだったので、買わないという選択肢は選べない。


 投資した分だけでも、ソフィアとなんかいい感じの思い出が返って来ることを祈りながら、千春はVR機器を購入した。


 こんな高価なモノを「当然、買ってくれるよね?」みたいな雰囲気で勧めてくる時点で、ソフィアの家柄は良いんだろうなっていうのが分かってしまう。

 父親は元政治家らしいし、当然と言えば当然か。


 大きな紙袋を手に提げながら、千春は帰路につく。


 父親が所有するマンションの一室に「ただいま」と告げながら、千春は自室に入る。

 「おかえり」と迎える声は聞こえない。今は誰もいないようだった。


 両親から今のうちに生活力を磨け、自活してみろと言われ、千春は一人暮らしをさせられている。

 女の子を好き放題お家に呼べるのはメリットだが、やはり自炊やら掃除は面倒くさい。

 とはいえ、几帳面で綺麗好きな千春は、男の一人暮らしとは思えないくらいに、部屋を清潔に保っていた。

 ぬいぐるみや本がいくつか棚の上に置いてあるだけの殺風景な自室で、マニュアルを読みながらVR機器を設定していく。


『VRを買いましたか?』


 機械翻訳を用いたメッセージがソフィアから飛んでくる。

 「買ったよ」と小さく呟きながら、購入したことを伝えた。


『私のプレイヤーネームはソフィアです。識別番号は7737です』


 識別番号が千春にはよく分からないけど、察するに同じ名前のプレイヤーを識別するための番号だろうか。


 ヘルメット型のVR機器を頭に装着して、ベッドに横になる。

 ゴテゴテした見た目のわりに、意外と寝心地が良かった。寝返りも問題なくできる。


 ヘルメットの遮音性が凄まじく、頭に被せて首元の留め具を付けると、外部の音がまったく聞こえなくなった。

 千春自身の息遣いと心臓の音がよく聞こえるほどに静かだった。

 これは確かに金が掛かっていると認めざるを得ない。まだ起動していないのにも関わらず、VR機器が高価な理由に納得してしまう。


 とりあえず、準備を終えた千春は遂にVR機を起動するに至った。


『TERRA_RABBIT STAND_BY』


 短く、機械音声が流れた。

 その後、一定のリズムで、ポーンという間延びした電子音が遠くから聞こえてくる。

 マニュアルによると、この音が鳴っている間はVRの起動をキャンセルできるらしい。


『TERRA_RABBIT Launch』


 次に機械音声が流れると、急に無音になる。

 静寂の中で、目を閉じながらしばらく自分の心音に耳を澄ませていると、聴力検査の時に聴かされるような電子音がいくつか、遠くから聴こえて来た。

 その音を聞いているだけで、なぜかあっという間に眠気がやって来る。


 こんなに素早く眠りに持っていけるとか、一体どんな技術なんだよと突っ込む暇も無かった。


 身体が脱力し、顔が横に傾く。


 薄れゆく意識の中、千春は静かに目を開いた。


 ぼやけた視界の中、ベッドのすぐ傍に千春と同じレナ高の制服を着た少女が佇んでいるのを見つける。


 部屋の電灯による逆光で、千春を見下ろす彼女の表情を見ることは叶わなかった。




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