ソフィア3




 

 なんか適当な口説き文句をルテニア語に翻訳してソフィアに伝え、それとなくからかって遊ぶという交流は、以降も続いた。

 

『調子はどう?』


「■■■■ ■■」


『葦原語 で 伝えて』


「……よい」


 ソフィアは相変わらず無感情だが、律儀にも千春のコミュニケーションに付き合ってくれていた。


『あなたほど美しい人を見たのは初めて』


「…………」


 ルテニア語――というより、彼女の母国であるヴェスタ連合王国では定番らしい口説き文句をネイティブを意識した発音で伝えてみると、彼女は無言のまま顔を逸らした。


 フられたか。

 そっぽを向かれたことに悲しみながら、どの角度から見ても芸術的な美しさを感じるソフィアに無遠慮に視線を注ぎ続けた。

 千春は頬杖を突きながら、スマートフォンを操作して次の言葉を探す。 

 新しい口説き文句を学んで、再び彼女にルテニア語を投げかける。


『いつもあなたのことを考えてる』

『毎朝、君を見つける度に私の胸は幸せで満たされる』

『あなたに出会った時から、いつだってあなたは私の夢の中に出てくる』


 なんかそれっぽい身振り手振りを加えて、ついでに気持ちを込めて、不慣れな発音で口説いてみた。

 ヴェスタ人はこんな歯が浮くようなセリフで女性を口説いているのか。やはり文化が違う。


「よくない」


 半笑いで吹き出しそうになりながら口説いていると、ソフィアがぴしゃりと叱る。

 ソフィアは半目で千春を睨みつけていたが、よく見れば耳も頬も赤く染まっていた。

 羞恥に震えている彼女の姿は、あまりにも愛らしかった。


「可愛い」


「…………」


 ソフィアは机の上に両腕を置いて枕にし、顔を伏せた。いつも背筋を伸ばして姿勢よく座っている姿ばかり見ていたので、少し新鮮な光景である。

 じろっと、彼女の透き通った宝石のような碧眼が千春へと向けられる。


「■■■■■■ ■ ■■■■■ ■■ ■■■■」


 千春のぎこちない発音とは違う、本場の流暢なルテニア語でソフィアはなにかを告げるが、ブレザーの袖に引っかかってもごもご籠っていた。

 引っかかってなくても意味は分らないけど。


「何言ってるか分かんない」


 ばいばーいと手を振って、千春は会話を打ち切った。

 あんまり長いこと話し続けてもソフィアが疲れてしまうだろうし、国際交流は気長にやっていく方が良さそうだ。


 それからは毎日、一言か二言、イヤホンを片耳に付けてルテニア語で話しかける日々が続いた。

 迷惑そうにしていたり、嫌がっている様子であればやめようと思っていたが、話しかけないでいるとソフィアがチラチラとこっそり伺うようになっていたので、気軽に話しかけている。

 ソフィアもなにか学んだ葦原語で話しかけてくればいいのに、彼女は中々喋らない。


 そう思っていたある日、珍しくソフィアから話しかけられた。


「あたな の 名前 なに ?」


 珍しく接続詞を使用したり、最後がちゃんと疑問文のイントネーションであったり、不慣れな彼女にしてはしっかりとした葦原語だった。


「ちはる」


 下手に苗字を言って苗字で呼ばれたら嫌だったので、敢えて名前だけを伝える。

 なんとなく、彼女には名前で呼んで欲しかったから。


「……ちはる」


 目線を合わせながら、確かめるように復唱する。


「ソフィア」


 特に意味もなく彼女の名前を呼びながら、愛想良く手をひらひらと振る。


 名前を教えたその日から、ソフィアからはよく名前を呼ばれるようになった。


 『ねえ』『あの』『ちょっといい?』『すみません』みたいな呼びかける時の言葉で、適切なものを選択できない(分らない?)彼女は、全ての呼びかけ語が『ちはる』で固定されたため、家族よりも千春の名前を呼ぶ頻度が高い。


「ちはる」


「なにー?」


「今日の天気、良い?」


「良いよ」


「わかった」


 会話の流れに違和感があるものの、ソフィアは簡単な葦原語を千春相手に試すようになった。

 ナンパした甲斐があったと、彼女に話しかけられる度に笑顔で対応する。


 毎日熱心に勉強しているとはいえ、ソフィアはまだ簡単な文章しか話せないし、聞き取れない。

 適切な接続詞を選ぶのに苦労している部分もあり、単語だけで意思を伝えようとしてくる時も多かった。


 こうして千春は、学校生活の大半の時間をソフィアに注ぎ込んでいく。

 今では、むしろ友達がいなくて良かったとさえ思う。


 友達がいたら、友達との会話よりソフィアとの会話を優先して人間関係が破綻していたかもしれない。


 


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