第26話 クンシ地区

 濫枒が正面切って暗殺大群に喧嘩を吹っかけた話は、クンシ地区でも広まっていた。

 武器を備え人員を揃え、いつでも暗殺大群は敵を迎え撃てる体制を万端整えている。

 ウイのこのところ、その準備でジオのそばを離れることが多かった。

 ばたばたと落ち着かない時間の合間を縫って、ジオは再び、メインミーの眠る地下神殿を訪れる。

「ここは静かでいいですね、メインミー。外は今、とてもうるさいんです。ろくに考えごともできやしない」

 ジオは、メインミーにいくら感謝してもし足りない。

 孤児であった自分を拾っただけでなく、この世界で生きていく術を与えてくれたのだから。

 冷凍保存されて眠る、決して直接触れることのできない人を抱きしめるように、縋りつくように、冷たいカプセルに頬を押し当てて。

 ジオは、夢見るように眼差しをやわらげた。

「貴方が『ファタール』だったら良かったのに。いつも、そう思うんです」

 何故だい、と――。

 ジオの脳裏に今も生きるメインミーが、柔らかく微笑して首を傾げているような気がする。

 見た目は気の弱い青年のようで、いつまでも若々しくて、ちょっと頼りないところがあって。

 穏やかな性格をしている反面、スイッチが入ると誰よりも残虐になる二面性も、ジオは崇拝していた。

 この人の優しさは、多くの屍を積み上げたうえで成り立っている偽りのものだと承知のうえで、魅了された。

 愛した。

 ジオは完璧なものより、歪なものに惹かれる。

 メインミーとジオは似た者同士で、内面の歪みぶりもよく似ていた。

 人を殺すことを生業としていて、他人を利用することに躊躇いがない。

 人としてのネジが外れ、心のどこかが壊れているところまで、このふたりはそっくりだった。

 ジオの耳に今も残る声が、面白がるように笑う。

 ファタールとはまた、古い話を知っているね。

 今も無事だったらきっとあの人は、そう言ってからかうだろう。

 私より、ジオのほうが年寄りみたいだ――と。

「だって、ファタールだったら死ぬまで殺し合う因縁の間柄でしょう。どうせ死ぬなら、僕の手で引導を渡してあげたい。病気なんかで死なせはしませんよ。僕が殺してあげたほうが、貴方だって嬉しいでしょう?」

 こうしている間にも、時は刻々と過ぎていく。


 しばらくカプセルの上に突っ伏していたジオが、不意に顔を上げた。

 もう暗殺大群のナンバー2の顔に戻っていて、今までの少年めいた雰囲気はどこにもない。

 ジオがここを訪れるのは、なにかに揺らいでいるとき。

 そして、なにかを決断したときだ。

「貴方の遺伝子を継ぐ息子――リー・タオロンのことを、今まで貴方の言いつけどおり守ってきたけれど。もうそろそろ、いいですよね?」

 中性的な美しい頬に浮かぶのは、魔性の笑み。

 破壊欲と殺意に満ちた、禍々しいからこそ研ぎ澄まされた笑み。

「あの子供は、貴方が遺伝子治療のためのスペアとして生み出した命だ。臓器交換用のパーツに過ぎません。それにしては欠陥品ですけどね」

 それでも今まではまだ、リー・タオロンに存在意義はあった。

 忌々しいことにメインミーの実子ということもあって、彼に忠誠を誓っている幹部も多い。

 暗殺大群の大幹部は、全部で十三人。

 ジオでさえ、一癖も二癖もある彼らをまとめることは至難の業だ。

「貴方のオリジンを保存することに成功したから、もうあの子供は必要ありません。どっちみち、あんな欠陥品じゃあ、貴方に使うこともできませんしね」

 ここに来る直前、ジオは、配下の男たちに直接命令を下した。

 リー・タオロンを始末しろ、と。

 てこずることもなく、彼らはすぐに戻ってくるだろう。

「貴方のあとは僕が継ぎます。貴方が以前話してくれたように、暗殺大群がこのスラムシティを支配してみせますよ」

 メインミーはリー・タオロンのことも愛していたように見えたけれど、本心がどうだったのかは、ジオにも読めない。

 彼はどこまでも本音を見せない男だったから。

 ただ、リー・タオロンではメインミーのあとは継げない。

 それだけは確かだ。

「あちらの計画――死は詩う《カンタレラ》計画も着々と進めています。目覚めたとき、貴方は……僕を、褒めてくれますよね?」


                 ※


 それから数日後。

 メ組が乗りこんでくると果たし状に明記していた夕暮れ時――。

 ウイはクンシ地区入り口のバリケード沿いに、暗殺大群の戦闘要員たちを従えて待ち受けていた。

 地区ごとにバリケードを築いているのは、よそ者の侵入を防ぐためだ。

 ウイルスを持ちこまれないよう、何重にもセンサーを取りつけておかないと、いつ何のきっかけで感染が広がるかわからない。

 そのセンサーは、たとえ今であっても切らない。

 大抵は夜討ち朝駆けの奇襲が多いから、こういうふうに堂々と戦闘を申しこまれるのは初めてだ。

 だからか、ウイはちょっと落ち着かなかった。

 周囲に満ちる緊迫感のせいで、首筋がちりちりする。

 対照的にジオは、待機させているリムジンに背中を預けてもたれかかり、ゆったりと紫煙を燻らせている。

 手にしているのは、愛用の煙管だ。

 特別に誂えさせたもので、漂う煙はひどくあまい。

 そろそろ、メ組がやってくる刻限だ。

 ジオは、緊張感を漲らせるウイに声をかける。

「ウイ。準備は」

「できている」

「頼もしいですね。任せましたよ」

「ああ……メ組の連中など、クンシ地区に一歩も入れはしない」

 どこに潜んでいたのか、濫枒率いるメ組の一団が、ざっと現れる。

 ぱっとみたところ人数は暗殺大群より少なく、率いてきたのは武器を持った男たちばかり。

 ウイは思わずつぶやいた。

「やっぱり、堂々と正面切って乗りこんできたか……ジオ、賭けは貴男の勝ちだ」

 少し悔しそうなウイに、ジオは煙管を手にしたまま、うつむき気味に笑う。

「だから言ったでしょう? ヒガンの輩は正々堂々としたやり方を好むんです。僕らとは考え方からして根本的に違うんですよ」

 喧嘩の際には必ず使用する愛用の太刀を持った濫枒が、ジオに向かって口を開いた。

「聞きてえことがある」

「僕は聞きたくありません」

 丁々発止のやり取りは、低く大きく周囲に響く。

「三年前の大火災……黒幕はてめえで間違いねえな?」

 美しい顔に嘲笑うような笑みを浮かべて、ジオは傲然とうそぶいた。

「さあ……? 何のことだかさっぱりわかりませんね」

 濫枒の力強い双眸に、ぎらぎらと激情が滾る。

「しらばっくれんな! 裏は取れてるんだ。おおかた珊泉を連れ戻すために、てめえが全部仕組んだんだろうが」

 その名前に、ウイがぴくりと反応した。

「珊泉……」

 その名には、聞き覚えがある。

 以前もこの青年が、その名を口にしていた。

「無駄話なんかをしている時間はないでしょう――さあ、麗しき惨劇の幕開けです」

 ジオが、舞でも舞うかのようなしぐさで両腕を広げてみせた。

 さながら、大きな一羽の黒鳥のようだ。

 陽が落ちて、戦いの予感に胸が躍る。

 ジオが、短く煙管を打ち鳴らす――それが、戦闘開始の合図だ。

「ウイ――僕の美しい毒華。きみの出番ですよ」

 メ組と暗殺大群の戦いの火蓋が、切って落とされる。




 厳つい男たちの肉弾戦で、あっという間にバリケード周辺が埃と血に染まる。

 双方ともにいい勝負で、バリケードを突破しようとするメ組の中では久我の戦いぶりが目覚ましい。

 大柄な体躯に似つかわしい戦闘スタイルで、武器を使用するより、拳のほうが強い。

 久我に脇を守られた濫枒が斬りこみ隊長だ。

 大きな刀を鞘ごと振り回し、暗殺大群の男たちを薙ぎ払っていく。

 対するウイの戦い方は攻撃一辺倒で、守備はあまり強くない。

 己の身軽さを武器にひたすら挑みかかり、素早く相手を薙ぎ倒していく。

 リムジンを退避させたジオも、煙管を手にしたまま、数人の雑魚を回し蹴りで沈没させる。

 麗狂気の名は伊達ではない。

 こういうとき、誰よりも壮絶に血の花を咲かせるのが麗狂気たる所以だ。

 戦いの空気に、血湧き肉躍る昂揚を抑えきれない。

 そこへ、大幹部からの言伝を持った使いが駆けこんできて、慌てふためいた様子で何事かを耳打ちした。

 

 ジオの切れ長で涼やかな双眸が、ぱっと見開かれ――。

 戦いながらもウイは、ジオの白い面に嬉しそうな笑みが一瞬浮かんで消えたのを見逃さなかった。

「ジオ? どうかしたのか」

 ウイが相手をしていたメ組の男を、ジオがこともなげに足蹴りにする。

 つま先が敵の腹部にめりこむ勢いで蹴り飛ばし、呻き声を上げさせながら、ジオはウイの腕を掴んで引き寄せた。

「僕は行かなければなりません。ウイ、あとはよろしく頼みます」

「どこへ」

 戦闘の最中に抜けるなんて、ジオらしくない。

 ウイが敵を殴り飛ばしながら尋ねると、平坦な声音で返事が返ってきた。

「リー・タオロンが死んだんですよ」

 え、とウイは一瞬硬直する。

「ウイ。きみはあの男を仕留めてから戻っておいで」




 ジオが離脱した直後、ウイと濫枒の目が合う。

 お互いに腰を落として構え、ウイは視線をそらさないまま、暗器を装着した。

 今まではお互い、ほんの小手調べ――武器を持ち出したこれからが本番だ。

 ウイがもっとも得意とするのは、この鋭い鉤爪を加工した手甲鉤てっこうかぎだ。

 銃は銃弾に限りがあるので、いまいち不安なこともある。

 けれど手甲鉤は殺傷能力が極めて高いうえに、滅多に壊れることもないので――ウイは、本気で相手を害したいときにのみこの暗器を使用する。

 それを見た濫枒が、短く口笛を鳴らした。

「鉤爪か。珊泉は使っていなかったな。そんなもん、いつから使うようになった?」

 珊泉。

 その名前を聞くと、なぜか無性に気分がわるくなる。

 ウイは鋭い鉤爪を一閃させて躍りかかった。

 細身だけれど筋力があるので、その勢いはまるで竜巻のようだ。

「黙れ」

 濫枒は腕に巻いた鎖帷子のような籠手で、鉤爪を跳ね返す。

「いつから鉤爪使いになったか当ててやろうか。三年前からじゃないか?」

 バリケードの高低差を上手く利用してウイの攻撃をひょいひょいと躱しながら、濫枒が続ける。

「黙れと言っている!」

 金属のぶつかり合う音が響き、火花が散る。

「以前のお前はもっと素早くて、鉤爪なんか使わなくても強かった。でも左足を庇って動く癖がついたせいで動きが多少鈍り、戦い方を変えざるを得なかったんだろう」

 違う。

 武器を重用すると、威力が増す。

 殺傷能力が格段に上がる。

 そう教えられて、ウイは鉤爪を愛用するようになった。

 けれど。

「なぜ、左足のことを知っている……っ?」

 左足首が時折痺れて力が入らないことも、ほんのわずかに動きが鈍るときがあることも、ウイは誰にも秘密にしていた。

 暗殺大群のお抱え医師にも、指導役たちにも。

 ジオにすら秘密にしていることを、どうしてこの男が知っているのか。

「引きずる癖が残ったんだな。治療中もお前、あれこれ動き回っていたから仕方ねえ。おとなしくしていれば、もっと綺麗に治ったんだろうけど」

 濫枒が、ウイの足もとを観察しながら問う。

「あのあとからでもリハビリすりゃあ、それなりに癖も消せただろうに。なんで治さなかったんだ?」

「うるさい……っ!」

 ウイが、鉤爪を横薙ぎに閃かせた。

 今すぐ、この男の喉を引き裂いてやりたい。

 ――言えるものか。

 暗殺大群では、弱みがある者はそこで終わる。

 一度任務に失敗している以上、ウイは常に完璧でいなくてはならなかった。

 役立たずは、生きている価値などないというのが不文律の掟だ。

「鍛錬までなら支障はないんだろうが、こういうときには、ちょっとした差異でも影響する。そろそろ、違和感どころじゃなく痛んできたんじゃないのか? 動きが鈍ってきているぜ?」

「黙れ……っ」

 鉤爪が唸る。

 鋭く尖った先端が、濫枒の首筋を切りつけて皮膚を切り裂く。

 濫枒はそれを気にも止めずに冷静にウイを眺め、それから静かに口を開いた。

「――珊泉」

「だから、それは誰だ!」

 暗殺大群の守りが次第に手薄になり、十重二十重のバリケードはもはや、破られる寸前。

 それを見て取ったウイは、素早く合図を送った。

「点火!」

 爆薬に火が放たれて、辺り一面が爆音とともに閃光に染まった。




 耳をつんざく爆発音のあと、白煙が充満する。

「なんだっ!?」

「あいつら、また火ぃつけやがったか!」

 久我たちが混乱し、戦闘が一時不可能な状態になった。

「――落ち着け」

 濫枒が、煙の立ちこめる中、太刀を下ろす。

 むやみに殺生をしないメ組の流儀に従い、濫枒の太刀はまだ鞘が固定されたままだ。

「煙幕張って逃げやがっただけだ。殺気ももうないだろうが」

 夜風が、白煙を少しずつ吹き流していく。

 すでに暗殺大群の戦闘要員たちの姿は、跡形もなく綺麗さっぱり消え失せていた。

 煙にむせた久我が、すっかり混乱しながら言う。

「ボス……珊泉だ。あれ、間違いなく珊泉だわ」

 顔かたちが似ているだけならともかく。

「あんなふうに躊躇なく鉤爪振り回す女が、この世にふたりといるもんか」

 濫枒が同意して苦笑した。

「ああ。物騒さは、さらにパワーアップしてやがったな」

 逃げるためにあらかじめ爆薬を仕込んでおくなど、以前の珊泉なら考えられなかったことだ。

「生きてたんだ……」

 それにしては、と、久我も疑問に思う。

「でも、それならなんで珊泉は俺らに反応しなかったんだ? もしかして、また記憶障害を起こしてる?」

 傍らにいた古参の組員が口を挟んだ。

「まさか。次から次へと記憶をなくすなんて聞いたことがねえよ。記録を操作できるアンドロイドだって、もうちょっとは覚えてらあ」

 濫枒は、首筋を流れる血を手の甲で拭った。

 暗殺大群の一味なら、ヒガン地区の仇だ。

 今更馴れ合うつもりは毛頭ないけれど、疑問は残る。

「……とっ捕まえて、徹底的に調べてみる必要があるな」

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