第25話 冷凍睡眠専用の地下神殿①

 そこは例えるなら、厳かに静まりかえる地下神殿だ。

 クンシ地区の中でももっとも寂れた元・中央区域に、冷凍睡眠コールド・スリープ専用の研究施設があったのは二十年以上前のこと。

 今では、周辺に誰も住んでいない。

 すっかり廃れて忘れ去られたような僻地になっているが、実はその内部では未だに研究が続けられていた。

 一見、朽ちかけた工場のような外見だ。

 中で最新技術を駆使した実験が行われているとは、誰も思わないだろう。

 ただ工場周辺には侵入者を防ぐバリケードが不自然なくらい何重にも作られていて、住民もいないわりに、分不相応な感じではあった。


 数百年前のギリシャの神殿のような造りの地下エリアを、ジオは静かに歩いていく。

 普段影のようについて歩く私的SPたちも、今は外で待たせている。

 案内役の年老いた博士ひとりだけが、小さな手明かりを下げて先導していた。

「こちらです。どうぞ」

 ひとけがまったくないので、ふたりの息遣いや足音がやけに大きく響く。

 老いた博士は、長年の研究生活のせいで、すっかり腰が曲がってしまっている。

 長いこと陽に当たらない生活を送っていることもあって、健康は蝕まれていく一方だ。

 石を積み重ねて作った祭壇のような場所に、冷凍睡眠用のカプセルが安置されている。

 その中で長い眠りに就いているメインミーの顔を思い浮かべて、ジオはわずかに微笑んだ。

 懐かしい、慕わしい――この世において、たったひとりの神のような人。

 実際にはカプセルの顔部分は霜に覆われて、内部はなにも見えない。

 ジオは博士に向かって冷ややかに確認する。

「容態は。変わりないでしょうね?」

「それが……」

 博士が言いよどむ。

「生命反応が若干……若干とは言えないレベルで低下してきておりまして……」

 ジオは眉根を寄せ、抜く手も見せない速さで懐刀を抜いた。

 氷のようにきらめく刃を、博士の喉もとに躊躇なく突きつける。

「っひ…………!」

 青い双眸が、しんと静まりかえった地下神殿の中で、ぎらぎらと光った。

「言ったはずです。メインミーの病状を一切変えることなく保つように、と。特効薬ができ次第、復活するのが彼の計画です。番狂わせなど認めません」

 急所にぴたりと狙いを定められ、老博士はよろけて、カプセルにかかる階段の片隅にへたりこんだ。

「で、ですが……以前にもお話したとおり、冷凍睡眠は本来まだ実用段階に漕ぎつけてはいないんです。これだって試作品の中で、一番出来が良いのを使用しているだけなんですから」

「それは何度も聞きました」

「実用段階に行けないのは、まだ効果が確実ではないからです。数日から数週間眠って起きる実験は何回も行われていますが、それ以上――数年眠り続けた人間の中で、無事に覚醒できた者は存在していないのです」

 冷凍睡眠は専門知識が必要なので、高等教養以上のことはジオにもわからないのだが――博士の話を要約すると、メインミーの脳波が、年を追うごとに少しずつ弱っていっているらしい。

 完璧な冷凍睡眠状態とは言いがたい、由々しき事態である。

「それが実験以前に罹患したクエイク・ウイルスのせいなのか、冷凍睡眠の副作用に当たるものなのかも、我々にはまだわかっていないのです。なにしろ、データが不足しておりまして」

 苛立ったジオは、無造作にナイフを振り下ろした。

 博士の白衣の首から肩まで、瞬く間に血が滲んで流れ出す。

「ひっ……!」

 博士は真っ青になって今にも卒倒しかけたが、致命傷にはなりえない傷だ。

 ジオはあくまで冷酷だった。

「言い訳に興味はありません。あなた方の仕事は彼を完璧な状態に保つこと、そして時が来たときに彼を起こすこと、このふたつだけです」

 そのために、高学歴の博士たちを膨大な賃金を約束して呼び集め、こうして研究を続けさせてきたのだ。

「できますね?」

「ですが、データが……実験台が不足しておりまして」

「実験台ですか。何人必要ですか」

 あっさりと返事をされて、博士は面食らいながら答えた。

「冷凍睡眠の実験台になってくれるような人間は、法外な報酬を与えても、そうそう見つかりません麗狂気。そのせいで、我々の研究も時間がかかっているのです」

「それはそちらが気にすることではありません。取り急ぎ何人いれば、研究を進められますか」

「……最低でも、五人ほどは……」

「わかりました。すぐに十人手配しましょう。迅速に研究を続けるように」


 淡々と頷くジオを、博士は目を見開いて凝視していた。

 慎重に慎重を期すとはいえ、冷凍睡眠の治験には生死の危険が伴う。

 そのため、治験の志願者に支払う報酬は莫大な額になるし、万が一失敗に終わった際には遺族に賠償金を手配する必要も出てくる。

 そんな危険な実験に協力してくれる人材は、なかなか見つからないのが現状だ。


 博士は、自分が初めてこの研究所にやってきたころのことを久しぶりに思い返していた。

 もう十年以上前――いや、もっと前のことになるだろうか。

 それぞれの分野において専門的な知識を持つ研究者というものは、世界的に貴重な存在となってしまった。

 クエイク・ウイルスが世界を震撼させた当時、ウイルスに対抗できる術を生み出す唯一の存在、希望の象徴として博識な層は英雄扱いされたものだった。

 しかし、ちやほやと持て囃されたのはほんのつかの間。

 そのうち――いわゆる、博士狩りが始まった。

 有力者たちは自分たちが助かるための方法として、彼らを支配しようとしたのだ。

 博識な知識を持つ高学歴の者は皆、頼られるどころか、一気に狩られる立場に追いこまれてしまった。

 自分たちだけは生き残りたい。

 自分たちの国だけ残ればそれでいい。

 そう考えた権力者たちに誘拐され、家族を人質に取られて脅され、特効薬の開発を無理強いされて過労死する研究者が続出した。

 ただでさえ人口が激減する中、研究者たちにとっては、後進も育たない暗黒の時代だった。

 そんな状況で、研究が劇的に進むはずもなく。

 逃げ延びた研究者やその家族の懸命の訴えによって、彼らは権力者たちから救い上げられ、国家に正式に保護されることになった。

 すると今度はすべてが国家に管理されているために、研究スピードが目に見えて落ちた。

 何をするにも煩雑な手続きをし、許可が返ってくるのを待たなくてはならなくなり、賃金も雀の涙ほどに激減した。

 要は、拘束相手がならず者から国家に代わっただけ。

 それどころか、研究自体がさらに不便になってしまっただけ。


 当然の結果として、研究者たちは国家からも離れることを選んだ。

 今現在は、暗殺大群のようなバックボーンを自力で得て、表に出ずに日夜研究に勤しむのが主流である。

 博士は傷口を手で押さえてよろよろとよろけながら、ジオに背を向け、研究室へと姿を消す。

 実験台がどこからどう調達されてくるのかなど、想像しなくてもわかる。

 けれども、研究したいという欲望を抑えることはできない。

 ぶつぶつと独り言のように呟きながらも、実験を進めることができる喜びに震える。

「我々研究者は本来、研究さえしていられれば幸せな利己的な生き物。知識欲があるだけで、博愛精神もなければ自己犠牲の精神もない。我々はひとでなしだ……そうだ……こんな世界に、ひとでなしじゃない人間なんて、いやしないんだ……」

 そんな博士の後ろ姿を、ジオは冷ややかに眺めていた。




 ジオは博士が立ち去ったあとも、冷凍カプセルにしなだれかかるようにしてしばらく、微動だにしなかった。

「……なかなかに興味深いものですね、研究者というものも。彼らは人間を犠牲にすることに躊躇し、怖じ気づき、それでも最終的には実験を選ぶ。どうせならさっさと決断すれば、時間を無駄にせずに済むのに」

 ジオは、カプセルに縋るように腕を伸ばす。

「どんな非道な振る舞いでも、大義名分を掲げれば正義になると教えてくれたのも、貴方でしたね」

 周囲はがらんとして何もない、廃墟同然。

 ジオの静かな声音が、ゆっくりと反響する。

「クエイクに感染した貴方はありとあらゆる治療法を試して、なんとか病気に勝とうとしていたけれど……だんだん、症状がひどくなっていって」

 このままでは命が尽きるぎりぎりまで追い詰められたとき、メインミーは決断をした。

 来る死を待つより、冷凍睡眠に希望を持ちたい、と。

 すでに世の中が混沌として、世の中は混沌としていた。

 暴力も愛情も、病気を完治させることはできない――けれど、資金さえあれば。

 生きながら冷凍睡眠をして、特効薬が完成するのを待ち、復活することができたなら――それは、永遠の命を得るのと同等の幸福なのではないだろうか。

 ウイルスに感染し、死が刻一刻と迫り来るメインミーにとって、それは抗いがたい魅力だった。

 不老不死は、人類の見る禁断の夢。

 夢を叶えるために、メインミーは己の組織を最大限に活用した。

 もともとが暗殺を主に請け負う闇の組織の主だから、資金は潤沢にあった。権力もあったし、ツテもある。

 専門知識のある博士たちを攫ってきては研究施設に軟禁し、研究を急がせる。

 早く、早く。

 メインミーには、時間がない。

 急かして少々無理を通して、試験段階の冷凍睡眠装置が完成するころには、病状が進んだメインミーは特殊病院の特別室で寝たきりになっていた。

 成功が約束されていないうちに冷凍睡眠に踏み切ることは、すべての研究員が危険すぎるとして制止した。

 まだ、この技術は完璧ではない。

 ただでさえ病魔に冒されて弱った身体が無茶な冷凍睡眠に挑み、将来的に無事に目覚める保証はできない。

 だが、メインミーの病気もどんどん進んだ。

 今、彼は試作品のカプセルに横たわり、顔にも身体にも霜が降りている。

 知らない人間が見たら、大きな氷の塊が横たわっているようなもので、生きた人間が中にいるとは到底想像もできないだろう。

 研究施設を維持するための資金、最新技術を持つ者たちを方々から引き抜いてくる資金、研究にかける惜しみない資金。

 本来国家レベルの組織でなければできないことを、暗殺大群でやろうとすると、ざっと見積もっただけでも天文学な数値になった。

 宇宙に行くよりも莫大な金額を惜しげもなく注ぎこんで、メインミーは永遠の夢を見る。

 ジオがその夢を引き継ぎ、暗殺大群のナンバー2として売り出しながら、恩人であるメインミーの復活を誰よりも待ち焦がれている。

 この地下神殿は、ウイでさえも知らない、ジオの聖域だった。

 何か相談ごとがあるとき、大きな計画を進めるとき、あるいは珍しく暇ができたとき。

 ジオは必ずここを訪れて、メインミーに向かってゆっくりと語りかける。

「待っていてください。僕が必ず、貴方を目覚めさせてみせます」




 暗殺大群の壮麗な館に戻ったジオは、そこで、濫枒からの宣戦布告状を受け取った。

 ヒガン地区では、堂々と時刻や場所を宣言しての戦闘スタイルが定番のようだ。

 暗殺大群は不意打ちが当たり前なので、こんなクラシックな予告状を受け取るのは、ジオですら初めての経験だった。

「――あの男のやることなすことすべてが癇にさわるのは一体、何故なんでしょうね」

 メインミーがメ組のことを目障りに思っていたから、それだけでも充分潰す理由になり得るけれど。

 ジオは金龍ホテルで邂逅する以前から、濫枒のことが鼻についていた。

 なにもかも、ジオと対極的なところにいる男。

 あの男は、ジオが知らないウイを知っている。

 それが何より許せない。

「ウイのすべては、僕のものです」

 濫枒の脳みそを引きずり出し、踏みつけて、ウイに関するすべての記憶を踏みにじってやりたい衝動で、ジオの頭の中はいっぱいになった。

 ウイはジオのことだけを見ていればいいし、ウイを見ているのはジオだけでいいのだ。

 他の人間は、誰であろうとも近づけたくない。

「フェイフオ」

 短く呼ぶと、小姓がすぐさま目の前に控える。

「はい、マイロード」

「大幹部を今すぐ全員集めなさい――これから、ヒガンのメ組を潰すための会議を始めます」


                  ※


 長い会議の果てたあと。

 フェイフオはひとり、自室に下がって、テーブルの上でカードを広げた。

 細い指先が、複雑な形にカードを展開していく。

 ジオの小姓であるフェイフオは時々、こうやって占いをして自身を落ち着かせる。

 占いには集中力が必要なので、その間はほかのことを考えずに済む。

 生まれつき勘が鋭く、占いは結構的中率が高いが、これはあくまでフェイフオの趣味だ。

 多忙な一日を締めくくる夜のひととき、少年はゆっくりとカードを切って、主君であるジオのことを占っていた。

「あ」

 ひっくり返したカードに、フェイフオはびっくりして手を止める。

「変なカードが出たなあ……」

 緻密なデザインの、芸術的なカードの表面には、恋人たちの姿が描かれている。  

 愛し合い、片時たりとも離れまいと嵐の中で抱き合う美しい恋人たちだ。

 そのカード自体は別に、悪くない。

 けれど、一緒に出た二枚のカードによって、その意味は全然違ってくる。

「『恋人たち』と『死』、それから『輪廻』?」

 三枚のカードがかけ合わさって、大きな意味になる。

 なにげなくするりと、占いの結果が口から滑り出た。

「――死ぬまで殺し合う、宿命の恋人たち……」

 次の瞬間ぞっとして、フェイフオは椅子を蹴立てて立ち上がった。

 カードから、怯えたように手を離す。

「そんなの、『ファタール』でもあるまいし――縁起でもない」

 フェイフオは咄嗟にカードを手で払い、床にバラバラに落とした。

 こうしておけば明日の朝には、暗殺大群のメイドたちが綺麗に掃除して片付けておいてくれる。

 倒してしまった椅子を起こして座り直し、唇に指先をあてがい、フェイフオは考えこんだ。

「一体どうして、こんなカードが出たんだろう……? ファタールなんて、ただの伝説のはずなのに」



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