第21話 それぞれの夜

 ウイは任務があったから、祝宴には参加しなかった。

 もとより彼女は暗殺大群の序列から離れてジオだけに使われているような立場なので、大幹部たちからは存在を無視されている。

 大幹部たちはウイどころか、ジオのことも良く思っていない。

 メインミーの正統な後継者はリー・タオロンであり、ジオはあくまでナンバー2に過ぎないのだから、と、当たりはきつかった。

 年長者を重んじる風習がある暗殺大群の幹部たちの中で一番若いジオを、大幹部たちが快く思わないのは当然のことで――。


 メインミーの命令とはいえ、十三人の大幹部たちはそれぞれ隙あらばお互いを出し抜こうと画策しているから、組織内の空気は一触即発寸前の状態が続いていた。

 ウイを丁重に扱うのはジオと、その息のかかった構成員たちだけだ。

 エレベーターでパーティーフロアに上がっていくジオを見送ったあとは、ペイルを伴って、数人の配下たちと金龍ホテルをあとにする。

 向かったのは、暗殺大群本部の敷地内にあるコンクリート製の建物の地下深く、監禁区域の詰め所だ。

 ここは以前は、暗殺大群が不要と見なした人間たちを拷問したり、惨殺するための場所だった。

 今ではそういった残虐行為はここでは行われておらず、監房は最低限の生活が送れるよう、設備が整っている。

 だが、それはまやかし。

 ここは一度入ったら二度と出られない、地獄の入り口だ。


 それをいやというほど知っているから、ペイルは独房に放りこまれたあとも、狂ったように懇願し続けていた。

「頼む、逃がしてくれ! こんなところで死にたくない!」

 細長く、底冷えのする監禁部屋。

 鞭打たれた痕をおざなりに手当されたペイルは金属製の柵を握り、ひたすらに救いを乞う。

 柵を隔てた通路には、ウイが立って、ペイルの入牢手続きが終わるのを待っていた。

 ペイルの代わりに取り巻きをひとり補充する必要があったし、ペイルの家族には、彼が面会謝絶になったと連絡しなければならない。

 ペイルの身内にいくばくかの金子を払って口封じをするか、それとも家族ごとこの監獄に放りこむかは、ジオの指示を待つ。

「助けてくれ、ここはいやだっ!」

 びっしりと立ち並んだ独房には、囚人たちが詰めこまれている。

 彼らはあきらかに頭がおかしくなった様相で笑い、歌い、爪先が破けて血が出るまで踊り続けている者もいる。

 あるいは涎を垂らして座りこみ、奇声を上げ続け。

 重度の精神崩壊状態にあるとしか思えない者たちは皆、とある薬の治験者である――といえば聞こえは良いが、要は実験動物にさせられたのだ。

 独房の中にはそれぞれ、囚人の容態を監視するためのモニターが設置されているのがその証拠だ。

 モニターは地上にある本部内の研究所に繋がっており、そこでは白衣姿の研究者たちが日夜、黙々と監視作業を続けている。

 哀れなペイルに手を差し伸べようとする者は、誰もいなかった。


「頼む助けてくれ! 金なら出す! いくらでも出すから!」

 必死の叫びに、看守たちは警棒を弄びながら冷静に応じる。

「せいぜい、元気なうちに騒いでおけよ。ヤクを打たれるたびにおとなしくなるんだから、この世に別れを告げるなら今のうちだぜ?」

「麗狂気に睨まれたのが運の尽きさ。第一、実験動物は不足しているんだ。これからもどんどんお仲間が増えるから、楽しみに待ってろよ。なあ?」

「それまで、気が狂わなければの話だけどな」

 この監獄に勤める者は、暗殺大群の中でも選りすぐりの冷血漢揃い。

 泣き落としも買収も一切通用しない看守たちの血も涙もない言葉に、ペイルは真っ青になった。

「毒華、助けてくれっ! あんたなら、麗狂気に頼めるだろ!? さっきも、とりなしてくれただろうっ!? なんとかしてくれ、頼む! 後生だっ!」

 待っていた手続きが終わった。

 無言で引き上げようとするウイの後ろ姿に、ペイルが懸命になって言い募る。

 ウイはくるりと踵を返し、何の反応も見せない。

 それでもなお、追い縋る。

「毒華、頼む……俺にはまだ小さな娘がいるんだ! こんなところで死んだら、あの子は孤児だ、死んじまうよ。毒華、毒華、お願いだから助けてくれえ…………っ」

 整列した看守たちの見送りを手振りで断り、ウイは足早に監獄区域を出る。

 力なくしゃがみこんだペイルだけにわかる位置で、背後に回されたウイの指先が記号的に閃く。


『なんとかする』。


 暗号でそう伝えているのがわかり、ペイルは絶望の中に、わずかばかりの希望を見出して目を輝かせた。


                  ※


 夜が、白々と明けていく。

 目覚めた小鳥たちが楽しげに鳴き騒ぐ森のそばを、リムジンが一直線に突っ切っていく。

 そのリムジンの中ではジオが、夜明けの薄紫色の空を何の感慨もない目で見つめていた。

 温室を離れても緑の若葉の匂いと温室独特の湿気が纏わりついていて、不愉快で仕方ない。

 ジオは人形のように静かに座っていたが、不機嫌なのは誰に目にも明らかだった。

 うっかり刺激すると、八つ当たりでどんな目に遭わされるかわからない。

 車内にいるSPたちは、ジオの怒りに触れないよう肩をすぼめ、口を噤み、目を伏せている。

 触らぬ神に祟りなしだ。

 異様な雰囲気に、白い手袋を着用した運転手は時々、ちらりと後部座席を確認せずにはいられない。

 ジオが暴君であることは、暗殺大群のメンバーなら誰でも知っている。

 

 ジオは、リー・タオロンのすべてが昔から大嫌いだった。

 誰よりも素晴らしい父親の血を引いていながら、あの体たらく。

 無邪気な性格など、暗殺大群にはふさわしくない。

 そのくせ、リーダーである父親に面影がよく似ていて、時折はっとするほど血の濃さを感じさせる。忌々しいことこの上ない。

 ジオにとって、メインミーは父親よりも慕わしい、大恩ある人物だ。

 メインミーの遺伝子を受け継ぐことができるなら、ジオはなんだってしただろうに。

 そのメインミーの血をこの世で唯一受け継ぐリー・タオロン――ジオを懐っこく慕ってくるリー・タオロンのことを親身に世話しているように見せかけながら、これまでに何度、あの細い首をへし折ってやりたい衝動と戦ったことだろうか。

 いや、それどころか。

 温室に雑菌を紛れこませるとか、温度調整に手を加えるとか――ほんのちょっとしたことで、リー・タオロンは死ぬのだ。

「まあいいでしょう。いずれ役に立ってもらうのですから――でなければ、誰があんな死に損ないの面倒など見るものですか」

 リー・タオロンの命運はジオが握っている。

 それは間違いない。

 ジオの機嫌がほんのわずかに上向いたのを敏感に感じ取って、助手席に端座していた小姓・フェイフオが静かに告げた。

 まだ幼いが頭の回転が速く、ジオが後継者候補のひとりとして育てている子供だ。

「そろそろ、お屋敷に到着します。お支度を――マイロード」


               ※


 金龍ホテルを無事抜け出した濫枒は非常に珍しいことに、久我と真っ向から対立していた。

 このふたりは滅多にいがみ合うことはないのだけれど、今夜は様子が違っている。

 久我は濫枒と強く視線をぶつけたまま、お互い一歩も譲らない。

「ボスが、あの毒華が珊泉だって思いたい気持ちはわかる。でもあれは似ているだけで別人だ。珊泉じゃない」

 久我の説得を、濫枒は聞き入れようとしない。

 久我に引きずられるようにして一度はメ組に戻ってきたものの、今にも再び、クンシ地区に乗りこみかねない勢いだった。

「違う。あれは珊泉だ。お前の位置じゃ顔がよく見えなかっただけだ」

 窮屈なネクタイを緩めて上着も脱ぎながら、久我は必死になって説得しようとする。

「ボス、頼むから落ち着いてくれ!」

 金龍ホテルから逃亡して、クラブ・シャングリラまで戻ってくる間、濫枒はずっと珊泉のことばかり考えていた。

 頭に血が上っているときに戦いを挑んでも、ろくなことにならない。

 それを身をもって知っているから、久我は懸命だった。

「珊泉は死んだんだ。遺体があったし、その耳飾りも残っていただろ?」

「お前こそ、なにを見ていたんだ。あんなにそっくりなのに、珊泉じゃないなんてことがあるもんか! もういい、俺はもう一度確かめに行く。誰もついてこなくていい」

「いい加減諦めろよ、ボス!」

 久我が、我慢できずに声を張り上げた。

 夜遅くに帰還したけれど、クラブ・シャングリラは営業中だから沙羅も店員たちもまだたくさんいる。

 メ組の面々も、濫枒たちが気になって帰りを待っていた。

 その全員が、ふたりの気迫に一言も口を挟めないでハラハラしている。

「よく似ていたけど、あれは暗殺大群の毒華だ! 珊泉が死んだのは、ボスと俺があの夜、珊泉を本部に行かせたからだって……お互い、よくわかっているはずじゃないか!」

 久我が言い終わらないうちに。

 濫枒の拳が唸りを上げた。

 大柄な久我の身体が吹き飛ばされて、壁際にぶつかって崩れ落ちる。

「ちょっと、濫枒!」

「ボス!」

 慌てて沙羅たちが止めに入るものの、時すでに遅し。

 激昂した濫枒は、腹部を押さえて呻く久我の胸ぐらを掴み上げていた。

「てめえ、もういっぺん言ってみろ!」

 なおも殴りかかりそうな濫枒を、数人の組員たちが張りついて抑える。

「何度だって言うよ! 珊泉が死んだのは、俺たちのせいだっ! 俺らのせいで珊泉は死んだんだっ!」


 それは、ヒガン地区の生き残り全員にかけられている呪いのような罪の意識。

 自分があのときうまくやっていれば、助けることができた命はもっとあったのではないだろうか。

 何度もそう思うけれど、時は決して戻らない。

 大切な人間が生き延びた幸福な夢を見ては、朝になって冷淡な現実に落胆する。

 死んだ人は二度と生き返らないとわかっているのに――愛する者が炎に包まれる光景を夢に見ては、冷や汗と涙の海に沈む。

 焼け死んだ人々の無念さ、苦しみ、悲痛な最期を知っているからこそ、自分たちだけが生き延びたことに罪悪感を覚えずにはいられない。

 それは久我も、濫枒も同じだった。

 誰しも、この痛みを抱えたまま生きているのだから。

「ボス、誰だって同じだ。死んでほしくなんてなかったし、助けたかったよ! でもしょうがないか、あんたはメ組のボスなんだ! いつまでも珊泉のことに捕らわれてちゃ、ダメだ……っ!」

 久我は大きく息を吸いこんで、喘ぐように訴える。

「あんたは、このヒガンを守るために、メ組を継いだんじゃないか。もう、誰も璃泉みたいに死なせないために……そうじゃなかったか!? 珊泉のことは、もう忘れてくれ!」

 弟の名前はいつも、良くも悪くも濫枒の心を揺さぶる。

 それを知っていて、久我はあえてその名を口にした。

 濫枒の肩が、ぴくりと揺れる。

 ぐっと拳を握り直して激情を飲み下した濫枒が、くるっと背を向けた。

「ボス!」

「…………誰もついてくんな」

 それだけ言って、濫枒が足音も荒く階上に上がっていく。

 ここ三年寝床にしている部屋に入り、力任せにドアを閉める。

「少なくとも、突撃だけは思いとどまったみたいね」

 沙羅がそう言って、久我の肩をそっとたたいた。



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