第20話 リー・タオロンの温室①

 暗殺大群が勢力を伸ばすクンシ地区には、いくつかのルールがある。

 ひとつ――誰も、リー・タオロンに会おうとしてはならない。

 ひとつ――誰も、リー・タオロンについての情報を探ろうとしてはならない。

 

 暗殺大群のリーダー・メインミーの息子であるリー・タオロンは、メインミーと同様、何から何まで謎に包まれている存在だ。

 生まれてこの方、彼は人前に姿を見せたことがない。

 母親が誰なのかも明かされていない。

 唯一知られているのは、メインミーの血を受け継ぐただひとりの存在だということだけ。

 リー・タオロンの素顔を見たことがあるのはメインミーと麗狂気ジオ、そして十三人の大幹部たちだけだ。

 それと、ジオに付き従うウイは、何度かリー・タオロンに面会したことがある。

 あとは、彼の主治医や世話をするアンドロイドたち。

 年齢の近い遊び友達などは、リー・タオロンには必要なかった。

 主役の訪れない誕生パーティーがお開きになったあと、ジオは、クンシ地区の奥まった場所にある研究施設ラボラトリーへ向かっていた。




 夜も更けてからジオが到着したのは表向きは研究施設で、柵に囲まれた建物は厳めしく素っ気ない。

 広大な敷地は森に囲まれ、人里離れてひっそりとしていた。

 ウイにはペイルの件を任せてきたので、連れてきていない。ジオとしても、できる限りウイはリー・タオロンから遠ざけておきたかったので、ちょうど良かった。

 闇を切り裂くようなリムジンのライトに驚いて、すでに寝静まっていた野鳥たちがやかましく鳴き騒ぐ。

 厳重なロックがかかっている門をくぐり、車は敷地内へ入ってもスピードを緩めることなく走っていく。

 いくつかの棟の横を通り過ぎ、ジオを乗せた車は硝子張りの大きな温室の前で停止した。

 ジオだけが車から降り立ち、車は中にいる私的SPごと、ジオが呼ぶまで待機する。

 ジオは温室に入る専用のゲートを通り、セキュリティロックを慣れた手つきで解除した。

 本来ならたくさんのSPで取り囲んで警備したいところなのだけれど、この温室の住人は、他人の気配がすると気になって眠れないと主張する。

 そのためジオは、この温室を含めた施設に最新式のセキュリティシステムを導入していた。

 そのほか、アンドロイドを多数雇って少年の世話のほか、警備も任せている。

 ジオはウイルスチェックを通過し、徹底的な消毒ブースに入った。

 彼に面会するためには、エアシャワーで殺菌消毒処置を受ける必要がある。

 七面倒くさい手順をひとつずつ済ませ、ようやくのことで奥津城おくつきにたどり着く。



「失礼します」

 真夜中の温室は、しっとりとした緑の匂いに満ちていた。

 広い温室の中には熱帯性の植物が所狭しと生い茂り、奥には人工池もある。

 色鮮やかな魚や鳥が暮らす楽園は、同時に、とあるひとりの少年の住まいでもあった。

「夜分遅くに恐れ入ります、リー・タオロン……ジオです」

 ジオが胸に片手をあて、腰から上半身を折って恭順の姿勢を示す。

 ジオが最敬礼を取るのはメインミーとリー・タオロンに接するときだけだ。

 温室の主人は特別製の車椅子に乗ったまま、ジオの姿を見て微笑んだ。

「やあ、ジオ。よく来てくれたね。待っていたんだよ」

 見た目は生身の人間とたいして変わらないアンドロイドのメイドが、主の乗った車椅子をゆっくりと押す。

 このところ少年が気に入って世話をさせているメイドは、キューという通称で呼ばれていた。

 一年を通して常に快適な温度湿度が保たれ、清浄に整えられた空気の中でしか生きられないリー・タオロンは、ジオの姿を見つけて嬉しそうに片手を伸ばした。

 真っ白な髪と肌、血のように赤い瞳を持つ、アルビノの少年だ。

 ふんだんに飾りのついた白絹の長袍よりも顔色がさらに白く、その白さは病的で儚い。

「九歳のお誕生日おめでとうございます、リー・タオロン」

 ジオはリー・タオロンの前に跪いた。

 車椅子が勝手に動かないようストッパーを降ろして、Qが一歩下がる。

「ありがとう。Qはしばらく下がっていて」

「カシコマリマシタ」

 リー・タオロンは体が不自由だけれども、大抵のことはなんでも思いどおりになる。

 医者を呼ぶこともメイドたちを呼ぶことも、三六五日二四時間、自在に操ることができる。この温室は、彼の王国だ。

「直接会うのはずいぶんと久しぶりだね、ジオ。もっと頻繁に来てくれると嬉しいのに。今日はウイは? いないの?」

「ええ。仕事を任せてきたものですから」

「そう、残念。でもいいや、ジオが来てくれたんだから」

 ふふ、と人形のように整った愛くるしい顔で、少年が微笑む。

 彼の肌は直射日光に耐えられないし、彼の瞳は太陽の日差しをまともに受けることができない。

 外の大気は彼の肺には汚れすぎているし、生まれつきその足が地面を踏んだこともない。

 脆弱で弱々しい身体と違い、性格は明るくおおらかで、そしてとても優しかった。

 しばしば、天使と称されるゆえんである。

 手が不自然に伸ばされたままであることに気づいて、ジオはつと眉根を寄せた。

「リー・タオロン、御手が……?」

 うん、とリー・タオロンが小さく頷いた。

 愛らしい笑顔が、わずかに曇る。

「だんだん、麻痺することが増えているんだ。手もそのうち、この足みたいにぴくりとも動かせなくなるんだろうね。そしてそれは、もう、そう遠くない」

 透き通ってしまいそうなくらいに悲しい諦念。

 リー・タオロンもまた、クエイクの影響を受けた子供だ。

 彼の場合は、母親の胎内にいるときに母親がクエイク・ウイルスに感染した。

 その影響と摂取したワクチンの副作用が重なり、リー・タオロンの身体はとても弱い。

 外気に耐えられない身体は日ごとに弱り、誕生日を迎えるごとに悪化していく。

 生まれたときから死の影がつきまとい、そして恐らく――彼が成人する日は、やってこないだろう。

「手足だけならともかく、内臓もね……もう、ぼろぼろなんだ」

 食事は、固形物を取ることができなくなって久しい。

 けれど彼の場合、頭脳は明晰だった。

 天真爛漫で無邪気で、わがまますら愛らしいと受け入れられる子供。

 そんなリー・タオロンが、昔からジオは大嫌いだ。

 内なる感情を綺麗に押し隠して、ジオは跪いたまま、美しい笑みを浮かべて励ます。


「この研究施設にいる学者たちが総力を挙げて、貴方のための研究を日夜続けています。メインミーが、貴方のためだけにQを作らせたのと同じように」

 そこでジオは一度言葉を区切って、リー・タオロンの目を覗きこんだ。

 リー・タオロンの赤い目は、彼の父親とよく似ている。

 色は異なるけれど、穏やかな眼差しがよく似ている。

「希望を忘れてはなりませんよ、リー・タオロン。私は貴方のために、不可能を可能にしてご覧に入れましょう」

「ありがとう。ジオは優しいね。父さまみたいだ」

 ジオの瞼が、不愉快そうに痙攣する。

 それに気づくことなく、リー・タオロンは甘えるように小首を傾げた。

「最近よく眠れないんだ。僕が眠るまで、そばにいてくれる?」

 差し伸べられた手を額に押し戴き、ジオは忠実に服従する。

「ええ、よろしいですよ。すべて、貴方の望むままに――」


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