第16話 三年後のクラブ・シャングリラ
「ねえ、濫枒。今夜もそんなに飲むの? 大丈夫?」
少しやつれた沙羅が、気遣わしそうに濫枒の前にお代わりの酒瓶を置く。
あの大火災から三年後、クラブ・シャングリラは場所を変えて新しい店を出していた。
とはいえ以前のような規模の店ではなく、雇っている店員も少ない。
なかなか再建が進まないヒガン地区での経営は、以前のように好調とは言えなかった。
「せめて、お酒だけじゃなくて料理も食べなさいよ。いくらなんでも、身体壊すわよ」
「うるせえ」
濫枒は親切心から言われた言葉をうざったそうに振り払い、眉間に皺を寄せて、杯の蒸留酒を一気に飲み干した。
「飲んでも飲んでも酔えねえんだから、仕方ねえだろ」
「濫枒……」
沙羅がため息をつく。
あの大火災はヒガン地区に大きな爪痕を残し、今もほとんどが復興できていない。
生き残った住民たちの中で、多くの人々がほかの土地へと引き移った。
行く当てのない者たちだけがヒガンに残り、ほそぼそと暮らしている。
以前よりぐっと閑散としたヒガンで、濫枒は酒浸りの生活を送っていた。
あの日から、濫枒の人相は変わった――額の中央には、斜めに走った火傷の跡がくっきりと残る。
飄々とした人懐こさは木っ端微塵に消え失せて、昏い目を据わらせて、常に苛立った様子を隠さない。
陽だった気質が陰に染まり、常に機嫌がわるいので、新しく入ってきた組員たちは濫枒のことを怖がっている。
ちょっとしたことですぐに殴り合いになり、喧嘩に明け暮れた三年間で、身体も暴力にすっかり慣れてしまっていた。
「ボス。今月末で、また、店が数軒閉まるって聞いたよ」
久我の報告に、濫枒の目の下の筋肉が、ぴく、と痙攣した。
「ああ?」
今は
あの大火災から、丸三年が経とうとしていた。
「どこも、火事のあとに外から来た店だけど。この辺りの人口も激減したし、実入りが少なすぎてやっていけないみたいだ」
「っは……情けねえ」
乾いた笑い声を立てて、濫枒がまたも杯を傾ける。
仰け反った喉が、大きく上下に動いた。
「出ていきたきゃ、出ていけばいいさ。誰も止めやしねえよ。こんな廃墟同然の場所に住んでいたって、なにも良いことなんかないもんな」
ヒガン地区の再興が思うように進まないこと、ヒガン地区を離れる人間が多かったことに、濫枒は大きなショックを受けていた。
メ組も、一時は半分ほどに人数が減った。
火事のトラウマで、ヒガン地区にいること自体が苦痛になってしまった組員が多くて、濫枒が自身のツテの限りを使って逃がしたのだ。
そのせいで、ヒガン地区は日に日に寂れていく。
以前は賑わっていた四辻の大通りでさえ閑散として、たまに訪れる行商人たちは足もとを見て品物の値段を吊り上げる。
ただでさえ流通が成り立たなかったというのに、今では闇市がなくては生きていくことも難しくなってしまった。
なにもかもが濫枒にとっては不本意で、気に入らない。
だから、浴びるように痛飲する。
飲んで、憂さを忘れようとする。
変わり果てた頭の様子に、久我はどうすることもできずにいた。
濫枒が大火災の翌日から、珊泉の耳飾りを肌身離さず身に着けていることを知っているから――。
――ボスは、珊泉のことを気に入っていたし。そもそも
気持ちはわかるが、酒に逃げるのは感心しない。
「久我、腕の調子はどうなの? タトゥーの、今何回目だっけ?」
久我の首から腕にかけては、ひどい火傷の痕が残る。
沙羅が水を向けると、久我がちょっと恥ずかしそうに笑って腕まくりした。
「まだ三回め。ちょっとずつしか施術できないんで、まだまだ先は長そうなんだ」
火傷や手術の痕に入れ墨を施して、綺麗な模様に昇華させるアートメイクがある。
久我はその施術を受け始め、腕の痕は絵画の下書きのようなラインが浮かんでいた。
「何の模様にするの? 選べるの?」
もともとの痕の形を生かすのがコンセプトなので、依頼者と施術者が話し合い、どんなデザインにするかを熟考する必要がある。
「俺はセンスねえから、お任せにしてんの」
「あら、そうなの」
沙羅が、やわらかく微笑んだ。
久我も、醜く焼けただれた痕に目を落として微笑する。
「龍でも花でも、綺麗なもんならなんでもいい。いつまでも火傷の痕晒してんのは、見ていても気持ちわるいでしょ?」
火傷の程度がひどければひどいほど、痕もひどくなる。
見るたびに火事のことを思い出し、生きていくことがつらくなってしまう者もいる。
沙羅は水仕事で荒れた手で、久我の腕にそっと触れた。
「どんなひどい怪我でも、生き延びた証拠よ。素敵な紋様になるといいわね」
久我のように、火傷の痕が消しようもないくらいひどく残った者たちは多い。
彼らヒガン地区の若者の間では最近、このアートメイクが爆発的な人気を誇っていた。
どんな目に遭っても前向きに、しぶとく、たくましく生きていく。
それが、ヒガン地区の住民のポリシーでもある。
このタトゥーはその象徴でもあった。
黙って久我の様子を横目で眺めていた濫枒が、つ、と指先でドアを指し示した。
濫枒の額には火傷の痕が残っているが、彼はそれを消さない。
「沙羅、鍵開けとけ。そろそろ条が来る」
「わかったわ」
あれ以降、クラブ・シャングリラは会員制のクラブに仕様を変えた。素性のはっきりした相手以外は、一歩も足を踏み入れさせないよう徹底している。
そしてメ組は、このクラブ・シャングリラの上の階に仮の本部を置いていた。
濫枒の住まいも、今はここの階上だ。
「条って……情報屋の? そう言えばここしばらく、姿を見てなかったかも」
「俺も。てっきり、どっかへ言ったんだと思ってた」
組員たちがそう言うのに、濫枒は手をひらひらと振って否定した。
「違えよ。俺が依頼して、よそに潜りこませていたんだ。ようやく情報を掴んだんで、一度戻ってくるって連絡があった」
何のために、とは、その場にいる誰も口にしなかった。
濫枒が条を使って何をやっていたかなんて、考えなくてもわかる。
「濫枒、あんた……火事の黒幕をずっと捜していたの?」
当時、火を放った犯人は、当然のことながら見つからなかった。
ただ、あれだけの火災を計画的に起こすためには入念な準備が必要になる。
どこかの馬鹿が苛立ち紛れに火をつけるのとは、規模が違った。
久我と組員たち、沙羅と店員たち。
全員の視線を一身に受けながら、濫枒が沈んだ目で不敵に
「当たり前だ。何年経とうが、この恨みは絶対に忘れねえ。必ず犯人を見つけ出して、ぶっ殺してやるさ」
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