第11話 クラブ・シャングリラ①

 酒場というものは、開店から閉店までの間、一瞬も静かにならない。

 クラブ・シャングリラも、例外ではなかった。

 安く飲ませる店が多いヒガン地区の中でも比較的大きな店で、内装も年季が入り、店内は今夜も常連たちで賑わっていた。

 ところどころ剥げた壁紙には、酒と煙草の匂いが何層にもなって染みついている。

 安い酒をがぶ飲みしながら料理をつまみ、カードで勝負をして、勝てば大儲け、負ければすっからかんになるまで巻き上げられる。

 ここはそういうスリルを楽しむ店だ。

 酔っ払いの大声、狭い厨房で料理を作る忙しない物音、換気が良くないせいで店内の空気はうっすらと煙って、夜は更けていく。

 酒を運んだりカードの相手をしたりする女たちは露出の多いドレスで肌を見せ、ほかのテーブルでは歌い出す者もいて、ダンスを楽しむ客もいる。

 猥雑で、楽しげな喧噪。


 珊泉は入り口近くに佇み、背後で手を組んで、店内の様子を無表情に眺めていた。

 このところ夜の間はこうやって、メ組の仕事を手伝って用心棒の仕事をしている。

 この手の店には、腕っ節の強い用心棒が控えて目を光らせていないと、商売が成り立たない。

 ただ――用心棒にしては、珊泉の容姿はずいぶんと目立っていた。


 物見高い客たちが、じろじろと無遠慮に珊泉の姿を眺め回している。

「用心棒にしては、えらく別嬪な兄ちゃんだなあ。一杯飲むか? 奢るぜぇ?」

 近くのテーブルに陣取っていた酔っ払いが、にこにこと笑いながら酒瓶を掲げる。

 口調は乱暴だけれど、人好きのする、懐っこい顔をした男だ。

 ヒガン地区には、こういう根は人の良さそうな人間が多い。

 珊泉は、軽く首を振って辞意を示した。

「――仕事中なので」

「まあまあ、いいじゃねえの。酒でも飲まないと、やってらんねえだろ~? 俺もさ、今夜は話を聞いてほしい気分なわけよ、わかる~?」

 どうやら、絡み酒をするタイプのようだ。

 客あしらいなど慣れていない珊泉が困惑していたそのとき、唐突に、中央のテーブルから声が上がる。



「ちょっと、珊泉! こっち来て!」

 珊泉を呼んだ化粧もドレスも派手な美女が、ひとりの客を指さした。

「こいつ、インビジブル・カードなんか持ちこみやがったのよ。新参者かしらね。うちのルール、知らないの?」

 もともとマジックで使用されるインビジブル・カードは、この街ではいかさまカードの俗称として通っている。

 クラブ・シャングリラのナンバーワン、真っ赤な口紅に紫色のドレスがトレードマークの沙羅しゃらが、足を高く組み、蔑むような眼差しでイカサマ男を睨みつける。

 沙羅は、クラブ・シャングリラの女主人でもある。

 テーブルの上には、男が衣服に隠して持ちこんだイカサマ用のカードが数枚、散らばっていた。

 現場を押さえられた男は顔を赤くして唇を尖らせ、周囲は揉めごと大歓迎とばかりに見物の体勢に入っている。

 沙羅は珊泉の様子を見て、軽く頷きながら言い添えた。

「ああ、珊泉はまだ知らなかったわね。うちではイカサマは御法度。初犯はつまみ出すだけで勘弁してあげるけど、二度め以降は大変なことになるのよ」

「そうそう。メ組の連中にとっ捕まってお仕置きされるぜ? きっつーいお仕置きをな」

 そばにいた客の男が、イカサマ男の肩にぽんと手を置く。

 それまでおどおどと気の弱そうな表情を作っていたイカサマ男は、それを聞くなり、本来のひねくれた顔つきに戻って下品に舌打ちした。

「ちっ。ここ、メ組の息がかかってんのかよ……! それ先に言えよっ」

 肩に置かれたままの手を力任せに振り払い、テーブルを蹴り飛ばす。

 酒瓶が転がり、派手な物音に、店内の空気が変わる。

 客はもちろん、店員たちも、女性たちもこの程度のことには慣れているので無闇に騒ぎはしない。

 ただ、横目で成り行きを見守っている。

「ふざけんなっ。せっかく、一儲けしようと思って来たっていうのに……!」

 飛び出しナイフをポケットから取り出し、沙羅に向ける。

「ちょっと、何する気よ!」

 沙羅が立ち上がって叫ぶ――次の瞬間、イカサマ男の身体が宙を舞った。

 珊泉が、一瞬の早業で投げ飛ばしたのだ。



 だあん、と大きな音を立てて、男が顔面から床に叩きつけられる。

 その背中に片足を置いて踏みつけ、珊泉はたった今、大の男を投げ飛ばしたとは思えない涼しげな表情で沙羅に向き直った。

「沙羅。一度めは、つまみ出すだけでいいんだったか」



 海千山千の沙羅でもさすがに呆気に取られてしまい、少し返答が遅れる。

 だってこの細腕の美形が、こんなに強いなんて普通は誰も思わない。

 沙羅がごくりと喉を鳴らし、肩からずり落ちかけたドレスを直した。

「え、ええ……それにしてもあんた、見た目に似合わず、結構荒っぽいわね」

 それを聞くなり、珊泉は鼻血を出して悶絶している男の首根っこを掴み、出口へと引きずっていく。

 大の男を難なく引きずって歩く珊泉に、周辺のテーブルからは口笛混じりの歓声が上がった。



「いいぞ、綺麗な兄ちゃん! やれやれ!」

 あちらこちらで、珊泉のために杯が掲げられる。

 中性的な顔立ちをしているうえに濫枒のお下がりを着ているので、誰も珊泉のことを少女だとは思わないようだ。

「兄ちゃん、かっけーぞ!」

 大騒ぎの中、表情ひとつ変えずにイカサマ男をつまみ出した珊泉が、店内に戻ってくる。

 相変わらず無表情のままだけれども、氷のごとき美貌は、この酒場においては一服の清涼剤のよう。

 しなやかな身のこなしに、すっきりとした体つき。

 伏し目がちの目から上等の色香が漂って、酒よりも強く、見る者を酩酊させる。

 珊泉が乱痴気騒ぎの店内を、静かに見回した。

 その一瞬に、その場にいる全員が魅了される。

「よおし! 美形の兄ちゃんに、乾杯だ!」

 店内は再び陽気に沸き、今夜もいつもどおりの賑やかな夜が更けていこうとしていた。


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