第10話 真夜中の情報屋②

 珊泉は行儀良くベッドに腰掛けて、膝の上できちんと両手を揃えていた。

 こういうところは、やけに行儀が良いのも珊泉の特徴である。

 濫枒が、目の高さまでグラスを掲げた。

「その猫の素性が知りたいんだよ、俺は。お前、どう思う?」

 水を向けられて、条が顎を指先で擦る。

「オレの仕事は情報を集めることで、推理は守備範囲外なんだけど~」

 人は生きている限り、どんなに消そうとしても、必ずなにかしらの記録が残る。

 暮らす部屋、食べたもの飲んだもの、生まれた記録育った記録、まとめれば膨大な量となるし、他人と一切関わらずに生きられる人間などいない。

 それをひとつひとつ集めるのが、条の仕事だ。

 気の遠くなるくらい地道な作業を生業としているせいか、条はやたらと気が長かった。


「黒猫ちゃん、スラムシティ育ちって感じがしないよね。匂いが違う」

「ある意味、生粋のスラムシティ育ちっぽい面もあるぞ」

「わかんないや、情報不足」

 条が、お手上げ、というポーズを取る。

「オレ、大抵の人間は一目見ただけで性格とか生まれとかわかるんだけど、今回はダメ。降参!」

 やわらかな眼差しの先では、珊泉がベッドの上に丸まってすうすうと寝息を立て始めていた。

 今の今まで頑張って起きていたが、どうやら眠気に負けたようだ。

 条が、小さく吹き出す。

「あれま。お眠の時間みたいだねえ」

「確かに、いつもならもう寝ている頃かな」

 こういう辺り、黒猫はまだあどけなさも残っている。

 

 

 濫枒が立ち上がり、仮眠室のドアを閉める。

 条も、声のトーンを落とした。

「おかしいんだよね、黒猫ちゃん。表はもちろん、裏から調べても、情報がひとつも出てこない。そんなことはあり得ないんだよ、普通は」

 親に捨てられた子供、売られた子供、攫われた子供。

 そういう子供たちはいるが、痕跡は残る。

 その辺りを調べるのはお手の物だ。

「ということは?」

「あきらかに影の力が動いてるパターンってことだよ。しかも相当大物じゃないと、こうはいかないだろうねえ」

 まじか、と濫枒が頭を抱えた。

「まあとにかく、もうちょっと時間をかけて探ってみる。危険なお仕事内容になるから、そのぶん報酬弾んでね」

 ひとつの街の中で、地区ごとに対立している都合上、下手に情報を探ったりすれば、すわ、闘争開始の合図だと取られかねない。

 その辺は、メ組を背負って立つ以上、濫枒も慎重になる必要があった。

 条はその点でも信頼できるけれど、対価は安くはない。

「うあ~……あとで絶対、久我に文句言われるな。会計は詠子だから、なんとかなるかなあ……?」

 肩をすくめて、濫枒はすっぱりと気分を切り替えた。

 あとのことは、あとでどうにかすればいい。

 今は、目の前の問題を解決するほうが先だ。

 顔を見合わせ、一瞬の沈黙のあと、濫枒の声が低く小さくくぐもった。


「――もう聞いているんだろ? 夕方の件」

「もちろん。派手にぶちのめしたらしいじゃん? オレも見たかったよ」

 条がもう一度視線を投げて、仮眠室のドアが閉まっているかを確かめた。

 どうやら珊泉は本当に眠ってしまったらしく、聞き耳を立てている気配はない。


「ぱっと見ただけでも、相当訓練されたことがわかる体つきをしてるよ。特に、あの手がね」

「手?」

「武器を持つことに慣れた手だよ、あれは。剣だろうが銃だろうが、何でもござれだと思うね。そういうタコができてる」

 銃か、と濫枒は眉間に皺を寄せた。

 あらかたの武器は金さえあればそれなりに手に入るが、銃となると入手ルートが限られている。

「やっぱり、どこかしらの組織の人間ってことか」

「濫枒もそう思うよねえ~」

 そりゃあな、と頷く。

「あいつ、ベッドから起き上がれるようになってから毎日、この辺りを歩いて地理を把握してるんだ。普通のガキがそんなことするか?」

 少なくとも普通の人間なら、多少回復するまではベッドで休むだろう。

 けれど珊泉は、そうしなかった。

 ゆっくり寝ていたら死んでしまうとでもいうような表情で、治りきっていない傷を気にもせず、毎日毎日歩き回っていた。


「ただの猫なら、縄張りパトロールで済むんだろうけどねえ」

 詠子が襲われたことでスイッチが入ったにしても、夕方の珊泉はさらに異常だ。

 戦うことを生業にしていないと、あんなふうには動けない。無駄のない動きからは、正式な訓練を受けた玄人の匂いがぷんぷんする。

 だからこそ、ふたりは深刻な顔つきで目を合わせずにはいられないのだ。

「やっぱり珊泉はあの日、意図的に俺の前に現れたのか……」

「そう考えたほうが自然だねえ」

 そこまでは意見が一致する。

「でも、都合良く記憶をなくす薬なんてあんの?」

「意識を混濁させるとか、自白させるとかならあるけど、記憶そのものだけを綺麗さっぱりっていうのはねえ……聞いたことがないね。薬物に関しては、ドクターも調べたんでしょ?」

 ドクターは、珊泉の血液を裏ルートを使って病理検査に回している。

 血液からも毛髪からも、薬物摂取の証拠となるようなものは一切出てこなかった。

「たぶん、珊泉が記憶障害を起こしたのは想定外だ。だから黒幕はきっと、珊泉に接触を図ってくる。そう思って、好きに出歩かせて様子を見ていたんだけどさ」

「今のとこ、当たりが来ないってわけ?」

「ああ」

 濫枒のもとにいる珊泉に、連絡を取ろうとしてくる者は誰もいない。


 条が椅子を斜め後ろに倒し、伸びをしながら天井を見上げる。

「身代金目当てで誘拐されたお嬢様――にしては、物騒すぎるよね。却下」

「娼館から逃げ出してきた――それくらいの相手なら、あいつ、簡単にぶっ飛ばしてくるだろうからそれも却下」

「一般人ではあり得ないよね。でも、プロにしては若すぎる。あり得なくはないけどさ」

 いろいろ考えて、最後、ふたりの考えはいやいやながらも一致した。

「そうなると、考えられるのはひとつ」


 珊泉がいたのはおそらく――傭兵の養成組織だという線だ。

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