第9話 真夜中の情報屋①

 真夜中近くになって、濫枒ともうひとりの青年が、なにごとか話しこんでいる。

 ほかに人影はなかった。

「おいジョウ。珊泉を探している人間の情報、まだ入ってこないの? お前にしちゃあ、仕事が遅くね?」

「簡単に言わないでよ、濫枒。情報を集めるのって、時間も手間もかかんのよ?」

 濫枒の命令でそのあたりの情報を隈なく調べてきた条が、頭をかきながら、報告書の束を指先で弾いた。


 伸び放題の髪を一本にまとめた、目の細い青年だ。

 陽に当たる生活をしていないのがまるわかりの、青白い肌をしている。

 いつからともなくこの地区に住み着いていたが、少なくとも、ヒガンの生まれではない。

 ヒガンには、そういった氏素性が不明な面々も大勢いる。

 スラムシティ以外の貧民街から流れてきた輩もいるし、もっと良い場所に住んでいたのが、そこにいられなくなって落ちぶれてたどり着いた流れ者もいる。

 この世界は、富裕層とそうでない層のふたつにはっきりと区別されている。


 濫枒より少し年上、二十代半ばくらいに見える情報屋はペンをくわえ、ブラブラと弄びながら靴を脱ぎ、椅子の下に適当に転がした。

 これほど左様に、行儀の悪い男でもある。

 ただ行儀の悪さに反比例するように仕事に関しては有能な質で、濫枒もそれは承知していた。

「まあ、ひととおり当たってはみたんだけど。不思議なくらいヒットしないのね、これが」

 もう夜も遅いが、これからが条にとっての活動時間だ。

 ヒガン地区きっての情報屋。

 暴力沙汰は苦手とのことでメ組の直属の人間ではないが、こういうときには助力が大いに期待できる。

 濫枒はしばらく前から彼に依頼して、珊泉の情報を集めさせていた。

「いきなり姿を消したんだから、普通なら探してる人間がいるだろ」

 普通ならね、と、条が歌うように軽やかな口調で繰り返す。

「迷い人やら探し人やらをヒガンで見つけんのは、ちょーっと難しいのよ。この地域にゃ、訳ありの人間しかいないからまともな戸籍なんかないしねー。素性がわかる、濫枒みたいなののほうが珍しいくらいよ?」

 へらへらと笑った情報屋はだらしない体勢で椅子に深く沈んで足を組み、テーブルに置かれたグラスを手に取って中身を一気に飲み干す。

「っか~……やっぱり、濫枒のところは良い酒置いてんなあ。仕事中の酒はまた格別だわ」

 空になったグラスに濫枒が黙ってお代わりを注ぐと、条は嬉しそうに身体を起こした。

 椅子を絶え間なくぎしぎしと軋ませていて、気配といい物言いといい、なんとも賑やかな青年だ。


「まあそれでね、情報を当たるエリアをヒガンに限らず、スラムシティ全体に広げたらどうかと思うのね」

 条の言葉に、濫枒も酒を煽りながら答えた。

 この街では、十代そこそこで飲酒や喫煙を始める者が多い。

 もちろん、それが合法だろうが違法だろうが関係ない。

 どうせここは無法地帯だ。

「スラムシティ全体って言ったら、相当範囲が広くなるぞ。お前の情報網でカバーしきれんの?」

「嘗めてもらっちゃ困るわあ。オレ、これでも仕事のできる男なのよぅ」

「うちの近く…スズラもキョウも、下手に手を出すと大火傷することになる。騒ぎになるのはまずいだろ」

 ふたりのやりとりを、珊泉はドアを開け放した仮眠室のベッドに座ったまま、じっと見ている。

 その様子に微笑して、条がちょいちょい、と手招きした。


「はあい。実際に会うのは初めましてだね、迷子の子猫ちゃん。こっちおいでよ。酒はまだ飲まない? それならお兄さんが、ジュースくらい奢ってあげるよ。それともお菓子がいい?」

 珊泉は胡乱げな表情できっぱりと唇を引き結び、微動だにしない。

 条のことを、思いっきり警戒している様子だ。

 濫枒が苦笑いしながら一応言い添えた。

「珊泉。これでもこいつ、筋金入りの情報屋で口は固いし、信用できるから。だから、そんなに睨まなくても大丈夫」

 濫枒にそう言われて、珊泉が少しだけ、肩の力を抜く。

 つまり、それほど胡散臭いと思っていたのだろう。

 まあ、無理もない。

「つか濫枒、子猫ちゃん、あの小汚え部屋で寝起きさせてんの? 女の子なんだし、もうちょっとましな部屋用意してあげれば? どっかいいホテル紹介しようか?」

 運びこまれた日から珊泉は、本部の仮眠室で暮らしている。

 シャワーや炊事場もついているものの、このおんぼろビルで寝起きしている人間は他にいない。

 大抵は、近くのアパートなどに部屋を借りるか食堂などに住み込みで働いているからだ。

 仮眠室も先代の頭がたまに利用していただけで、濫枒も別の場所に住まいがある。

 空いている部屋もあるし、そちらのほうがずっとましだから来るように言っても、珊泉は首を横に振るだけ。

 遠慮しているのかそれとも警戒しているのかと思ったが、どうやら珊泉自身は、この狭くて雑然とした仮眠室を気に入っているらしかった。


「狭いところが好きっていうのも、猫っぽいな」

「それか、そこが住処だと刷りこまれたひよこかな? かわいいね」

 珊泉は相変わらず話を聞いているだけで、参加はしてこない。

「夜は皆が引き上げるまでこんなふうにじっと見ていて、朝も誰かが来るより早くに起きて待ってる。前は交代制で不寝番がいたんだが、珊泉が来てからは任せっきりだ。どうやら、留守番役は自分の役目だと思っているみたいなんだ」

 濫枒の話を聞いて、条がげらげら笑った。

「やべえ。まじで猫じゃん。黒猫ちゃん!」

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