第7話 二か月後・ヒガン地区にて③

 大きな四辻の曲がり角で、詠子が三人の荒くれ男たちに絡まれていた。先ほどの悲鳴は、荷物を奪われそうになった詠子の悲鳴だ。

 詠子は男たちのひとりに腕を掴まれ、恫喝されていた。

 通行人たちはそれを遠巻きに見ているか、それとも知らんふりで通り過ぎていくだけ。

 駆けつけた珊泉がそれを見るや、ひらりと弾みをつけて飛び上がる。

 くるりと回転しながら、男の後頭部を躊躇うことなく蹴り飛ばし、転倒させる。

 背後がノーガードだった男が前のめりに倒れ、土煙がもうもうと上がった。

 その間、数秒。


 珊泉を追いかけてきた濫枒が、びっくりして硬直している詠子を背後に庇った。

「詠子、怪我ねえか?」

「あ、ボス! 助かったわ」

 詠子の落とした荷物を拾ってやりながらも、濫枒はずっと珊泉を目で追っている。

 暗くなり始めた大通りで軽々と宙に舞う珊泉の姿は、まさに魔物のようだった。


 膝から綺麗に着地した珊泉はそのままふたりめの男の足を薙ぎ払い、近くに転がっていた酒瓶のかけらを拾い上げるや、三人めの男の喉仏にぴたりと突きつける。

 まったく無駄がない、いっそ見とれてしまうくらいに余裕のある動きだ。

「は……こりゃ、俺の出る幕ねえわ」

 大怪我の後遺症で思うように動けないと愚痴っていたが、それでもこの実力。

「やっぱり、かなり場数を踏んでるよなあ」

 その辺の荒くれ男とは、比べものにならない華麗さだ。

 濫枒は思わず腕を組んで、のんびりと観戦の態勢に入ってしまう。


「てっめえ、いきなり何しやがる!」

 蹴り飛ばされた男が起き上がって反撃しようとする寸前、珊泉の踵が脳天に落ちる。

 残り二人もそれぞれもう一度蹴り飛ばされ、転倒させられて、痛みに呻く。

「ボス、ちょっと! 見ていないで助けてあげて!」

 怖がりの詠子は暴力沙汰を見るのも苦手で、濫枒の背中に隠れていたのだけれど。

「心配いらねえよ。ほら、見てみな。珊泉の圧勝だ」

 そう言われて、恐る恐る顔を覗かせる。

「え? だって、相手は三人もいるのよ?」

「あの腕前なら、五、六人は余裕じゃね? いや、もっといけるかも」

 すっかり見物人になりきっていた濫枒だったが、珊泉が硝子瓶のかけらを指に構えたのを見て、慌てて止めに入った。

「珊泉、ストップ! それ以上はだめだ!」

 濫枒が、珊泉の手首を掴んで止める。

 これ以上は洒落にならない。

 けれど、珊泉は止まらない。

「おい、やめろ! 殺す気か――珊泉、止まれ!」

 珊泉は濫枒の声が聞こえていないのか、それとも無視しているのか、いつもの冷静さからは想像もつかないくらいにギラギラとした目つきをしていた。

 普段は淡い色の双眸が、赤く熱く燃え盛っているようだ。


 こんな目を、前にも見たことがある――濫枒はふとそう思って、はっと気づいた。

 ――そうだ。あの明け方も、こんなような眼をしていた。

 軽く頭を振った濫枒は、荒くれ男たちに向き直る。

 ヒガン地区には、こういうふうに金目のものを奪ったりする輩は掃いて捨てるほどいる。

 こういった連中の相手は、濫枒の本来の仕事だ。

「お前ら、さっさと逃げな。殺されたくなけりゃ、二度とこんな真似すんなよ」

 男たちが、悔し紛れに食ってかかる。

「てめえ、覚えてろよ……!」

「へ~え。覚えていていいのか? メ組を敵に回すことになるけど」

「えっ……」

 濫枒が間髪容れずに返すと、三人組は気まずそうに顔を見合わせた。

「あんたが、メ組の濫枒か」

「ああそうだ」

 さすがに、濫枒を怒らせるとまずいと判断したのだろう。

 男たちは脱兎のごとく逃げ出した。

 さすがにこの地域の人間だけあって、逃げ足は速い。


 みるみるうちに遠ざかる影を、なおも追いかけようとする珊泉を羽交い締めにして押さえこむ。

「珊泉、落ち着け! おい!」

 力尽くで押さえこむのなら造作もないことだけれど、珊泉はまだ怪我人だ――今は無我の境地にいるから痛みを感じていないのかもしれないが、無茶をしたぶん、あとで必ず揺り返しが来る。

「おーい、ボス! 詠子さんも! 無事かぁ!?」

 騒ぎを聞きつけた久我たち、メ組の連中がそれぞれ溜まっていた場所から飛び出し、駆けつけてくる。


 彼らは呆然として立ち尽くしている詠子、いきり立つ珊泉を手加減しながら羽交い締めにしている濫枒の姿を見て、いっせいに困惑した表情を浮かべた。

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