第3話 メ組の事務所本部②

 仮眠室から、もうひとり、ミニのスカートで派手に足を露出した少女が姿を現した。

知里ちさと、どうしたの」

「あの子の持ち物探ってみたけど、証明書、やっぱりないわ」

 知里の言葉を聞いて、濫枒と久我も反応した。

「あ? あいつ、身分証明書持ってねえの?」

「そうなのボス。ポケットも空っぽ。身分証明書どころか、所持なし。ひとっつもよぉ」

「ひとつも、だあ?」

 それは少しおかしい。

「ボス、どっかに落としてきちゃったぁ?」

「いや、そんなことはないと思う。荷物らしきものも見当たらなかったし」

 長い髪をツインテールに結った知里が、両手を広げてみせた。

「洋服以外、所持品って呼べるのは青い耳飾りだけよお。あとは何も持ってない」

 濫枒が、久我と顔を見合わせる。

 いつ『クエイク』に感染しても問題ないように、大抵の人間は、身分がわかるものを持ち歩く。

「別に義務じゃねえし、法律で決まってるわけでもねえけど。身分証明書くらい持ってねえと、いざというとき連絡先もわかんねえだろうに」

「正式な証明書でなくても、名前とか生まれとか、ある程度の情報カードは持ち歩くっしょ? それもない?」

 濫枒と久我に順番に聞かれて、知里が頷く。

「うん。ないの」

 えええ、と久我が腕を組んで首を捻った。

「物盗りのしわざかぁ? でもそれなら、高価そうな装飾品を真っ先に盗っていくよな? 換金しやすいし」

「そうよ。あの耳飾り、サファイアかしら。かなり高級品よ。着ていた長袍だってぼろぼろだったけど、質が良さそうな仕立てだったし」

「そうね。宝石を残して、身分証明書だけ盗っていく人はいないでしょうよ。知里だって、あんな綺麗な耳飾り、見たら絶対ほしくなるもん」

 詠子と知里が賛同する。

「売り飛ばすなら、本人ごと売り払ったほうが断然金になるだろうしなあ」

 久我がそう言い、途端に、女性ふたりにじろっと睨まれた。

「ちょっと! 女の子になんてこと言うの」

「そうよそうよ、この趣味ワル男」

 濫枒が固まった。

「――ちょっと待て。あいつ、女なの?」

 短い黒髪や着ているものからして男だと思ったし、担ぎ上げた身体も細っこいだけでやわらかくもなかったから、てっきりそうだと思いこんでいたというのに。

 詠子と知里が、顔を見合わせて頷いた。

「そうよ。男の子みたいな格好をした、女の子よ」




 しばらくして、町医者が仮眠室から出てきた。

「ドクター、待ってて。お茶入れてくるわ」

 臨時の助手役をした詠子が、急ぎ足で非常階段を降りていく。

 炊事場はこの一階下だ。

「濫枒、こんな夜中に呼び出すのはやめてくれ。老人は夜が早いんだ」

「悪かったって。で、どう? あいつ」

 大きなあくびをしながら、老いた町医者が続ける。

 ヒガン地区でドクターと言えばこの人のことだ。

「まあ、呼びに来て正解だったな。ショック死するほどではなかったにしろ、治療が遅れれば遅れるほど、回復も遅くなる」

 痩せて機嫌の悪そうな顔つきのドクターは、薄汚れた、つぎはぎだらけの白衣を羽織っていた。

 愛用のドクターズバッグに、往診に使用したものを次々と放りこみ始める。

「どこの誰かは知らないが、相当無茶な真似をされたな。骨折、打撲、脱臼……リンチか」

 苦々しい口調で尋ねられ、濫枒が首を振る。

「いや。俺も詳しいことは何も知らないんだ。倒れていたのを拾ってきただけだから」

「ふん……それなら放っておけばいいものを。人の良いことだ」

「それが医者の台詞かよ」

 照れ隠しの突っ込みに、ドクターが目の奥で笑った。

「おや。この街にまともな医者なんぞいやしないことは、お前さんはよくわかっていると思っていたがね?」

 正規の教育を受けた医師が、こんな場末の街に住み着くわけはない。

 だから、大抵は流れ者かもぐりのどちらかだ。

 ドクターも昔はどこかの特権エリアでそこそこ高名な医者だったようだが、過去の話は一切しようとしない。

 ヒガン地区の誰も、この医者の本名さえ知らないのだ。

 詠子が運んできたお茶を飲みながら、町医者が手早く容態を説明した。

「さて、と。ざっと診たところはこんな感じじゃな」

 といっても、ミミズののたくったような字で書いたカルテを見せただけだ。

 このドクターは、口が悪いわりに腕は良い。

 その点では、濫枒は彼のことを信頼していた。


・血液検査からも、『クエイク』ウイルスは陰性を確認。

・左膝下から足首にかけての複雑骨折、及び右肩の脱臼。

・殴打、切り傷は頭部から肩、腹部、背中、足と多岐に渡り、そのうえ抵抗した痕跡はほぼない。どうやら、無抵抗で暴力を振るわれたものと見られる。


 そこまで読んで、濫枒は異を唱えた。

「無抵抗のはずないだろ? あれだけ攻撃されれば、本能的に手が出るはずだ。抵抗できないように拘束されていたならともかく」

「儂にもわからん。だが、抵抗すればその位置に痕が残る。爪に相手の皮膚が入りこんでいたり、相手を殴った痕だったり、なにかしら痕跡があるはずだ」

 そういった痕跡が、今回に限ってまるっきりない。

 縛られたりして抵抗を封じられた痕跡もなかった。

「薬でも飲まされていたんじゃねえの?」

 納得のいかない顔で、濫枒はカルテの続きに目を落とした。

「クイックチェックでは薬物の使用反応も出なかったから、その線もなしだ。もう一度詳しく検査はしてみるが。推定年齢十代半ば、栄養状態はやや悪いが、不健康というほどでもない」

 詠子が、ちょっと控えめに口を挟む。

「あの子、髪も肌もきちんと手入れされていて綺麗なの。スラムシティでは珍しいくらいだわ」

「まあ、患者の目が覚めたら尋ねてみればいい」

 ドクターが、腰に両手を当てて伸ばしながら立ち上がる。

「とりあえず安静にしておけば、このまま死ぬことはあるまいよ。あとは明日になってからにしてくれ。儂はもう寝る」


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