第2話 メ組の事務所本部①

 濫枒が大怪我を負った美少年を連れて帰ったことで、組本部の事務所は大層な騒ぎになった。

 取り急ぎ組員のひとりが医者を呼びに走り、女性陣が手当を買って出る。

 濫枒は、遡ること数代前までは、町火消しとして代々この土地を守ってきた家柄の生まれだ。

 とはいえ三代前辺りからは、この辺り一帯の荒くれ者たちを取りまとめる役割を負っている。

 暴力沙汰、いざこざ、軽犯罪だらけのこの地域の、いわゆるトラブルシュータ―だ。

 若干十八歳の濫枒は、一年前に父親からこの組を継いだ。

「ダメ、ボス! 死にかけだろうが子供だろうが、センサーが陰性だろうが、素性のわからない人間を拾ってくるのはダメ、絶対!」

 体格が良く喧嘩も強いが、顔立ちはやたらと愛くるしい――特に目が丸く、どことなく愛嬌のある熊に似ている――久我くがが、濫枒の前で頭を抱えていた。

 誠に趣味の悪い、いったいどこで売っているのかと首を傾げたくなるようなデザインのシャツを着ていて、全体的にガラが悪い。

「前に何度か、孤児だの身寄りがないだのって触れこみで、刺客が入りこんできたの忘れたの!?」

 久我はメ組の組員の息子で、濫枒とは十八年前、お互い生まれてすぐからの付き合いだ。

 幼なじみ兼右腕として、濫枒の実は世話好きなところや奔放なところなどには慣れていたけれど、さすがに、今回の件では動揺していた。

「も~。も~、も~、ひとりで出歩くとすぐこれだ~!」

 久我が両手で頭をわしづかみにして、部屋の中をぐるぐる回り始める。

「おい久我、熊みたいに歩き回るんじゃねえよ。ただでさえ狭い部屋が余計狭くなる」

「ボス! んなこと言ってる場合じゃないってば!」

 シャワーを浴びた濫枒は、着替えてさっぱりした様子でソファに陣取る。

 美少年を運んできたせいで、着ているものも髪も血だらけになってしまったからだ。

 運ばれてきた当人は、隣接する仮眠室で手当を受けている。

 ここは普段から人の出入りが激しい本部事務所だが、こんな夜中になるとさすがに人が少なかった。

 濫枒と久我のほか体格の良い組員たちが五人足らず、雑務担当の女性にいたっては、今はふたりしかいない。

「おい。あとの連中、どこにいる」

「今の時間だと、仕事中っしょ。早上がりのやつらはどっかで飲んでるかな? なんで?」

「余分なのが増えるとうるさいだろ。噂好きなのが揃ってるから」

「騒ぎを起こしてんのはボスでしょ!? 自覚ある!?」

 ない、と、濫枒がきっぱり言い切った。

「あのガキが、あんなとこに落ちてたのが悪いんだ」

「それでも放っておくのが、ここの常識なの!」

 メ組の本部は古いビルの中にあって、読みかけの雑誌や空き瓶などがごろごろしている。

 雑然としていて、お世辞にも綺麗とは言えない。

 壁はシミだらけ、床はぼろぼろ。

 年代物の建物なので、何度かの地震や火事で窓枠が歪み、床が少し傾いている。

 エレベーターは故障して以降十年以上も放りっぱなしで、外の非常階段を使わなくては、上の階にも下の階にも移動できない。

「警察でも救急車でも呼んで、さっさと帰ってくれば良かったでしょ?」

「馬鹿言うなよ。このヒガンで、警察や救急車がまともな対応すると思う? 万が一来たとしても、ろくに相手にするわけがねえじゃん」

「そりゃあまあ、そうだろうけど~」

 ソファを軋ませて立ち上がった濫枒が、ゆらりと久我に詰め寄った。

「それとも何? この俺に、ヒガンの地区で死にかけてる子供を見殺しにしろって? ああ?」

 さほど強面ではないけれど、生まれつきこの稼業をしているので濫枒には、年齢にそぐわない迫力がある。

「言ってることは正しいけど、怖っ」


 何はともあれ、これは人助け。

 久我もそれを承知で、わざと遊び半分に騒ぎ立てている節があった。

 正体不明の人間を連れてきたことを濫枒はすでに反省しているし、久我もそこのところを充分飲みこんでいる。

「ヒガンは俺の管轄なの。困っているやつがいたら、手ぇ貸してやんのが流儀なの!」

「誰か助けて、うちのボスがお人好し過ぎる~!」

 両頬に手をあてがって叫んだ久我の腰を、濫枒が長い足で蹴り飛ばした。

「少し黙れ。怪我人が起きちまうだろうっ」


「ボス、久我も。ふたりして何遊んでるの? 声が大きすぎ」

 薄いドア一枚隔てた仮眠室から、ひとりの女性が顔を出す。

 三十代半ばくらいに見える、おとなしそうな外見の女性だ。

 名を、詠子えいこという。

 以前看護師をしていた経験があり、あの美少年の手当をするにはうってつけの人材だった。

「別に遊んでねえっ」

 詠子は、水を張った洗面器と血を拭ったタオルを山盛り抱えていた。

「詠子。あいつ、意識戻った?」

 濫枒に尋ねられて、詠子はおっとりと答える。

「ううん、まだ。念のためもう一度チェックしてみたけど、ウイルスはやっぱり陰性だったわ。ほっとしたわよ」

 ウイルスチェックはセンサーを使えば一度で済むが、念には念を入れて何回か確認したほうがいい。

 久我が、あからさまに胸を撫で下ろす。

「ホントホント、詠子さんの言うとおり。万が一罹患者が出たら、この一帯、あっという間に焼け野原になっちゃうもん」

 個人がそれぞれセンサーを所有しているほか、公の建物の出入り口には必ずセンサーが設置され、誰彼構わず警戒を怠らない。

 陽性反応が出た場合、これは大変なことになる。

 数十年前まで猛威をふるった『クエイク』は、まだ根絶できていない。沈静化はしたものの、またいつどこで再燃するとも限らない。

 『クエイク』が初めて発見されたのは五十年以上前――特効薬もなければ治療法もなく、致死率が異様に高い病だ。

 さまざまな症状が次から次へと発症して劇症化し、最後には全身の痙攣がとまらなくなって死亡する。

 このウイルスが爆発的に広がったことで、世界各国で人がバタバタと死んだ。

 肉体的にも精神的にも深いダメージを受けながら、生き残った人々は数十年をかけて、ウイルスをなんとかある程度押さえこむことに成功した。

 今はセンサーに陽性反応が出ると、強制的に研究所に通報されるシステムが確立されている。

 保護された罹患者が生きて戻ってこられないのは、もはや暗黙の了解。

 周辺の人間たちも拘束されて、罹患していないかを徹底的にチェックされる。

 そして、ウイルス汚染された地域は火をつけて草一本も残らないまでに焼き払われるのだ。

 野蛮な方法だが、これが一番手っ取り早いうえに確実にウイルスを滅ぼす。

 被害を拡大させないために、この乱暴すぎる処置に、誰も正面から文句を言うことはできない。


「ヒガンで陽性反応なんか出たら」

 久我が、恐ろしそうに肩をすくめる。

「ここぞとばかりに焼き尽くされて終わりだよ。ただでさえスラムシティは、特権エリアの金持ち連中から忌み嫌われてるんだから」

 かつての主要都市はウイルスに汚染された場所が多く、ほとんどがスラムシティのような最低層の住む貧困街に落ちぶれてしまった。

 逆に山に囲まれた奥地や孤島などは奇跡的にウイルスに汚染されずに残った地域も多く、特権階級の人々はそこに要塞のような浮遊都市を作って逃げこんだ。

 地を這うように生きているスラムシティとは、天と地ほどの差がある。

 久我の言葉に、濫枒が、すっと目を眇めた。

「そんなことは、俺の目の黒いうちは絶対させねえ」

 彼は、まだ若いながらもメ組の頭。

 メ組は、火事と喧嘩が華と言われていた時代からこのヒガン地区一帯をまとめ、護ってきた実績と矜持がある。

 ヒガンに手出しされることは、濫枒にとって地雷中の地雷だ。

「ヒガンに何かあったら、ただじゃおかねえ」

「ねえ詠子~、ちょっと来て~?」

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