10節 私は選んだ、だから――

「神官長さま……我が愚妹は、己の欲にまみれず、魔女の我欲によって生み出された望まれぬ魔女です。なにとぞ、お慈悲を賜ることはできませんか」

 姉さまが、焦りを滲ませながら神官長さまへと詰め寄る。本来ならその気遣いに感謝もするものなのに、今はひどく他人事のように感じられた。

「望まれた魔女などこの世には存在しません。辛いでしょうが、魔女としてではなく信徒として葬られることを約束することで……それを私の贖罪とさせてください」

「……わかりました」

 姉さまはひどく泣きそうな顔になりながら、構えていた剣を降ろして、その柄を私に差し出す。

「お前がやれ、シーリア」

 私は言われるがままに剣を取り、その切っ先をメルランの胸へと突き付けた。剣を構えた瞬間、胸が焼け付きそうなほど熱くなった。その熱が腕を伝って剣に伝わるかのように、美しい刃が月の光のような輝きに包まれる。

 近衛騎士たちの間でどよめきが起きる。私とその刃が示す光景に恐れをなしているかのようだった。

「……ありがとう、シーリア。そして勝手なことをしてごめんなさい」

 メルランが私に微笑みかける。今まで何度となく向けてくれたその表情も、今となってはどうでもいい。私はただ何も考えず、望まれるままに消えてなくなりたかった。

「これでようやく、私の望みも叶うわ……本当にありがとう」

 メルランの頬に一筋の涙が流れた。ぽたりと零れ落ちたその雫が、あの日、崖の下で降り注いでいた雨粒の記憶と重なりあう。

 望みが叶う?

 なんだそれは。死ぬために私を生かしただって?

 あの日、自分の最期を納得させるために必至にひり出した人生のセンチメンタルを無かったことにまでして望まれたことが、私の手で恩人を殺させることなのか?

「……納得いかねえ」

「シーリア……?」

 メルランがきょとんとして首をかしげる。それが余計に心のざわつきを加速させる。

 何でそんなに戸惑ってるんだ。何で自分の思う通りに事が運ぶと思ってるんだ。

 君が私の何を知っている?

 私も君の事を何も知らなかったけれど、私も私のすべてをさらけ出したつもりはない。

「君は私の好きな食べ物を知っているか?」

「……え?」

「好きな詩は? 好きな曲は? 好きな飲み物は? ちなみに私はミルクは嫌いだ」

「あなた、何を言っているのよう?」

「最初にくれたミルク浸しのでろ甘パンも、相当我慢して飲み込んだ。好きな色は? 好きな花は? 好きな言葉は?」

「ちなみに好きな言葉は……?」

「奉仕の心!」

 一度口を開くと、それまでの鬱憤が湯水のように湧きあがる。

 私がこれまで、どれだけ気を使っていたと思う。捕らえなければならない魔女に逆に助けられて、恩人だから殺したくないけど、でもやっぱり人間だものどこかで贖罪と許しは必要だよなあ……とかのほほんと考えながら、どう伝えたらカドが立たないかと精神をすり減らしていたこの気持ちが分かるか。

「私は知りたいと思った。誰かを助けるのに理由が必要かと言った君の言葉に、立場が違えば友人になれるかもしれないと思った。実はちょっとだけ友達が欲しかったと言った時、それなら私がと手を上げたくなった!」

 だけど立場がそれを拒んだ。いずれお別れが来るならば、これ以上仲良くはならない方が良いと思った。

「だが状況が変わった! 今の私は君と同じ、望めば永遠を生きる魔女らしい! ならば、もう誰にも気を使う必要はない! 私は君と仲良くなりたいと思う! もっとお互いのことを知り合いたいと思う! そんな私に殺されることを臨むか!? それなら私は剣を振おう! それが友としての最初で最後の務めだ!」

 胸が熱い。これは賢者の石の力なのだろうか。だけど、その熱さに身を委ねてみても良いと思った。熱とはすなわち、私が生きている証だから。

「私は選んだ! だから君も選べ! 友情か死か!? 友情か死か!?」

 メルランは狼狽えたように視線を泳がせる。これまで散々振り回されたが、ようやく一矢報いたような気分だ。やがて、ぐっと口元を噛みしめて、嗚咽を漏らすように呟いた。

「私と……友達になってくれる?」

「心得た」

 薄暗い室内に剣が閃く。私の放った太刀筋は鎖という鎖を切り落とし、彼女を十字架から解放する。私は落ちて来た彼女の身体を抱きかかえるように受け止めて、耳元で優しく囁いた。

「ずっと言いそびれていた……私を救ってくれてありがとう」

 メルランは声もなくただ頷いた。背中に回された手に力が籠る。

「いけません! もう一度捕らえなければ!」

 私の背中にどすりどすりと矢が突き立つ。近衛騎士が放った弩弓の矢だった。この暗所でよく当てるものだと、その練度の高さに頭が下がる。私はメルランを引きはがすと、背中に手を回して突き刺さった矢を引き抜く。ずるりと矢じりが抜け落ちた端から、傷口が波打つようにして塞がっていく。

 近衛騎士たちの表情が、絵に書いたような恐怖で歪むのが見えた。

「私はお前たちの言うところの魔女だ。だが信仰を忘れた覚えもない!」

 私はその場で剣を構えて、ひと思いに振り抜いた。事前に心得があったわけではないが、きっとそれだけで良いのだという不思議な納得感があった。事実、刃が纏った淡い輝きが、そのまま光の刃となる。つむじ風のように放たれたその光は、近衛騎士たちの弩弓を瞬く間に切り刻んでいた。

「魔法だ……敵うわけがない!」

 近衛騎士たちは、慌てて弩弓の残骸を放り捨てて逃げだしていく。

「待ちなさい! あれらを野放しにしていては信仰が……秩序が……!」

 立場がそうさせるのか、神官長さまは狼狽えながらも走り去る近衛騎士の背中へと呼びかける。しかし応える者はひとりもおらず、身ひとつで牢の唯一の入り口を守るだけとなる。

「神官長さま、そこをお通しください。そうすれば私たちは、国の外……誰も知らないようなどこか未開の地で慎ましく暮らしましょう。これまでこの身を捧げて来た信仰を護るための、せめてもの恩返しです」

「シーリア……あなた、それでいいの?」

 メルランが驚いたように私の顔を覗き込む。私はどこか晴れ晴れとした気持ちで、笑顔でそれに応えた。

「もうこの国に居場所はない。だが私は君と違って、最初の一歩からすでにひとりじゃない」

 私が一歩踏み出すと、神官長さまが一歩後ずさる。できれば敬愛する……私が教会にすべてを捧げるきっかけになったこの方を傷つけるようなことはしたくない。どうかそのまま引いてくれ。

 しかしその想いは、鼻先に突き付けられた切っ先に遮られた。

「愚妹の始末は私自身の手でつけます」

 姉さまが、腰の剣を抜き放って目の前に立ちはだかる。

「姉さま……このまま行かせてはくれないのですか」

「私は異端審問の長として、責務を果たさなければならない」

 ゆったりと、これから舞いでも披露するかのような姉さまの構え。ああそうだ。これが私が一度も敵わず、これから先も敵うことがないだろうと自覚した、姉さまの立ち姿だ。

「シーリア、ここは私が――」

 よろめきながら前に出ようとしたメルランを、腕一本で制する。ぼんやりと光を始めていた彼女の手から力が消えていく。

「敬愛する姉さま。これが最初で最後の姉妹喧嘩です」

「よかろう。異端審問騎士団が長エリザベスの名において、ここに魔女裁判を執行する」

 姉さまの構えた剣の先に、私の剣が優しく触れた。それが開戦の合図だった。

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