9節 賢者の石
鈍い音とともに古びた錠前が地面に転がる。ふたりがかりではめ込まれた大きな閂を抜き取ると、姉さまが私を振り返って言った。
「あまり、お前の気持ちがよいものでないことは許してくれ」
私の返事を待つでもなく、姉様はメルランの閉じ込められた牢の扉を開く。異端審問官として、魔女を裁く者として、ある程度の覚悟は決めていたつもりだった。だが目の前に広がっていた光景は私の予想をはるかに越えていて、そして理解しがたきものだった。
「メルラン……!?」
彼女は部屋の中央に打ち立てられた十字架に磔にされていた。それだけならば火刑を受けた私と同じ状況なのだが、壁の四方から細い鎖が伸びているのが見える。それは、あらわになった彼女の胸部を分け開くように肉に食い込んで、ぴんと張りめぐらされていた。
「……あら、シーリア。よかった。中に入れたのねえ」
彼女は相変わらずの笑顔を浮かべて、何事もなかったかのように私を出迎える。だが待ち焦がれた彼女のそんな表情よりも、開かれた胸の中に燦然と輝く拳ほどの大きさの宝石に目を奪われていた。
「なんだ……それは」
宝石は本来であれば心臓があるべきところ、胸の中央に埋め込まれるように鎮座している。そこへ体組織が絡みつくように張り付いていて、もはや身体の一部と言ってもおかしくはなかった。
「シーリア。剣を寄こすんだ」
「姉さま、その前に説明を……」
「寄こすんだ」
有無を言わさぬ圧に押されて、私は腰に帯びた剣を姉さまへと手渡す。姉さまはそれを受け取ると、メルランの胸の宝石めがけて突き付けた。
「メルラン・メーテリック・ジルベーヌ第三皇女殿下。我が妹にかけた呪いの解き方を教えて貰おう」
「メルラ……え……皇女殿下?」
姉さまが口にしたその名前に、私は困惑を隠せない。彼女がやんごとなき立場であるからではない。そんな名前の殿下など、聞いたことがないからだ。教会に務める身の上で、王族の事はそれなりに勉強しているはずだ。現在の治世に皇女殿下は5名。その第三皇女殿下は、決してそのような名前ではない。
「案ずるなシーリア。彼女はお前の理解するところの皇女殿下ではない」
「では、どこのどなたで……?」
「彼女はこの辺り一帯を納めていた最古の王朝の御息女であり、教会の歴史上ではじめて魔女と認定された咎人だ」
最古の王朝と言えば……いつのことだ。ない頭をフル回転させるが、いまいちピンとこない。そもそも今の王朝になってからすでに何百年か経過していて……。
「……いま、いくつなんだ?」
「千歳くらいまではちゃんと数えていたけど、それからめんどくさくなっちゃったのよねえ。ミレニアムパーティが最後にお祝いした誕生日よう」
「せん……!?」
他にも驚くべきところがあるはずなのに、なぜか私の興味はそこに終着してしまった。
「いやいやいやいや! 人間がそんなに長く生きられるはずがない!」
「だから魔女なのだ。正しく言えば、賢者の石の力だがな」
宝石に突き付けられた切っ先が、その表面をカツンとつつく。
「彼女は当時の王朝の中でも類稀なる学才と、とめどない好奇心に溢れたお方だった。そんな彼女だったからこそ、主もまた戯れに、力をお与えになってしまったのだろう」
「ほんとに偶然だったのよう。まさか処女の嬢膜が、賢者の石の主たる材料になるだなんて」
「それじゃあ、賢者の石とは不老不死を与える力……なのか?」
「それはあくまで力の一端にすぎない。力を際限なく引き出せば、どのような望みでも叶えられるだろう。それはまさに、我らが敬愛する始祖の預言者さまのように」
口にして、姉さまは首から下げたロザリオを握りしめる。
「シーリア、お前は深く関わりすぎた。だからあえて真実を告げよう。魔女とはすなわち、後の世に生まれた新たな預言者だ」
「そんなバカなこと……! それじゃあ彼女は魔女なんかじゃなくて――」
聖女さまじゃないか。
「残念だけど団長さん、あなたじゃ私を殺すことはできないわあ。その刃で賢者の石を砕くには、同じだけの力が必要なの」
同じだけの力……その言葉に、私は思わず自身の胸に手を置いた。ひんやりとしたプレートメイルのその奥で、十字の傷跡がうずいたような気がした。
「それで妹を魔女にしたのか? 自分を殺させるという利己的な目的を果たすためだけに?」
姉さまの問いかけに、メルランは伏し目がちに答える。
「……私以外の初めての適合者だったの。ずっとずっと長い間、何人も、何人も可能性のある相手に術を施して。もちろん健康な人間を選ぶことはしなかったわ。死の淵に瀕した、それでいてなお生きたいという想いを抱いた乙女。そうでなければ賢者の石は身体に馴染みもしないから」
「メルラン、何を言うんだ……?」
「だって私は魔女だから……そう思ったら、いつのまにかそういうことをするのになんにも躊躇しなくなっていたの」
やめてくれ。そんなにもっともらしい、魔女らしいことを言わないでくれ。私が彼女を信じられたのは、信用したいと思ったのは、心優しく温かい人間であったからだ。
「だけど大丈夫よ、シーリア。あなたの胸の賢者の石は、私が改良に改良を重ねたいわば完成品。死ぬ自由すら与えられない私の胸の粗悪品と違って、あなたはあなたの意志で寿命を全うすることもできる」
「やめてくれ!」
私の叫びに、メルランがびくりと肩を揺らす。私が聞きたかったのは、そんな言葉じゃない。だけどこれ以上彼女の口から言葉が出るのが怖くって、私は姉さまだけをじっとみつめた。
「メルランは……死ぬことを望んでいるのか」
「……疲れちゃったのよう。教会から逃げることも、死ぬこともできず生き続けるのも」
視界の端で、メルランが弱々しく笑った。
「だけどそんな……聖女さまとして崇められて名を残すべきなのに、魔女として歴史の陰で葬り去られるだなんて」
「だからこそ、です」
不意のひとことに、私たちは弾かれたように牢獄の入り口を見やる。そこにあったのは、直属の近衛騎士を従えた神官長の姿だった。
「残念でなりません。シーリア、あなたが本当に魔女となってしまうだなんて」
「違います、神官長さま! 私も……それに彼女も!」
「それでは困るのです!」
神官長さまの凛とした声が、私の具申を遮る。
「我々は唯一絶対の神と、唯一絶対の始祖の預言者さまとにこの信仰を捧げてきました。しかし、そこへ新たな預言者が現れたらどうなると思いますか。新たな信仰が生まれ、場合によっては守り受け継いできた教えの敵となるかもしれない。そして戦いが生まれ、多くの罪なき信徒が犠牲になるかもしれない。それを未然に防ぐための異端審問なのです。そのための魔女狩りなのです。たとえそれが恐れ多い王族が相手であっても、果されて来たことなのです!」
「ですが、そのようなことを我らの主がお望みとはとても……!」
「主の教えは唯一絶対! しかし、信仰の在り方を決めるのは我々、生身の人間です!」
神官長さまの言葉に、私は何も返すことができなかった。その言葉を言われたままに嚥下してしまおうという自分がいる。正しいことだと納得してしまう自分が居る。それがこれまで培ってきた信仰であるなら、私が行ってきた異端審問であるならば、なんとも恐ろしいことであるはずなのに。
「シーリアよ。なぜ、神職者が穢れなき処女でなければならないか、分かりますか?」
「……わかりません」
「自らの都合で嬢膜を破ることを禁忌とすることで、再び偶然にも賢者の石が生まれることを防ぐためです。賢者の石そのものは預言者の力を得る方法のひとつにすぎませんが……定められた戒律にはすべて理由があるのですよ」
それがトドメだった。私の敬愛する主の教えは、私が拠り所にしてきた信仰は、音を立てて崩れ去った。もう何を信じたら良いのか分からない。ただひとつだけ言えるのは、私は不老不死の化け物になってしまったということだけだ。
「異端審問官シーリアよ。火刑により名誉を回復したあなたに、最後の教えを示します。その手で魔女を殺し、自らも安らかなる死を迎えなさい。そうすればあなたは、このまま敬虔なる信徒として手厚く葬られることでしょう」
そう語る神官長さまのお言葉は、どこまでも温かく、心から私のへの慈悲に溢れたものだった。
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