8節 姉さま

 メルランの真意を確かめないまま、私は塔に併設された騎士団の詰め所へと足を踏み入れていた。剣をこの手に取り戻すためだ。

 扉越しにどういうことかと尋ねても、メルランは具体的なことを話してはくれなかった。私に殺して欲しい。それは、処刑されるのなら私の手によってが良いということなのだろうか。魔女である彼女は、おそらく処刑台に上がる前も、その後も、想像を絶する責め苦を受けるはずだ。それを思えば、苦しみを味わう前に殺してくれというのも頷けない話ではない。


 詰め所の中は思ったよりも静かだった。魔女と目される私が棺から姿を消したのだ。教会騎士総動員で捜索に出ていてもおかしくはない。この分なら剣を取り戻すのもわけないなと、私は手早くことを済ませることにした。

「やはり……あるとすればここだと思った」

 あたりをつけて踏み込んだ部屋は、審問騎士団の団長エリザベスの執務室だ。不用心にも鍵かけられていない扉をくぐると、執務机の上に鎧などの装備一式と共に剣が横たえられていた。

 おもむろに取り上げて、刃を鞘から抜き放つ。窓から差し込む月明かりに照らされて、澄んだ刃が美しく輝いた。剣の無事を確認して、一度鞘に納める。それから他の装備へ目をやって、しばし考え込んだ。

 正直、シルクシーツのドレスはあまりにも目に入りやすい。ここは装備を着こんでしまった方が、他の騎士たちに紛れることができるんじゃないだろうか。とはいえ、私には今どれだけの猶予があるのかわからない。時間か、安全か。両者を天秤にかけた結果、私は鎧を身にまとうことにした。

「……やはりここに来たか」

 プレートメイルの下に着こむレザースーツに脚を通したところで、知る限り最も会いたくない人間の声が聞こえた。私は半裸のまま剣を抱えて、咄嗟に机の陰に身を潜めた。そうして顔を半分だけ覗かせて様子をうかがうと、団長のエリザベスが扉の前に立っていた。

 私は意味もなく息を殺して剣の柄に手を添える。それを感じ取ってか、団長は両手を掲げて戦意がないことを示した。

「夜風にその恰好は寒かろう。鎧を着こむことを許可する。ただし、剣は机の上に置いたままだ」

「……私は自分の立場をわきまえているつもりです。見つかってしまった以上は、隠れ――は諸事情によりしていますが、逃げることはしません」

「そうか。ならばこれは騎士団の長ではなく、血を分けた家族としての情けだ。シーリア、お前に騎士として辱めを受けないだけの正装を認める」

「姉さま……」

 私は警戒心をすっかり解いて、机の陰から静かに立ち上がった。その様子を見てエリザベス――姉さまは、少し寂しげな笑顔を浮かべた。

「ひとりじゃ不便だろう。私が手伝おう」

「ありがとうございます」

 私は抱え込んでいた剣を机の上へと横たえた。

 歩み寄った姉さまが、背中側へ回ってレザージャケットの結び目に手をかける。彼女は、私が急いでぐちゃぐちゃに結んでいたそれを一本ずつ丁寧に解いて、もう一度きれいに結び直してくれた。

「火傷ひとつない美しい肌だ。お前はやはり……魔女になってしまったのだな」

 姉さまの指先が、あらわになった私の背中をなでる。剣の稽古で皮がガチガチになった、だけど変わらず優しいままの、姉さまの手の温もりだった。

「分かりません。ですが私は、自分が魔女になったとは信じていません」

「信じていない……か。それがやがて苦痛になって、彼女は自分が魔女であることを受け入れたのかもしれないな」

「それはメルランのことですか?」

 思わず振り返ろうとした私の肩を、姉さまの両手がぐっと抑える。

「動くな。結び目を違える」

「ご、ごめんなさい」

 私は思わず背筋を伸ばして、その場に直立した。それから姉さまの機嫌をうかがうように、恐る恐る声を上げる。

「その……今日の火刑の折、なぜ神官長さまはあのようなことを?」

 慈悲によって与えられた私の発言。それに対して、まるでメルランなんて女性は存在しないかのように返されたあの返答。実際に彼女が地下牢に捕らえられているのが確認できた今、その矛盾が余計にしこりとして胸の内に残り続けていた。

「シーリアは彼女とずいぶん親しくなったようだが……彼女はお前の何なんだ」

「何なんだ……と言われましても、何でしょう」

 そんなの自分でも分からない。助けてくれた相手と、助けて貰った自分。確実なのはそれだが、人と人の関係を表すには不適当だ。

 友人……というには、私と彼女の間には壁のようなものがあった。

 殺す者と殺される者……それは最初の出会いであり、彼女が望んでいる関係だ。

「命の恩人ですかね」

 悩んだ結果、私はそう答えることにした。

「そうか。なら恩義に報いなければな」

 言葉の真意を掴めないまま、姉さまはプレートメイルのパーツを私の身体へ合わせていく。すべての装備が整ったあと、最後にレザースーツの下に押し込まれていた後ろ髪をするすると引き出すと、手ぐしですくようにして背中に流してくれた。

「うん。お前は立派な教会騎士だ」

「御冗談を、姉さま。元、騎士です」

「……そうだったな」

 姉さまは身を翻して、部屋の入口へと歩いていく。それから片手を月光にかざすように掲げて、私をまっすぐに見つめた。

「剣を持ってついてこい。お前を彼女の御前に連れていく」

 そう言った彼女の手には、さび付いて重そうな錠前の鍵が握られていた。

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