7節 新しい命
目が覚めた時、私はひどく暗くて狭いところに閉じ込められていた。四方を覆う壁は感触としては木材。生木のようだが、辺り一面に腐った肉を炭にしたような匂いがたちこめているのが気になった。
試しに目の前の壁を叩いてみる。ギシリと鈍い音がして、隅の方に隙間ができたような気がする。これは行ける。そう思った私は、もう一度渾身の力で壁を叩いた。すると分厚い板でできた壁は、木片をまき散らしながら粉みじんに砕け散った。
口に入った木片を吐き出して、ゆっくり身体を起こす。辺りを見渡すと、すぐにそこが礼拝堂の地下であることがわかった。
「これは棺……? というか私、またすっぽんぽん!?」
自分が棺に寝かせられていたことよりも、何も服を着ていなかったことの方に驚く。記憶にないところで目を覚ますとこんなのばっかりだ。
記憶……脳裏にふと、業火の中で味わった地獄の苦しみが思い出される。思わず腹の中がぐるぐると逆流して、その場で思いっきりえずいてしまった。
だらだらとよだれのような胃液を吐き出して、私は慌てて胸で聖印を切る。神像のひざ元での不浄行為に対する許しを請うためだ。すると、胸元になんだか違和感があった。縫合されていたはずの胸の十字傷が、薄い痕を残してすっかり消えてなくなっていたのだ。私は薄暗い中で目を凝らしながら、全身をまさぐるように撫であげる。
ツギハギの化け物みたいになっていた全身の傷跡も、同様にぴったりと塞がっている。胸の十字傷を除いて、私の身体は崖から転げ落ちる前のように綺麗に回復していた。
そもそも、私は魔女裁判の火刑によって確実に死んでいたはず。傍らにおろした手のひらが、棺桶の中に散らばる炭の欠片を掴みあげる。薄い樹皮のような炭の破片は、ちょっと力を入れただけでほろほろと崩れ落ちた。
だめだ。森で目覚めた時以上に状況が理解できない。そこではたと思い出す。そうだ、メルランはどうなったのだろう。あまり迂闊なことをしたくはないが、彼女の安否はどうしても気になってしまう。私は意を決すると、棺桶に敷かれていたシルクのシーツをドレスのように身にまとって、地下室を後にした。
捕らえらた魔女がどこに収容されるかに関しては、ある程度の心得がある。仮にも異端審問官だったのだ。むしろホームグラウンドと言うべきである。ただ私も咎人の身だ。自分の行動の自由がないことくらいは重々に承知していた。
助けようなんて気持ちはさらさらなかった。ただひと目、メルランの無事と、彼女が人道的な待遇で収容されていることを確認できればいい。そしてしかる後に彼女もまた裁きを受け、主の裁定に身を委ねるべきなのだ。
だからこの場合はこっそりと隠密行動。だというのに、基本的に運の無い私はばったりと見回りの神官と出くわしてしまった。
「シーリア!? 馬鹿な、お前は確かに……!」
「お、落ち着いてください。私は見ての通りなんとも……」
私は必死に取り繕うが、相手はぞっと青ざめながら後ずさった。
「魔女……やっぱり魔女だったんだ! うわああああ! 魔女だああああああ!!」
神官は悲鳴をあげて走り去っていく。それからすぐに、教会に備え付けられた警鐘がけたたましく鳴り響いた。
しくじった。ここは大人しくお縄につくべきか……いや、それは駄目だ。私は今、完全に魔女として認識されている。状況的に考えても、もはや嫌疑ではなく断定だ。魔女裁判の火刑というものは、死ねば人間で無罪、生き残れば魔女で有罪というシンプルな儀式だ。その中で間違いでも生き残ってしまった私は、もはや教会に居場所などない。そして魔女と断定された者の末路を、私は教義の中で嫌というほど聞かされて来た。
……いずれにしろ、やがて裁かれることはいたし方ないと考える。もとより覚悟を決めていたことだ。となれば、やはり最後に彼女にひと目会いたい。私はまだ、森で助けてくれたお礼をちゃんと伝えていないのだ。
異端の咎人は、街はずれの塔の中に収容される。傍には教会騎士団の詰め所があり、咎人の監視も使命のひとつだった。私もついこの間までそこに勤め、またつい今朝まで咎人として収容されていた。
とはいえ、魔女と魔女嫌疑とでは同じ咎人でも扱いに雲泥の差があるのは先に述べた通りだ。彼女の場合、自身を魔女と称している以上は黒寄りのグレー。そう言ったものはより厳重で強固な、塔の地下深くに収容される。
「まさか、異端審問官としての日々が役に立つとはな……」
私は騎士の中でも審問官の席を与えられている者しか知らない抜け道を使い、塔の地下へと足を踏み入れていた。もとは大きな古井戸だったらしいそこには、古の時代に使われていた教会のエスケープルートが存在していた。
時代の移り変わりでその上に罪人の塔が立ったことにより、今では本来の用途では使用されていない。だが、特に人目には触れさせてはならない、禁忌の罪人を収容する場合に限り、この通路が今でも使われている。私はお目にかかったことはないが、現団長はかつて一度だけ経験があるらしい。
私が棺を抜け出したことが知れ渡ればおのずと――それこそ団長あたりが根回しをして――すぐにこの通路も抑えられるだろう。復路で捕まるのは構わない。ただ行きだけは、どうか誰にも会わずにいて欲しい。
しかして、私は無事に塔の地下へとたどり着いていた。
そこは、じめじめとした洞窟のような収容施設だった。一面だけ設えられたレンガ造りの重厚な壁に、大きな閂のついた鉄扉がひとつ。私は辺りに人影がないのを確認して、その扉をノックした。
「……どなたあ?」
彼女の声だ。厚い扉に遮られてややくぐもったようだが、確かにあの能天気な語り草だ。なんだかひどく懐かしい気持ちになって、目元から涙が零れ落ちた。
「……もしかしてシーリア?」
「そう……私だ。シーリアだ」
嗚咽まじりの私の声に、扉の向こうでメルランが息をのむ。実際は扉に遮られてかすかな吐息なんて聞こえるはずもないのだけれど、そうだと思うくらいの間がふたりの間に流れていた。
「やっぱりあなた、すごいのねえ……私、年甲斐もなくびっくりしちゃったあ」
それは驚きなのか、喜びなのか、言葉だけでは分からない。やっぱり顔が見たい。閂ひとつ開ける権限も失った今の自分が恨めしかった。
「シーリア……今、自由に動けるの?」
「後ろめたい行為ではあるが……束の間の自由は謳歌しているな」
「そう……あなた、あの剣は持っている?」
「剣……? ああ、私の礼剣のことか?」
メルランが美しく磨いてくれた私の信仰の証。今となっては、ただただその肩書が重い。
「今は手元にない。おそらく回収されて、どこかに安置されているものとは思うが」
「どうにか取り戻して……もう一度ここへ戻ってくることはできる? 他の剣じゃだめよう。あの剣じゃなきゃ」
「どうだろう……それだけの猶予が残されているかどうか。そもそも、剣なんか持ち出してどうするんだ?」
今度は確実に、はっきりと、彼女が息を呑んだのがわかった。否。それはおそらく、扉に反射して聞こえた自分自身の臆病な吐息だった。
「どうか、その剣で私を殺してほしいの」
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