6節 業火
その日は、おあつらえ向きに淀んだ曇り空だった。晴れも雨も恵みだというのなら、そのどちらでもない曇り空は、天にも見放されたような気分にさえなる。もっともそんな事すら些末事に思えるほど、私の心は消沈してしまっていた。
「咎人。汝、魔女の嫌疑を掛けられているがゆえに、ここにその真偽を問う。汝、魔女か人か」
心から敬愛する神官長さまの声が空っぽになった心に響く。私は震える唇で、絞り出すように声を出す。
「私は……魔女ではありません」
考えうる限り、この異端審問において最も間違った回答。だが神の御前で嘘をつくことだけはできない。魔女に命を助けられ、魔女のもとで暮らしていたが、私は魔女ではない。魔女になった覚えもない。
「この身に死が訪れるのなら……どうか主に身も心も捧げる誓いを立てた者として、清らかなるまま天へと参りたい」
「残念だが、それを決めるのは私ではなくこれから行われる刑の結果であり、それこそが主の下す御心である」
神官長さまはそう言い放つと、掲げていた書状を丸めて磔にされた私を見下ろした。
「しかし、汝のこれまでの信仰は真なるものでありました。よって慈悲として、ひとつ発言の機会を授けましょう。何か憂いごとがあれば申してみなさい」
「メルラン……私と共に捕まった魔女は、どうしておりますでしょうか……?」
私の言葉に、神官長さまは僅かに眉をしかめる。それから少しの思案を擁して、その高潔なる口を開いた。
「そのような者は報告されておりません。本件における咎人は汝ひとりであり、汝のみがこの刑に処されると知れ」
「そんなはずは……! 確かに私は、彼女と一緒に教会騎士団に連行されて……それで……!」
「慈悲は果たされたこととします。刑を執行せよ」
「はっ」
「神官長さま……!」
私の嘆願を他所に、エリザベス団長が部下たちに準備を促す。かつて仲間だった者たちが、ボロ布の巻かれた木の棒を油に浸し、かがり火から火を移す。
辺りを取り囲んでいた野次馬たちは、固唾を飲んでそれを見守る。
「……放て!」
「待って……彼女は……!」
松明の火が、一斉に足元にくべられた。じわりじわりと広がっていく火の手は、やがてある一点を境に、一気に我が身を包み込んだ。
「あああああああああああああああああ!!!!!」
熱い。
熱い熱い。
熱い熱い熱い熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
崖を滑り落ちた時をはるかに超える苦痛。
足先から炎に焼かれ、ぐずぐずと皮膚が焼けただれていく。
この痛みは熱い鍋に手を触れて、火傷をするそれとはわけが違う。
生きたまま全身の皮膚を剥かれるような。
はたまた身体の内側で数多の蟲が蠢き、その肉に食らいついているような。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
汗も、涙も、涎も、全身から溢れる体液という体液が、一瞬で蒸発していく。
もはや出すものも出し尽くして、なお、これ以上私から何を搾り取ろうというのか。
この身を神に捧げて生きて来た。
何ひとつ、その誓いに恥じる生き方はしていない。
だからどうかこの苦しみを、私をここから、一刻も早く、どうか、お救いください。
こんなことならあの時崖の下で死んでいればよかった。
もっと早く、死に心を委ねていればよかった。
死ぬのが怖かったから。
生きたいと願ってしまったから。
それ以上の責め苦が訪れると言うのなら、生きてなんていなければよかった。
だけど不思議と、私を救ってくれたあの魔女への恨み言は湧きあがらなかった。
むしろ最後にあの能天気な笑顔をひと目見られたら。
この数日間の生には意味があったと信じられるのかもしれない――
◇ ◇ ◇
「……逝きましたか」
「とうにこと切れております」
神官長の問いに、エリザベスは静かに首を振った。
「そうですか……幼き日、教会で彼女が致してしまったのをつい昨日のことのように覚えています。シーリアは祝福された、清く美しい信徒でありました」
ぐずぐずに炭化した遺体を見下ろして、神官長は苦悶の表情で祈りを捧げる。
「主の判決は下されました。咎人シーリアの無罪をここに宣言し、その名誉の回復と穏やかなる眠りをここに約束します」
「恐れながらこのエリザベス、神官長へ意見を具申することをお許しください」
「うかがいましょう」
エリザベスはその場に膝を折り、頭を垂れた。
「咎人……いえ、元咎人のシーリアは、敬虔にして信心深く、己を律し、他者への慈愛に溢れた、模範的な信徒であったと評価しております。遺体は丁重に弔い、しかるべき葬儀をもって、その崇高なる精神を主のもとへお送りしたいと存じます」
「それが良いでしょう。手向けは厳粛に、そして最大限の愛をもって執り行うように」
「ありがとうございます」
エリザベスは再び深く頭を下げる。そのまま神官長が教会へ帰っていくのを見届けると、ゆっくりと起き上がって火刑の残骸を見渡した。すでに団員の手で遺体は磔から解放され、エリザベスが事前に準備していた棺へと納められるところだった。
「……すまない、シーリア」
祈りと共に捧げられた許しの言葉は、もう彼女の耳には届かない。
かつての仲間たちの手で丁寧に納棺された遺体は、葬儀の準備が整う日まで教会の霊堂地下に安置されることになった。魔女の咎を受けながらも埋葬までの間、神像の御許で眠ることができるのは格別の配慮といっても過言ではない。ひとえにシーリアのこれまでの行いの賜物だろう。
冷え切った地下室で、パキリと、生乾きの薪が弾けるような音が響いた。
パキリ。
パキリ。
パチリ。
断続的に続く音は、ヒナが孵る際に殻を突き破る時のそれにも似ていた。
音は人知れず棺の中から零れ落ちて、静寂へと溶けていった。
パキリ。
パチリ。
ペキリ。
真っ黒に焼け焦げた遺体の表面から、薄皮が剥げるように炭のカケラが転がり落ちる。
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