4節 ノーカウント!

「すごおい。たった2日でもう立てるようになったのねえ」

 さらに翌日、食事も獲れるようになって元気が戻って来たような気がしたので、メルランに手伝って貰ってリハビリというものを開始した。はじめは生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えていた足腰だったが、数刻後には支えさえあれば自分の力で歩けるほどになっていた。

「これも日ごろの訓練の賜物だな。足腰は特に鍛えられているからな」

「確かに、すっごく綺麗な脚だったわあ」

「顔を赤らめるな!」

 看病されているときといい、おそらくわたっ……私の膜を採取する時といい、すでに私の隅々まで彼女の前にさらされてしまっている。だが、私もいつまでも初心なままではいられない。一晩寝ながら己に喝を入れて、気持ちを切り替えることに成功した。

「確かに聖職者としては失格になってしまったかもしれないが、神を敬う心と奉仕の精神は誰にも妨げられるものではない。そもそも私の母も私を生んでいるわけだし」

 聖職者ではいられないだけで、敬虔な信徒であることに変わりはないのだ。そして私が導き出した一番の収穫がこれだ。

「そもそも私は男を身体に受け入れたわけではない! つまり膜は無くても身も心も清楚で清らかなる処女! 今回の事は乙女的にセーフ! ノーカウント!」

「うわあ、無理あるう」

 私が必至の想いで組み立てた理論は、メルランに鼻で笑われてしまった。釈然としないが、ここは言わせておくことにする。

 しかし、身体の回復に伴って少しずつ自分の身体の状況というものを理解できるようになってきた。切り立った崖を転がり落ちた身体は、あちこちがひどく損傷していたのだろう。いたるところが糸で縫合されていて、ツギハギの布人形のようになっていた。一部、完全に切断されたところをつなげたような痕もあって、そこに繋がっているのは本当に自分の身体だったものなのかと疑ってしまいそうになる。

 そして何よりも痛々しく目につくのが、胸の大きな十文字傷だ。

「これは相当ひどい傷だったのか?」

「ああ、ええ……ちょっと見てくれ悪くなっちゃってごめんなさいねえ」

「いや、いいんだ」

 縫合された十字傷をなぞると、チクリとした痛みが走る。

「なんだか聖痕みたいでカッコいいから、これはこれでいい」

「あなたってけっこう逞しいわよねえ」

 それに騎士なら胸の傷は名誉の負傷だ。その実は崖から落ちた傷だとしても。

「あっ、そうそう。歩けるようになったお祝いに杖作ってみたの」

 彼女はそう言って、Y字に組んだ松葉杖を2本プレゼントしてくれた。いつの間に採寸されていたのか、サイズは私の背丈にぴったりだっだ。でもなんというか、形が妙に痛々しい。トカゲのような、蛇のような……いや、これはドラゴンなのか。こう、二股に別れた部分が翼になって。なるほど。ドラゴンだ。ただ、頭部らしきところが呆けたアホ面で、話に聞くような怖ろしさも威厳もなかった。

「メルランが作ったのか?」

「こういうの得意なの。家も自分で作ったのよう」

 メルランは得意げに胸をはる。なんだか縮尺が歪んでいるというか、おとぎ話に出て来そうな歪な造りの家だなと思っていたらそういうことだったらしい。

「得意というにはその、感性が独特だな」

「あっ、良かったらシーリアの装備も直してあげましょうか? 私、金工も得意なのよう」

「いや! それは自分でやるから大丈夫!」

 私は慌てて断りを入れた。教会から貸与された鎧まで、この松葉杖みたいなデザインにされたらたまったものではない。

「でも、折を見て装備一式を外に出しておいてくれると助かる。動けるようになったし、そろそろ磨いてやらないとな」

 魔女に助けられた負い目があるとはいえ、そのうち教会には戻らなければならない。その時に少しでも体裁を取り繕えるようにしなければ。そしてその時私は、任務に則ってメルランを教会へ連行しなければならない。

「メルランはどうして私を助けてくれたんだ」

 助けてさえくれなければ、私は彼女を連行して、その後……処刑せずに済むのに。

「誰かを助けるのに理由って必要なの?」

 メルランがふんわりとほほ笑む。この短い出会いの中で、彼女は何度この笑顔を向けてくれただろうか。

 この2日間を共に過ごし、聖職者にあるまじきことだが、彼女を殺したくはないと思ってしまっていた。メルランの魔女らしいところを見たことがないせいもあるが、彼女はこんなにも笑顔が似合う普通の人間なのに。

「……というのは建前で、本当はちょっとだけ、友達が欲しかったのよう。ほら私、魔女ではみ出し者だから、ずっとひとりで生きて来たから」

「まだ若そうに見えるが、どれくらいひとりきりなんだ?」

「ずっとずーっと、いつまでもずっと」

 要領の得ない返答に、なんだかはぐらかされてしまったような気分になる。ずいぶん打ち解けたと思っていたけれど、その時確かに彼女との間に壁を感じていた。

「その……メルランが作った賢者の石とやらを、私に預けるつもりはないか」

「それはどういう?」

「魔女狩りでは、自分を魔女と認めて神前で許しを請えば、罰を受けることはまだしも処刑は免れることができる……こともある。その本気度次第だが。だが賢者の石を渡して貰えれば、罪を改め教会に帰属したという物的証拠にはなるだろう」

 それが私にできる精一杯の助け舟。実際のところ、そうやって処刑を免れた魔女の存在は過去の判例で伝え聞いている。彼女ならまだ若いし、体が自由に動くうちに外の世界へ戻ることができるだろう。というよりも、私が全力をもって情状酌量を嘆願する。

 それが命を助けてくれた恩人への最大限の敬意というものだ。

「それは、残念だけど無理ねえ」

「どうしてだ? そんなに大事なものなのか?」

「大事と言えば大事だし……できるかできないかで言って、無理なのよう」

 メルランは歯切れの悪い返事をして、おろおろと視線を泳がせた。私の熱意は彼女には伝わっていないらしい。先ほど感じた壁が本物なら、きっと私はまだ彼女に信用されていないのだ。チクリと胸の十字傷がうずいた。

「わかった。メルランが私を信用して石を預けてくれるよう、私も惜しまぬ努力をしよう。私がきっと、君を救ってみせる」

 それが私の宣誓だ。神前で奉仕の心を誓い、図らずも異端審問官になってしまった私の正義に則った挑戦である。

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