面白いことを言いたい人なのね


 割れるような頭の痛みで眠りから覚める。薄く目を開くと辺りは暗闇だった。感触に覚えのない布団が身体に覆いかぶさっていた。部屋は暖房が効いていて、暑がりの僕にとっては布団を取り払ってしまいたいほどの息苦しさだった。


「起きたんだ」


 そんな声が、耳元で聞こえた。知らない女が僕の隣に寄り添っていた。お互いに服を着ていない。女は僕の二の腕を人並み以上ある乳房の間に挟んでいた。とにかく喉がカラカラだった。


「何も覚えていない」


 僕が言える言葉は他になかった。女は二の腕から肩までをにじり寄り、僕の頬まで顔を近づけてきた。暗闇でもはっきりと顔の輪郭が見えるくらいに白い肌だった。顔立ちはあまり好みの女ではない。周りから可愛がられて生きてきたんだろうといえるような、整った顔立ちだった。それが気に食わなかった。


「思い出さなくてもいいんじゃない」


 女は唇を近づけ、そのまま僕の唇に絡みつく。全く知らない女だった。僕が一番苦手な女の味がした。女は舌先を唇に這わせて僕を誘った。だが、僕はそれに答えなかった。


 女は諦めて唇を離し、布団から出て行った。女の温もりだけが残った布団の中が、妙に心地よかった。


「あなた仕事は?」


 女はカーテンを少しだけ開く。目を凝らせば部屋全体の全てが見えるようになった。女の乳房の形、肌の質感、下着の色、黒子の数。僕は順々に女をインプットしていく。


「ネズミ講の親玉みたいな仕事」


 僕は言った。実際には、悩み多き若者をかき集めて商品を売りつけるマルチ商法に近かった。そんな生業でも、何故か購入者は多かった。具体的には僕が若者たちの持て余している他愛もない与太話を聞き、それに肯定したり、助言したりした後、商品と引き換えにお金を受け取る。商品を手にした時の顔よりも、話をする彼ら彼女らの顔の方が生き生きとしているのがとても奇妙に思えてくる仕事だ。


「へえ」


 女は興味が無さそうにパンツを履いた。


「女に逃げられた割には落ち込んでいないのね」


 女の言葉で、昨夜の記憶を断片的に思い出す。彼女に逃げられた。理由を聞く暇もなかった気がするが、理由は必要がなかったかもしれない。それ以上の理由が乗る余地もなかったのだろう。


「女はそこら中に溢れているから」


 僕は言った。


「男もそうならいいのに」


 女が言った。下着を着け終えると、女は指先で髪をとかしはじめる。そして、思いついたように立ち上がって歯を磨きに浴室へ向かった。歩き方に品があったところを見るに、アパレルの仕事をしている女のようだった。アパレルと僕の仕事はよく似ている。客の話を聞かないだけアパレルは秀でていた。


 僕はベッドの横に置いてあった小さい冷蔵庫を開けた。ミネラルウォーターとコーラが二本ずつ入っていたのを流し見して、手を伸ばせる距離にあった水を手元に持ってきた。


 あっという間に容器は空になる。水は喉から胃へ入る過程で蒸発したかのように、胃に落ちていく感触がなかった。


「私の職場、近くなの。今夜またどこかで会えない?」


 女は歯を磨き終えていた。布団の上に座って服を着替え始める。華奢な身体つきにしては必要最低限の筋肉はあるようだった。


「ここで待ってようか」


 僕は言った。


「面白いことを言いたい人なのね」


 女は僕に携帯電話の番号を聞きながら、メモ用に備え付けられたシートにペンを走らせて行った。


「仕事が終わったら連絡するわ」


 そう言って、彼女は部屋から出ていった。


 僕は一通り準備を済ませたあと、部屋のクズ入れを確認した。


 僕がその部屋から出て行ったのは、女が出て行ってから一時間ほど後だった。


 その晩、彼女から連絡は来ていない。僕はその翌日に携帯電話の番号を変えた。一つの数字を変えるだけで、二千円も携帯会社に請求されたのは想定外だった。

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