第4話 特殊能力

 その時、それまで無臭だと思っていたそのエントランスで、吐き気を催すような臭いがしてきた。

「むっ、これはひどい」

 と思ったその瞬間、ふと何かに気が付いた。

「この臭い。初めて嗅ぐものではないような気がするな」

 ということであった。

 臭いのひどさを思い出すと、それがいつのことだったのか、分かってきたのだ。

「そうだ、あれは、小学生の頃、友達がケガして救急車で運ばれた時に感じた臭いではないか?」

 と思ったのだ。

 確かに、最近まで、あの時の臭いが何だったのか、分かっていなかったはずだ。しかも、最近特に、あの時のことを頻繁に思い出すような気がしていたのだった。

「あれは、何かの虫の知らせだったというのだろうか?」

 と感じたが、

「本当にあの臭いを今思い出したのだろうか?」

 という思いを感じた時、その信憑性を確かにするという意味で、

「最近、よく思い出していたような気がする」

 という、まるで、

「辻褄合わせではないか?」

 と感じるのだった。

 ただ、小学生の低学年で感じたショッキングな感覚は、そう簡単に忘れ去ることができるものではなく、しばらくは、

「時々、夢に出てきたりしたものだ」

 と思うくらいであった。

 それが出てこなくなり、あまり意識しなくなったのはいつ頃だったのだろう?

 最近になって、また思い出すようになって、そのことを感じるようになってきたのだった。

 小学生の6年間は、長いようで短かった。

 中学、高校の三年間ずつは、短いようで、長かった気がする。

 それでも、三年というのは、本当にあっという間で、どんどん記憶が薄れていけばいくほど、どんどん短く感じるのだった。

 ただ、それと反比例で、小学生の6年間は、遠ざかっていくほどに、

「長かったような気がする」

 という感情が強くあり、それはやっぱり、トラウマとなっているあの事件が大きく影響しているように思えてならなかったのである。

 そんなことを考えているうちに、警察がやってくる。パトランプをつけて、サイレンは鳴らしてはいなかった。

「サイレンというのは、追跡する相手がある時だけ鳴らすのかな?」

 と、配達員は感じたのだった。

 警察が入ってくるところだったので、ロックを解除すると、中に2人の刑事と、警官が数名。そして、

「F県警」

 という腕章をつけ、七つ道具のようなバッグを持っていることから、

「鑑識員なんだろうな」

 ということは、容易に想像がつくというものだった。

 無言で入ってきた警察は、ルーティンなのか、その手際の良さは、それこそ、

「さすが、捜査のプロだ」

 ということを思わせたのだった。

 まずは、捜査のための、

「縄張り」

 が出来上がっていくのを見ると、やはり鮮やか。

 無言のままで行われる雰囲気は、静寂を破るものが何もないことを証明しているかのようだった。捜査がこれからどのように進むのかまったくわからなかったが、この手際の良さから、

「さすが、日本の警察」

 ということを思わせたが、元々比較対象がないので、何とも言えないのであった。

 警察の手際よさに戸惑っているのは、その作業中、こちらをみる人が誰もいなかったということであった。

 見つめられるというのも、少し辛い気がするが、逆に見つめられないというのも、

「何を考えているんだろう?」

 と思うと、無視された感覚で、心細さが浮き彫りになるのであった。

 時間的には、2,3分ほどだったはずなのに、本人にとっては、

「30分近くは経っていたのではないか?」

 と思い知らされたのだった。

 経過した時間と、感覚的な時間に差があればあるほど、

「時系列への錯覚がはげしいのではないか?」

 と感じるのだった。

 このビルに入ってきた時の方が、先ほど警察は入ってきたよりも、最近に感じる。

 それは、意識の中で、

「この事件をなかったことにしたい」

 という思いが強いからではないかと感じるのだった。

「警察というものは、昔見た、テレビドラマでしか知らない」

 という人がほとんどだろう。

 しかも、テレビドラマで見ていても、

「まったく自分とは生きる世界の違う人たちの出来事だ」

 という気持ちで見ていたはずだ。

 まさか、自分がいずれ何かの犯罪の容疑者にされるなどということを、想像するような人はいないことだろう。

 取調室に呼ばれて、昭和の頃の刑事ドラマのように、

「お前がやったんだろう?」

 と言われ、髪を引っ張られ、ライトを当てられ、座っている椅子を蹴とばされるかのような捜査を、誰が想像するというのだろうか?

 今の時代は、警察の取り調べなども、コンプライアンスの問題か、それとも、後の裁判での、

「行き過ぎた捜査」

 ということから、弁護士に検察側がいくら何をいおうとも、操作方法に行き過ぎがあれば、弁護側有利になるのは、無理もないことだ。

 それだけ、警察というところの、

「冤罪」

 という問題が昔からあって、そういう意味では、

「警察側の自業自得だ」

 ということになるに違いないだろう。

 それを思うと。¥、

「確かに、開かれた取り調べは必要なのだろうが、甘い状態で、犯人が容易に自覚したあとで、敏腕な弁護士のやり方で、裁判がひっくり返ることも、あり得ることだといえるのではないだろうか?」

 ということになるのであった。

 警察というものが、戦争中をピークに、どんどん弱い立場になっていっているということは否めないだろう。

 昔の、特高警察などは、ほとんどが拷問である。

「反社会主義による、国家の転覆」

 昔でいえば、

「国家反逆罪」

 と言われることによって、死刑に相当するという時代があったのだ。

 何しろ、

「国を売る」

 のだから、それも当然のことであり、スパイ行為がバレると、本国はその人物の存在を否定することで、国家に保証されることはない。

 もっとも、それが、スパイの運命だと言えばそれまでである。

 警察もいろいろ調べていたが、ある程度分かったことがあったのか、鑑識が一人の刑事に説明をしていた。

「うんうん」

 と頷いていたが、聴きながらメモを取っていて、ある程度内容が分かってきたのか、

「ところで、第一発見者というのは誰なのかね?」

 ということを、警官に言っていた。話しかけられた警官とは、先ほど話をして、自分の身元の話だけはしておいて、

「後で刑事さんからお話があると思いますので、すみませんが、少しこちらでお待ちください」

 ということであった。

 その刑事というのは、今のところ、現状を確認しているだけだった。鑑識との話を聞くことで、分かっていることと、証言とのすり合わせで、証言の信ぴょう性を図ろうとでもいうのであろうか。

「すみません。お待たせしました。あなたが、通報者ということでよろしいのでしょうか?」

 と、刑事が利くので、

「ええ、私が発見しました」

 というと、刑事は警察手帳を出して、

「私はこういうものですが」

 ということで見せられた手帳には、

「桜井」

 と書かれていて、その肩書は、

「警部補」

 となっていた。

 年齢的には、40歳近くであろうか、自分よりも少し年が行っているくらいであろうか?

 と考えたのだ。

「すみません。少しお話を伺いたいのですが、あなたは、ここに新聞配達でやってきたということでしたが、このマンションには、どうやって入ったんですか? 自動ロックのマンションのようですが」

 と聞かれた。

「ええ、僕たち新聞屋、郵便配達の人間は、配達ができるように、自分たちだけの入り口とポストがあるんですよ。だから、あの男性が倒れているのが見えたですが、実際には近寄ってはいません」

 ということであった。

「じゃあ、あなたが、警察が呼んだ時は、事件現場には入れなかったということですね? だったら、どうして我々が入れたんですか?」

 ということを言われ、

「あそこの入り口にある非常電話で、管理人さんのところに連絡し、ロックを先ほど解除してもらったんです。自分もさすがにあの現場に入るのは気持ち悪いし、警察の許しのましに、入るのは怖いと思ったんですよ」

 というのだった。

「4じゃあ、あなたが、解除してもらってから、我々が来るまでというのは、どれくらいだったんですかね?」

 と聞くと、

「ものの。5分もなかったと思いますが」

 というと、刑事は急に表情を変え、

「それは本当ですね?」

 と聞くので、さすがに新聞配達員もムッとして、

「何を疑っているんですか、私はウソなんか言いませんよ」

 というのだった。

 「これは失礼」

 と刑事がいうと、

「そんなに疑うようでしたら、ここの警備会社にロック状況でも確認してみればいいじゃないですか? こういうロックをリモートでできるくらいなので、状態などというのは、ログのようなものを取っているはずですよ。防犯カメラだってそうじゃないですか?」

 と配達員がいうと、

「これは失礼。確かにその通りだね」

 と変に冷静にいうのだった。

 そこで、配達員は閃いた。

「なるほど、警察は、こちらをわざと怒らせて、何かを引き出そうとでもしているのではないだろうか?」

 と感じたのだった。

 だが、そのあたりのことは、この新聞配達委は少し分かっていた。

 最初こそ、普段見ることのない事件を目撃してしまったことで、精神が混乱をきしてしまったが、冷静になると、それほど、気になることでもなかった。

 何しろ、自分は、この事件とは関係がない。まず、あちらにいって、いろいろ触ったわけでもないので、指紋が付着しているということもない。

 しかも、防犯カメラがあるだろうから、それくらいのことはカメラが見ているので、一番安心だということ、ただ気になったのが、

「被害者が誰だか分からない」

 ということだった。

 もし、被害者が、自分とかかわりのある人であれば、第一発見者が自分であるということは、警察としては、

「ただの偶然」

 として見てくれるようなことはないだろう。

 だから、一番配達員が気になったのは、

「被害者が誰なのか?」

 ということだった。

 だからと言って、警察に、

「被害者は誰なんですか?」

 ということを聞くというのも危険だ。

 分かっていて聞いているのであるが、警察が別の見方をして、

「こいつは。事件のことを根掘り葉掘り気になっているようだ」

 と思うと、

「本当に事件に無関係なのか?」

 と考えることだろう。

 だから、彼は、

「ここは警察を刺激することはない。逆に身元を警察が分かれば、警察の方から聞いてくることだろう」

 と思って待っていると。警察は、そのことに触れる感じはない。

 あくまでも、時系列にともなった説明を聞きたいだけで、彼は、実際の事実を、時系列に沿って話をするだけだった。

 そんなことをしているうちに、マンションの玄関が開き、誰かが入ってきた。配達員には見覚えがあり、その人はmこのビルの管理会社の人であった。

「私が呼んだんですよ」

 と、桜井警部補が言った。

「すみません、防犯カメラの映像をお借りしたいんですが、よろしいでしょうか?」

 と刑事がいうと、

「いいですよ。それにしても、まさか殺人事件が起こるなど、思ってもみませんでしたよ」

 ということであった。

「犯人が映っているかも知れないということでしょうか?」

 と管理人が聞くと。

「ええ、それもありますが、今鑑識で疑いのあることがあって、そちらの検証の必要があって、それを検証するために、映像が必要になるですよ」

 ということであった。

 そこで管理人は、

「いつ、殺されたのか分かりませんが、こんな不特定多数の人が出入りすることができるこの場所で、カメラも設置してあるだろうに、よく殺人なんか行えたと、私は思っているんですよ」

 というではないか。

 それを聞いた桜井警部補は、身体をビクッと震わせたかと思うと、

「そうですね。私もそれは思いました。だから余計に防犯カメラを一番に確認しないといけないと思ったんですよ」

 ということであった。

 それを聞いて、配送員も、何か、興奮気味になっていた。

 彼は、数年前から、ミステリー小説を読むのが好きで、最近では、自分でもストーリーを考えることが好きになった。

「今回の事件は、ミステリーファンとしては、見逃せないものになってきたかのように思います」

 もちろん、そんな不謹慎なことを刑事の前でいうわけにもいかない。

 仮にも、人が一人殺されているわけで、警察が乗り出してくるきっかけを作ったのは自分で、第一発見者として、当然調書にも乗ることであろう。

 警察が話をしているのがかすかだが、聞こえてきた。

 配達員は、

「珍しい特徴」

 を持っていた。

 というのも、

「自分は、人が聞こえないようなヒソヒソ話が、集中力を高めれば、聞こえるんだ」

 というものであった。

 もちろん、集中力を要するので、それだけ神経を使うので、かなり疲れる。だから、この能力は、

「いざという時」

「タイミングを合わせて」

 使う必要があるというわけである。

 彼の能力を知っている人はごく一部の親友くらいであった。

 それほどの仲の人間ではないと、

「やつの前で話したことは全部筒抜けになる」

 と言われるに違いない。

 だから、ほとんどの人は知らない。知っているとしても、彼らであれば、

「他の人に話すようなことはしないだろう」

 という思いがあったのだ。

 この能力を発見したのは、高校生の頃だっただろうか?

 どうやら、不良連中が、自分が友達だと思っていたやつを、襲撃するかのような話をしているのを聞いた。

 その時、その友達だと思っていたやつは、

「いやいや、そんなことはないだろう」

 といっていた。

 彼は、自尊心が強く、

「人から信頼されることはあっても、襲撃などありえない」

 と思っていたのだ。

 だが、実際に襲撃されるということが、その直前に分かって、彼は何を逃れたのだが、その時になって、やっと、彼の言葉が信じられると思ったのだ。

「すまない、もっと真剣に聞いていればよかったんだな」

 と、その友達だと思っていたやつは言った。

「これからは、君のいうことを、全面的に信じるようにしよう」

 といって、完全に下手に出るようになったのだ。

 それまでは、完全に上から目線だったのに、何をこんなに裏を返したようになったというのか、それを考えると、

「俺は、こんな能力を持っていたんだ」

 ということで、有頂天になっていたのだ。

 しかも、まるで、

「子分ができた」

 というような気分だったので、有頂天になると、気持ちが大きくなって、人のことをすべて信じるというような気持ちに陥るのであった。

 だが、実際に信用してくれる、

「子分のようなやつ」

 ができたことで、

「俺は、この力を使えば、リーダー格になれるかも知れない」

 と感じたのだ。

 そもそも、

「リーダー格などになりたい」

 などということを考えたこともなかった。

 リーダー核になるということは、

「人を洗脳できるのではないか?」

 と考えることであり、まるで、新興宗教の教祖にでもなったような気分であった。

「新興宗教の教祖がどれほど怖いものか?」

 さらに、

「どれほど、人から嫌われる」

 というものかということを考えるのであった。

 ただ、

「俺だって、一度くらいは、人を従えて、教祖のように崇め祀られてみたいと思うことだってあってもいいだろう」

 と思っていた。

 もちろん、本当に教祖のようになってしまうと、自分一人だけの身体ではないということになるので、教祖のようになるとすれば、まるでシンデレラのように、

「今日一日だけ、教祖気分が味わえればいい」

 という、

「夢のような話」

 だったのである。

「まるで、一日駅長や、一日署長のようなものではないか?」

 ということであった。

 そういえば、アイドルや芸能人が、イベントなどの営業で、

「一日駅長や一日署長」

 として、制服を着て、たすきをかけて、笑顔で敬礼をしている写真を見ると、ほのぼのした気分になる。

 それと違って、

「一日教祖」

 などというのは、明らかに、胡散臭いといえるだろう。

 ただ、あくまでも、夢の世界での話である。

 夢の世界でなければ、いくら有頂天な気分と言えども、教祖になどなると、

「その後の自分の人生を狂わす」

 ということになるのは、分かり切っていることである。

 以前、昭和の時代の映画で、新興宗教の話を映画化したものがあった。

 やっていることは明らかに詐欺、そして、その宗教団体は、大道芸人のように、一定の時期、その土地で活動すれば、まるで夜逃げのように、さっさとどこかに消えてしまうのだ。

 しかも、その間に、信者になった連中から、

「お布施」

 というようなお題目で、お金をせしめていたのだ。

 さらに、彼らのやり方は、

「教祖がその土地土地で違うということである」

 教祖候補は、5人くらいいて、次の土地に移った時、前の土地で教祖をやった者以外で、

「じゃんけん」

 をするのだった。

 もちろん、信者だった人たち、あるいは、これから信者になろうとしている候補者の連中には絶対に見せられないことである。

 ただ、

「じゃんけんというのは、一番公平であり、余計なことを考えず、神様が公平に決めてくださるものだから、一番信頼できるのだ」

 というのが、宗教団体の考えだった。

 ただ、言われてみれば、この考えが一番信憑性があるというのではないだろうか?

 なぜなら、

「人間は、神様を拝み奉っているのだから、神様は人間よりも偉い。だとすると、人間の合議よりも、神様がお決めになるじゃんけんの方が、よほど、信憑性がある」

 ということで、皆が納得することだった。

 もちろん、宗教に入信した連中にも同じことを説いて信じさせる。

 それが教祖の役目であり、実際に、そんな修行を積んだわけでもなく、

「信者になった連中を騙す」

 という目的でやっているのだから、じゃんけんの件など、

「どの口がいう」

 というのと同じではないだろうか?

 それを考えると、宗教団体がいっていることは、ある意味、的を得ている。騙しやすいのは、

「自分たちと同じ人間だ」

 ということで、考えるからではないだろうか?

 人間が人間を信じるのと同じで、

「人間が人間を騙す」

 というのは、実に楽なことなのかも知れない。

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