第3話 エントランスの死体

 この辻褄合わせという感覚が、

「デジャブ」

 というものと結びついているのではないかという考えがあるというようなことを、どこかの本で見たことがあるような気がしていた。

「デジャブ」

 というのは、

「初めて見るはずの光景であったり、初めて来たはずの場所なのに、どこか見覚えがあったり」

 などという、一種の既視感というものが、意識とは別の感覚を持つというそういうものであった。

 医学的には、その感覚の証明はなされていないということであったが、一体どういうことを意味しているというのだろうか?

 デジャブという現象は、誰にでもあるもので、どうも、ふと感じるもののようだ。そう考えた時、

「なるほど、辻褄合わせだと考えると、錯覚という現象はある程度まで理屈として解明できることなのかも知れないな」

 と感じるのであった。

 錯覚を起こさせるということと、マジックなどによる、

「トラップ」

 などというものを比較して考えると、何か分かってくるものがあるような気がする。

「相手に、錯覚させる方を、いかに注目させるか?」

 ということが重要なのだ。

「右手を見ろ」

 と言われると、どうしても右手を注目してしまう。

 その間に、左手で細工をするのだが、それも相手に、右手を見させるテクニックが必要だ。

 天邪鬼な人間は、

「右を見ろ」

 と言われると、

「左を見てしまう」

 という行動に出るだろう。

 しかし、それを逆手に取るという手もある。

 疑い深い人間には、左を見た時、

「素直な人間にしか見えない何かを相手に感じさせる必要がある」

 と言えるだろう。

 これは、正直、高等テクニックであり、マジシャンが自分の成長を目指すという意味で、その途上において、どこまで進化することができたのかということを示すものだといってもいいだろう。

 というのも、これは、催眠術のレベルにあることであり、プロのマジシャンとしては、ある意味、必要なテクニックである。

 マジックの腕というものも当然必要なのだが、

「相手を欺く」

 ということも一緒にできないと、喝采を浴びるだけの芸を見せることはできないのではないだろうか?

「催眠術」

 というよりも、

「洗脳」

 と言った方がいいのかも知れない。

 ただ、問題は、

「催眠術というものよりも、洗脳の方が難しい」

 ということではないだろうか。

 つまり、催眠術というのは、1対1での場合をいうのだが、洗脳ということになると、集団催眠のようなイメージがある。

 ということであった。

 もちろん、集団催眠という言葉があるように、催眠でも、集団に掛けるものもあれば、洗脳というのも、宗教団体を意識するから、集団を考えるのだが、実際には、一人一人掛けていくものだといえるのかも知れない。

 マジックのように、一瞬で相手に思い込ませないといけない場合は、

「そう思い込ませる現状を見せつける必要がある」

 ということになるだろう。

 しかし、それが皮肉なことに、いわゆる。

「マジックのテクニック」

 が、相手を洗脳する武器になるのだ。

「マジックのテクニックを駆使することだけでは足りない部分を、洗脳によって補う」

 ということが、マジックだということになるのであれば、

「逆も真なり」

 ということで、洗脳を行うためにマジックのテクニックを磨くということである場合、「それは十分な相乗効果を生むのではないだろうか?」

 と考えられる気がする。

 それを、最初から、

「負のスパイラル」

 のように考えて、

「堂々巡り」

 であったり、

「片方がムダな努力」

 というように考えたりすると、そこに、

「さらに余計な考えが生まれてくることになり、マジックというのは、その余計な考えを最初から、排除することから始まるものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 こんな辻褄合わせが、歪んだ感覚を生み出し、それがデジャブとして生まれてくるとするのであれば、大人になることで理解したはずのことでも、

「子供の頃に感じたことだったように思えてならない」

 と言えるのではないだろうか。

 ただ、子供の頃に感じた思いが、

「大人になっても忘れられないだろう」

 という思いだけは本当だった。

 まるで、トラウマとして残ったような衝撃的な記憶が、時々思い出される中で、思い出すうちに、

「まるでデジャブのようだ」

 と感じるようになる。

 ただ、初めてではなく、明らかに友達がけがをして、その時の血の臭いや、その現場の珍しさから、条件反射であるかのように、

「血を見たら、あの屋敷を思い出す」

 あるいは、

「あのような屋敷を見かければ、あの時の血の匂いがよみがえってくる」

 という感覚がこみあげてくるように思えてならないのだった。

 そんな思いを感じていると、それから少しして起こった殺人事件に、自分が絡んでいると言われ、

「急に自分が信じられない」

 という感覚に陥ってきたのだが、その証拠がどこから来るのか、分からないといってもいいだろう。

 その殺人事件は、あるマンションのエントランスで起こったことのようだ。深夜の出来事だったようで、最初に発見したのは、新聞配達の人だったようで、そのマンションでは、新聞配達、郵便配達の人だけは、オートロックの集合ポストのあるところだけ通れるような番号を知っていることになっていた。

 オートロックのマンションごとにやり方は違うだろう。

 例えば、

「オートロックを外さなくても、表から、郵便や新聞を放り込めるような、ただ入れるだけのポストを用意することで、一切警備に関係なく、投函できるというところもあるようだ」

 ということであるが、実際には、そういうわけにもいかないということで、時々問題があるのだった。

 というのも、

「郵便を取る側、つまり、実際のポストを使用する人にとっては、ちゃんと名前を書いておくのだが、反対側はおろそかになってしまう」

 だから、表からでは、誰の郵便物なのかが難しい場合があり、

「誤配」

 という問題が、時々あるようだった。

 それがなければ、防犯という意味では、完璧なことなのだが、誤配の問題があることから、マンションによっては、

「郵便、新聞配達の人には、集合ポストエリアまでだけの侵入を許す」

 という考えに立っているマンションも増えてきたようだ。

 それだけ、

「誤配」

 という問題は大きなことであり、今のように、

「個人情報保護」

 と呼ばれることが問題になってきているのであるから、当然のことながら、オートロックとの兼ね合いから、少しは、妥協するということも視野に入れなければいけないということになるのだった。

 それが分かってきて、問題のマンションでも、

「郵便と、新聞に関しては、共通で特定となる番号を教える」

 ということになったのだった。

 最近では、オートロックのマンションの需要が増えているという。

 なぜなら、自由にエントランスに入ることができれば、そこを住処のようにして、ホームレスが入ってくるからである。

 そこで段ボール住宅で過ごしながら、残飯のようなものを食べては、片付けもしない連中が増えて困っているという。

 特に、最近では、室内でタバコが吸えないので、ホームレスでなくとも、深夜など、マンションのエントランスに入り込み、好き勝手にタバコを吸って、吸い殻をそのまま、そのあたりに捨てる輩も多いだろう。

 そもそもタバコの問題は、3年近く前に、

「受動喫煙禁止」

 というような法律ができて、基本的には、

「室内で吸ってはいけない」

 ということになった。

 学校、病院、駅構内などの公共の施設では吸ってはいけないということはもちろんのこと、

「会社の事務所」、

「居酒屋」

「パチンコ屋」

 などと、喫煙者が我が者顔で吸っていた場所も禁止になるのだ。

 そもそも、学校や病院で吸えていたというのも、とんでもない話で、ほとんどモラルのある人は吸わなかった。

 というよりも、

「こんなに、どんどん吸える場所がなくなっていったのだったら。もう、タバコなんかやめちまえ」

 ということで、吸わなくなった人も多いことだろう。

「そのうちに、どこであっても吸えなくなるんだ」

 と思うと、そう思えて不自然ではない。

 特に、街中にある喫煙所は、

「世界的パンデミック」

 になる前は、喫煙所には、煙が籠るくらい、所せましと皆吸っていたではないか。

 駅のホームの喫煙所はひどいもので。朝のラッシュ時などは、

「喫煙所に入り切れない人が、表で堂々と吸っている」

 というような光景を何度見たことであろうか。

 それを駅員は注意しようともしない。

 自分たちが、

「タバコは喫煙所で吸ってください」

 といって、喫煙所を設けておきながら、それを守らない人を、注意勧告できないのであれば。

「最初から、喫煙ブースなど作らずに、すべて禁煙のままにしておけばいいんだ」

 と思う禁煙者は多いことだろう。

 ひどいのは、パチンコ屋や飲み屋などである。

 台の前でタバコを平気でふかしている人がいれば、自分の台が芳しくなかったりすると、その腹いせに、タバコの煙をわざと、まわりに蔓延させるかのような行動に出ようとするバカもいる。

 皆があからさまに嫌な顔をすると、

「なんだよ。ここではタバコは吸っていいんだぞ」

 といって、自分の権利を主張するのだ。

 他の場所で言えば、ただのバカでしかないのだが、パチンコ屋であれば、いくらバカな言い分であっても、

「間違ったことを言っているわけではない」

 ということで、どうしようもないといってもいいだろう。

 それを思うと、

「果たして、何が正しいというのか?」

 と考えさせられるものだ。

 確かに、タバコというものは、今の時代では、

「罪悪」

 といってもいい。

 しかし、昭和の時代までは、

「副流煙の問題で、タバコを吸っている人間よりも、まわりにいる煙を吸わされている人間の健康の方が危うい」

 という研究結果が出たことで、

「禁煙」

「嫌煙権」

 という問題がクローズアップされ、やっと今になって、

「タバコの罪」

 というものを、全世界の人間が認識するようになってきたのだった。

 昭和の頃などは、

「タバコは、心の日曜日」

 などという標語があり、それが、野球場の広告としてベンチの上に書かれていたのを思い出す。

「そういえば、昭和の頃って、タバコは、国営だったんだよな?」

 ということを思い出すのだった。

 敦子は、そんな時代などは知らないが、話には聞いたことがあった。

「JR,NTT、日本たばこは、昭和の終わりまで、三公社と呼ばれていた国営だったんだよ」

 ということであった。

「というと?」

 と聞くと、

「昔は、国鉄、電電公社。専売公社」

 といって、国が経営している、

「国営企業だったんだよ。それが、昭和が終わるのと同じタイミングくらいで、民営化されてしまった。特に、国鉄が抱えていた慢性的な赤字は、今も暗い影を落としているという問題があるんだけどね」

 ということであった。

 その人は続けた。

「今では考えられないけど、昔の国鉄職員は、そのすべての職員に、国鉄の利用は乗車券に限っては、ただで、フリーパスが与えられていたんだよ」

 というではないか。

「そんなものがあったんですか?」

 と聞くと、

「ああ、私は見せてもらったことがあるよ。その時は、別に可笑しいとは思っていなかったんだけどね。当時はまだまだバブル景気の時代で、事業を広げれば広げるほどに、儲かっていたと言われる時代だったらしいんだけどね。さすがに私も子供の頃のことだったので、話に聞いたことがあるという程度で、詳しくは分からない」

 と言っている。

 その人は、50代くらいの人で、会社の上司にあたる人だった。

 その人のいうことには、いちいち信憑性があるので、話を聞いているだけで楽しかったということであるが、どこまで楽しかったのかというと、何とも言えなかった。

 そもそも、

「世界的なパンデミック」

 の流行と、

「受動喫煙禁止」

 の法律の施行は、ほぼ同時であった。

 本来なら、受動喫煙防止の法律が始まれば、少なからずの混乱が発生するのは、必定だと思っていたが、実際には、大きなトラブルにはならなかった。

 なぜなら、ちょうど同じ時期に、国は、

「緊急事態宣言」

 なるものを発令し、国民生活や、自由を制限したのだった。

 つまりは、

「外出自粛」

 あるいは、

「店舗や公共施設」

 の休業などがそれであり、

 タバコを吸おうにも、表はどこも開いていない。

 コンビニ、一部のスーパー、薬局などの、必要最低限のものを営むところは開店していたが、それ以外はほとんど閉まっているという感じだったのだ。

 百貨店も締まっている。下手をすれば、ビジネスホテルもしまっているところもあった。

 最悪なのは、

「コンビニも半数近くが閉まっていた」

 ということであったが、政府はコンビニには休業要請をしていない。

 ということは、

「街を歩いている人がいないのだから、店を開けるということは、開けているだけで赤字になっていく」

 というわけなので、閉店を勝手にコンビニ側で決めたということで、ある意味、

「客を欺いている」

 といっても過言ではないだろう。

 さらには、それまで、利用でき手いたトイレも、

「昨今の諸事情で使用禁止とします」

 ということであったが。蔓延のピークがなくなっても、トイレを解放しないという、正直、いい加減な経営をしているコンビニがあったが、案の定、すぐに潰れていったのだった。

 そんなコンビニに対しては、

「ざまあみろ」

 としか思わない。

 パンデミックを理由に、

「客はバカだから、簡単に騙される」

 というような考えで経営していたのだとすれば、バカでない客は、そんな店の魂胆を見抜いているだろうから。わざわざそんな店で買う必要もないということである。

「客を欺こうなんて、店側がしようものなら、客も簡単に見破るというものだ」

 と言えるだろう。

 それだけ、コンビニは、

「便利」

 ということから名前がついたわけで、客からすれば、

「そんなあからさまな、嫌がらせを、露骨に客に見せるようなところは、どうせ長くないといえるだろう」

 と思うと、まさにその通りだったのだ。

 それは、程度の低い店長のいる店ということで、コンビニに限ったことではない。

 ただ、コンビニなどは、店長が、

「経営のプロでも何でもない」

 と言える。

 適当に、

「幹部候補」

 として雇い、ちょこっとの教育ですぐに店長になるのだ。

 今の時代のように、店員が、日本語もロクに分からないかのような、

「外人ども」

 を雇うのだから、程度が低い店になるというのもうなずける。

 そんなことを考えていると、今の世の中というものが、いかに程度の低いものなのか、分かるというものである。

 そんなことを考えている場合ではない。あるマンションで、人が殺されたのだ。ナイフで刺されての刺殺のようだが、最初に発見した新聞配達員のにいちゃんが、腰を抜かしてひっくり返ったというのも、無理もないことであろう。

 何しろ、早朝、時間的には、午前三時くらいであろうか。時間的には丑三つ時を少し通り過ぎた時間。

 新聞配達員であれば、

「丑三つ時」

 などという発想はないだろう。

 どちからというと、

「夜行性」

 の方である新聞配達員は、逆に静寂の方が慣れているといってもいいだろう。

 しかし、その静寂を破るような、想定外であり、造像を絶するような出来事に出会えば、その感情は、本来であれば、腰を抜かす程度に留まったりはしないのではないだろうか?

 何しろ、誰かを呼ぶわけにもいかない。大声を出したり、叫んだりすると、人は飛び出してくるかも知れないが、その状態において、何もできない状態であれば、

「俺がこのままであれば、疑われる」

 という発想までは浮かぶのだった。

 もっとも、いつもであれば、

「最悪の事態」

 を考えるのであろうが、その想定をはるかに超えているので、余計に、

「冷静にならなければいけない」

 と感じるのだった。

「人生で、死体と遭遇するなど、そう何度もあることではない」

 と、肉親の死に遭遇することはあっても、人の死体を発見するなど、普通であれば、まずないことだろう。

 ただ、考えてみれば、新聞配達のような立場であれば、誰もいない早朝のマンションのエントランスに入る毎日なので、可能性としては、かなり高いということだろう。

 それを思うと、今から思えば、

「そういえば、今年は、何か最初から、何か発見するような予感めいたものがあったような気がするな」

 と思ったのは、初詣に出かけた時、引いたおみくじに、

「普段、見つけないようなものを見つける」

 というようなことが書いてあったような気がした。

 それが、

「失せもの」

 という項目ではなかったので、

「遺失したものが見つかる」

 ということではないのは確かなようだった。

 それを思うと、

「まさか、それが死体だったなんて」

 と思うことで、まさか、この発見が、さらにオカルトチックな発想となり、さらに怯えを与えるのだった。

 死体を発見してから、少しの間にそこまで頭を巡らせることになった。

 時間的には、5分程度だったが、それが長いのか短いのか、自分でもよく分かっていなかったのだ。

 あれが、年始だったので半年以上は経っているはずなのに、まるで昨日のことのように思い出されたのは、それだけ、考え方に、何らかの偏りがあるような気がするのだった。

 発見した死体は、どうやら後ろから背中を刺されているようで、まだ、背中に刺さっているナイフが、生々しい気がした。

「声を立てることもなく、即死だったのだろうか?」

 と思ったのは、ナイフが刺さっているとはいえ、ほとんど出血していないように見えたからだった。

「上手な人が刺せば、ほとんど血が出ることなく、即死で、苦しむこともない」

 というような話を聞いたことがあったが、それは間違いのないことだったのだろうか?

 それを思うと、背中に刺さったナイフが痛々しくもあるが、

「苦しまなかっただけでも、幸いだったのかも知れない」

 と、少しでもいい方に考えようとするのは、無理もないことだったのかも知れない。

 とりあえず、ただ怯えているだけではどうしようもない。とにかく、警察に電話するしかない。

 即死であるのは間違いなさそうなので救急車の必要はない。スマホの緊急電話で、110番に電話したのだ。

 死体を見てみると、死後硬直が始まっているのか、完全に石のような色になっていた。

「人間って、最後は、モノクロになっていくんだ」

 と感じたほどで、

「血の気が引く」

 というのは、こういうことなのだと感じたのだ。

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